第五幕 亡霊な侍(二)
凡ソ士ノ職分ト云ハ、其身ヲ顧ニ、主人ヲ得テ奉公ノ忠ヲ尽シ、朋輩二交テ信ヲ厚クシ、身ノ独リヲ慎デ義ヲ専トスルニアリ。
(『山鹿語類』巻第二十一「士道」 立本 知己職分)
「――おかしいな? 確かこの辺だったと思うんだけど……」
だが、侍の霊が取り憑いた刀を布袋にしまい、早速、夕暮れの街へと飛び出した真琴は、再び訪れた三河商店街で予想外にも途方にくれていた。
勢い勇んで商店街まで来てみたはいいものの、昨日、刀を買ったあの骨董店がどうしても見付からないのだ。
おそらくはここら辺だったと思う場所に行ってみるのだが、見慣れた他の店はちゃんと軒を並べているというのに、昨日見たあの骨董屋の姿だけはどうしても見当たらない……もしや、通りの反対側かと振り返ってみるも、やはりそんな店はどこにもない。それならば自分の勘違いで、もうすでに通りすぎたか、あるいはもっと先かと商店街の通りをもとに戻ったり、また行てみたりと何度も繰り返してはみるのだが、それでもあの骨董屋――〝時空堂〟は見付からなかった。
そんなこんなで彼女はもう、かれこれ三十分ばかり、この通りを行ったり来たりしている。頭上に覗く商店街の路地の形に切り取られた空は、すでに日が沈み切る間際の一際輝く夕日の色に染まっていた。
「やっぱりなんかおかしい……どうして見つからないの? 確かに昨日はこの辺にあったはずなのに……」
昨日、骨董屋のあったと思われる場所にひっそりと存在する、店舗と店舗の隙間のごくごく細長い空間を見つめながら、真琴はやや血の気の失せた顔で誰に言うとでもなく呟く。
「やはり……そう簡単にはあの店に行けぬようでござるな」
すると、いつの間にやら傍に立っていた侍の霊が、そんな彼女の呟きに答えた。
「きゃっ! ……ちょ、ちょっと何出てきてんのよ⁉ 人が見たらびっくりするじゃないの!」
そのどこからどう見てもただの通行人には見えないサムライ然りとした姿を目にし、真琴は思わず悲鳴を上げると彼に文句を言う。
「大丈夫でござるよ。ほら、お母上の時と同じく、それがしの姿は他の者には見えぬでござるゆえ」
だが、暢気な口調で彼がそう言う通り、どうやら商店街を行き交う人々に場違いな侍の姿は見えないらしく、むしろ頓狂な声を上げた真琴の方が好奇の目で見られてしまっている。
「ああ、なるほど……って、そういう問題じゃないっ! あたしだってびっくりするでしょ⁉いや、そんなことより今言ってたのはどういうこと? 簡単にあのお店には行けないとかどうとか……」
「ん? ああ、そのことにござるか。それがしもよくは存ぜぬのだが、前に店の主から聞いた話によると、どうやらそういうことになってるようにござるのだ。どういう理由かは知らぬが、あの骨董屋を見つけられる時もあれば見つけられぬ時もあり、そして、見つけられる時の方が極めて少ないらしく…」
「じゃ、じゃあつまり、あたしが昨日、あのお店に入れたのは極めて稀な出来事で、もう一度この刀を返しに行こうと思っても今度はなかなか行けないってこと⁉」
侍の霊が話し終えるよりも前に、真琴がやや怒り口調で口を挟む。
「まあ、そういうことになるでざるかな」
「どうしてそれを先に教えてくれなかったのよ! わざわざここまで出かけて来て、こんなに探し回ったってのにまるで無駄骨じゃない!」
まったく悪びれる様子もなく、何食わぬ顔でさらりと今更ながらにその重要情報を伝える侍に、真琴は人目も憚らずに大声で怒鳴りつける。
その様子を往来の人々が、また奇異な物でも見るような眼差しで横目に眺めながら通り過ぎてゆく。他の者には侍の霊が見えず、真琴が独りで騒いでいるようにしか映らないのだ。
しかし、激昂する真琴はそんなことお構いなく、侍の霊とのやり取り――傍から見れば、路上パフォーマーのような独り芝居を続ける。
「いや、もしやということもあるでござるからな。その是非を分ける理がわからぬ以上、実際に行ってみなくてはどうなるかはわからぬでござるよ」
「それにしたって、説明くらいしといてくれてもいいでしょう?」
「いや、それは別に訊かれなかったゆえ…」
「訊かれなくても普通言うでしょうに! それより、あなた! あの店にずっといたんなら、何かあの店に行くための方法について心当たりくらいあるでしょう? ほら、今度はちゃんと訊いてるんだから早く教えなさいよ!」
「そう申されても、それがしのような一介の武士に左様なことはわかりかねまする」
一縷の望みを託し、真琴は改めて尋ねてみるが、侍の霊はきっぱりとそんな風に言い切ってくれる。
「ああ、もう、まったく役に立たない武士ね。っていうか、あなた、武士じゃなくて武士の霊でしょうに! ハァ…なんであたし、こんな生きてもいない存在とこんなとこで怒鳴り合ったりしてるんだろう? もう、ほんっとバカらしくなってきた……帰る!」
真琴は吐き捨てるようにそう言い放つと骨董店を探すのを諦め、ドカドカとうっぷんを晴らすかのような荒い足取りで商店街を後にする。
普段は大人しく、あまり感情を表には現さない真琴であるが、昨日今日で自分を襲ったこのあまりにも非現実的でふざけた出来事に、彼女もついにぶちキレてしまったみたいである。しかも、普通だったらぜったい恐れ慄くような幽霊に対してまで、怖がるどころか怒鳴り散らしたりなんかしている。
しかし、もう何がなんだかわからぬこの状況に憤慨する彼女は、そんな自分の性格の変化にもまだまるで気が付いてはいないのであった……。
「――うーん。未熟な己にはまだまだ早いと、これまでは敢えて触れずにきたんだが……やっぱり、真剣での稽古が必要かぁ……」
そうして真琴と、それから彼女に取り憑いた侍の霊が帰るのと入れ違いになるようにして、もう一人の人物がここ三河商店街を訪れていた。
「とは言え、真剣なんて高校生が買えるほどお手軽な代物じゃないしなあ……まあ、摸造刀でもいいんだが、それだって稽古に使えるようなちゃんとした作りの物はそれなりにするし、急に思い立っても今の懐具合じゃあなぁ……やっぱり、もっと早くに居合も始めとくべきだったかぁ……」
腕を組み、悩ましげな顔で歩くその人物とは、誰あろう真琴の憧れる先輩・松平貴守である。
ご他聞に漏れず、彼も部活帰りによくこの商店街に立ち寄ったりするのであるが、先刻、部のマネージャーである少女に完膚なきまでに打ちのめされ、その師と仰ぐことにした少女から「時には真剣での稽古も必要」と教えられた松平は、部活が終わった後もずっとそのことについて考えていた……そして、特に用があったというわけでもないのだが、気が付くと、いつもの癖でこの商店街に足が向いていたのである。
「おっと。考え事してる内にこんなとこまで来ちまってた……ああ、そうだ。ここの商店街って、なんか安い摸造刀売ってるような武道具屋とか古道具屋とかってあったっけ? ……いや、そんな店、都合良くあるわけないよな。今までにそういったのは見かけたことないし……せっかくだし、もしあるんだったらちょっと覗いて行くんだけど……」
ふと立ち止まると独白し、賑わう商店街を宛もなく見回す松平であったが、ちょうど今立っている場所の真横に面する店に目を向けると、予想外のものが彼の目に映る。
「お、おお…おおおお! あ、あれは……」
彼の目に映ったもの――それは、これまでに一度も見かけた記憶のない、古めかしい道具達の並ぶ骨董屋のショーウィンドウであった。
「……ほんとに都合良くあったよ」
そして、そのガラス越しに見つめる彼の視線の先には、骨董屋の一番奥に置かれる「特価一〇〇〇円」の値札の付いた朱鞘の日本刀が、その優美な姿をひっそりと覗かせていた……。
つづくでござりまする…。




