第7話 迫りくる脅威
時間が空いた俺はこの街の成り立ちを調べるため、図書館に来ていた。自分が腰を下ろしている場所を詳しく知りたいと思ったのだ。
司書のお姉さんに挨拶をして、目的の本のを探す。一番目立つ所にあったので探すのに苦労する事は無かった。
起源は御伽噺の時代まで遡るという。かつてここら一帯は、ヴァグシャ山脈より連なる森林だった。
だが、その自然以外何も無いこの場所で一つの戦いが起こった。月の女神に仕える将軍アスターシェルと、世に災厄を撒き散らすとされる黒い竜の軍勢がぶつかり合ったのだ。
この月の女神に関しては詳しく載っていない。固有の名前とかは伝わっていないらしく月の女神とだけ記されてるだけだ。
将軍アスターシェルの軍勢と黒き竜の軍勢の戦いは熾烈を極め、小高い丘ばかりだったこの地の地形を更地に変えたそうだ。
七日七晩続いた戦いは、将軍アスターシェルの放った一撃が黒き竜を捉え勝敗が決まった。
この時、将軍アスターシェルが放った攻撃の余波でロナウ川が流れる溝が出来たとされている。
戦いには勝利したが、黒い竜を殺し切れなかったアスターシェルは、黒い竜をこの地に封印する事にした。
月の女神に仕える神官の力を用いて封印を施した後、アスターシェルは黒き竜に汚染されたこの地を浄化したのだが、戦いの傷が原因でこの地で眠りに付いてしまった。
そして、将軍の臣下の主だった者と神官は封印を護る為に、この地を住処とする事になった。これがトゥルシールの成り立ちとされている。
封印を護る役目を全うする為、神官は月の女神に請い他の悪意を感じ取れる力を、この地に住まう者達に授けてもらった。
悪意あるものの手で封印が破られる事が無いようにである。
やがて時は巡り、人の移り変わりと共に封印を神聖なものとする風習は瓦解していき、生活のするのに適した土地に移住する者が増え、いくつかの集落が作られた。
そして、やがてそれらは国として形作られ、グランシール王国が誕生した。
現在では、トゥルシールは神聖な地として国の重要な場所ではあるが、政治的な中心から外されており、地方の一都市としての位置付けとなったのだ。
どの国境とも接していないこの地は、昔から魔獣の被害も少なく平和な土地柄とされ、防衛の為に配置さえている<理晶騎>の数も少なく、神官の家系であるイシュバーク家が代々雇っている守衛隊ニ百名によって、治安の警備が行われている。
読み終わった俺は本を閉じた。神話的な内容が混ざっていたから、どれだけ信憑性があるのか怪しい所だが、実際にこの国の人達が悪意を感じ取れる能力がある所を見ると、全てが出鱈目って訳でもなさそうだ。
この黒い竜ってのもアスタスが敵対している黒金と関係性があるのかもしれない。
俺はこの地で遥か昔に何があったのかに思いをはせていた。
やがて王都からジェイスさんが帰還し、十機の<従士型>が追加で配備される事になった。
ランディさんとしては何機か<騎士型>の補充を希望していたのが、隣国のランカスト帝国が怪しい動きを見せているらしく、国境警備などで<騎士型>の稼働率が高くなり、こちらに回す機体が確保出来なかったそうだ。
待機場にすべての<理晶騎>を停める事が出来なくなったので、交代で<従士型>が街の外周を警備している。
完成した弩弓はもう全ての<従士型>に装備済みになっており、散発的に現れるようになった中型魔獣達の退治に役に立っていた。
ランディさんはグランシール軍で弩弓を正式採用するように、推薦する事を王都に打診する予定だと言っていた。
帰ってきたジェイスさんも、完成した弩弓を見て手放しで褒めてくれていたな。
ヘイヴァスさんは、あれから鍛冶場に篭り、俺が提案した固定武器の試作品を完成させ、アスタスの手甲に取り付けていた。
マルクの<タルシス>も修理が終わり、そろそろ王都に戻る準備をし始めていた頃、その報告が齎された。
「なに?それは本当なのかい?見間違えという事はないのかな」
ランディさんにしては珍しく慌てた様子で、報告してきた守衛隊員に聞き返していた。彼は街の警備とは別に、山脈方面を警戒するために、偵察に出ていた隊員の一人だった。
「私も最初は目を疑いましたが、事実です。遠見眼でもはっきりと確認しました。大型魔獣の群れ、約二十匹がこちらに向けて侵攻してきています。多種多様な種類の魔獣で構成され、先頭には群れを率いていると思われる黒い魔獣が確認されております。移動速度は速くは無いですが、遅くとも明日には街の近くに接近してくると思われます」
報告している本人も信じたくないと言った顔で、血の気を引かせていた。
「大型魔獣の群れ。神話の世界の出来事でしか聞いたことがないぞ」
震えるような声で、ジェイスさんも呻く。こちらも真っ青という訳ではないが、衝撃を受けている様子だ。少しの間、瞑目していたランディさんが覚悟を決めたように立ち上がった。
「ここで議論していても、仕方が無い。これより緊急事態として行動するよ。地区の責任者に通達、すぐに街の住人に避難勧告を出すように。馬車を有りったけ準備し、王都方面に向けて出発出来るように準備をさせるんだ。ジェイス隊長は守衛隊を召集し、事の次第を説明の後に戦闘準備を整えてくれ」
ランディさんが指令を発した。それを受けジェイスさんや守衛隊の人達、メイドさん達がすぐさま行動を開始した。それを見送ってから、ランディさんは俺やマルクの方を向いた。
「すまない。君達にこんな事を頼むのは筋違いかもしれない。だが、今回はどうしても君達の力が必要なんだ。大型魔獣が十匹揃えば、街一つなど簡単に潰される。それが二十匹、現状の我らの戦力では、ほぼ勝ち目は無いだろう。だが私はこの街の住人を非難させる時間を稼がなければならない。諦める訳にはいかないんだ。頼む、力を貸してほしい!」
ランディさんが俺達に頭を下げる。その顔は苦渋に満ちていた。状況からして死んでくれと言っているようなものだ。
彼の性格からしてどれほどの葛藤をしているだろう。
まあ、俺の答えは決まっている。隣のマルクも同じじゃないかと思う。
それに報告にあった黒い獣が率いているというのが、俺の心に引っかかっていた。
「ランディさん、頭を上げてください。ここまで来たら一蓮托生って奴ですよ。この街が無くなったら、俺の居場所も無くなちゃいますからね」
俺は出来るだけ、軽い調子で返事をした。マルクもそれを見て肯く。
「この国の民を護るのは騎士の役目です。この命、喜んで捧げましょう」
ランディさんは俺達の手を取り、硬く握り締めた。その目には涙が浮かんでいる。
「ありがとう。君達の勇気と好意に感謝する。このランディ・イシュバーク、この恩は生涯忘れないと誓うよ」
俺達は戦闘準備に奔走する事になった。ヘイヴァスさん達は<理晶騎>の整備を慌しく進め、俺やマルク、守衛隊は自分の<理晶騎>の装備のチェックに追われた。街の住人達は多少の混乱はあったものの、非難準備が着々と行われていった。
そして、その日の夜。イシュバーク邸に主だった人間が集められた。
「エフィ、お前は避難する住人を率いて王都に向かってほしい。リアムローダ殿にはその護衛を頼みたい」
「な、お父さんが連れていくじゃないの?それにわたしは残って一緒に戦うつもりだよ!」
「私としても承服しかねます。兄上達が残るのに見習いとは、言え騎士である私が避難するなど。弩弓がありますから私の<イズル>も戦力になるはずです」
ランディさんの提案に、すぐに駄目だしが入った。いつもならランディさんが折れている所だが、今回は断固と自分の考えを変えるつもりは無いという気迫があった。
「私はこの街の責任者として、そして彼らに命を掛けさせる以上、この街に残る義務があるんだ。エフィ、お前はイシュバーク家の一人娘、私が死んだ後にはイシュバークの神官としてトゥルシールを護らなければならないんだ。お前が残る事は許さないよ」
エフィの肩に手を置き、ランディさんが説得をする。それに合わせてマルクもリアに向き合っていた。
「兄上、私もヴァルシウアスの娘。敵に後ろを向ける訳にはいけません」
「リア、それは違うよ。避難する無力な民を護るのは立派な騎士の勤めだ。お前に後顧の憂いを任せるからこそ、僕は安心して戦う事が出来るんだ。わかってくれないかな?」
優しく諭すマルクに、リアは顔を俯けて泣くのを堪えている。
「う……」
説得を続けるランディさんに、目に涙を貯めたエフィが一言、言い返そうとしたが言葉を詰まらせ、部屋の外に走り出ていった。力無くランディさんは俺の方を向いた。
「父親とは情けないな。すまない、オーキ君。娘の事を頼めるだろうか」
ランディさんが済まなさそうにこちらに顔を向けてきた。それに俺は無言で肯き返して、エフィが出て行った後を追う事にした。
少し探すとエフィはすぐに見つかった。彼女はバルコニーで佇んでいた。俺は何も言わずに彼女の隣に移動し、同じように夜空を見上げた。
夜空一面に星が瞬き、地球で見上げた物とは少しだけ模様が違うけど、同じのような大きさの月が丸く輝いていた。
獣の形をした死が、すぐそばまで迫ってきているとは思えない、美しい景色だった。
俺とエフィはしばらく静かに佇んでいたが、雲が月を半分隠した時エフィがポツリと呟いた。
「ねえ、オーキ。明日になったらこの街は無くなっちゃうのかな。皆死んじゃうの?」
「エフィ……」
悲痛な言葉に見かねた俺がエフィを慰めようとすると、エフィが俺の胸に飛び込んできた。胸に顔を埋めたまま、嗚咽を漏らしている。
「お父さんが死んじゃう。オーキが死んじゃう。わたしの大好きな街も……。そんなの嫌だよう」
泣きじゃくるエフィの頭を俺は優しく撫でた。その時、ふと俺の脳裏にある情景が浮かぶ。今のエフィのように俺の胸で泣く白銀の髪の少女。そして胸に飛来する切なく悲しい思い。これは俺の記憶なのか?
だが、その情景は一瞬の間を置いて霧散した。
俺は頭を振り、雑念を追い払う。そしてエフィに声を掛けた。
「エフィ、大丈夫だ。エフィの事も、ランディさんの事も、そしてこの街も必ず守ってやる。だからエフィは安心して避難する皆を連れていくんだ。彼らも不安なはずだから、君が励ましてやるんだよ」
優しく頭を撫で続ける。すると段々と落ち着いてきたようだ。まだ赤く腫らした目を俺に向けてきた。
「ほんとう?」
「ああ、約束する。任せておいてくれ。俺が君の大事な物を守ってやる」
力強く答えてやる。そう、人が無理矢理大事なものを奪われる。そんな理不尽を俺は許しはしない。全身全霊をもって抗ってやろう。俺と俺の中にある俺とは別のなにかの想いが、自身の身体と心を奮い立たせた。
「うん、信じる。絶対、無事に帰ってきてね!」
まだ無理をしているが笑顔を見せて、まるでキスを強請るかの様に目を伏せたエフィを、俺はちょっとだけ強く抱きしめた。いや、さすがにこの場で勢いに任せてキスするとかは、俺には難易度が高すぎます。
その深夜、俺は決意を胸にアスタスの下に赴いていた。普通なら現状は絶望的なんだろうが、あいつなら何か打開出来る策があるかもしれない。
あいつと俺は運命共同体だ。なんとか協力してもらうしかない。
「おい、喋れるか?」
俺は操縦席に座り、アスタスに問いかけた。すると俺の脳裏にあいつの声が響いてきた。
《だいたいの状況は把握している。黒の波動が近づいてきておるな》
「やっぱり、報告にあった黒い獣ってのは、あの黒い恐竜と関わりがあるのか?」
《うむ、黒の尖兵が我を破壊しに来たときに、その魔獣に触れたのであろう。黒金の意思は他のものを侵食するのだ。特に魔獣は汚染されやすい。その黒い獣とやらは黒金の意思に従い、生きているものを殺しに来るだろうな。それがここに向かってきているのは、ここら辺りで一番、人が集まっているからだろう》
厳かにアスタスが告げる。そこには聞き捨てなら無い内容があった。
「おい、ちょっと待て。あの黒い獣はこの街と言うよりも、ここに住んでいる人を狙ってるって事か?」
《然り、黒金は変革を齎そうとしている。それはこの星の生命を殺し尽くしてから始まるものなのだ。そしてまず奴らは人を狙ってくる。人が我ら白金に力を貸せる事を知っているからな》
「そうだったら、街で迎撃する俺達じゃなく、避難している人達が狙われるって事になるのか?」
嫌な答えに行き着いて、俺は冷や汗が流れた。避難民達がいる場所で<理晶騎>に乗って戦うなんて、どうやっても不可能だろう。避難民が無事で済むはずがない。
《黒に犯された獣は知能が高くなる。近くに戦闘能力がある敵が居るなら、まずはそれを排除しようとするだろう。おそらくは逃げる民には向かうまい》
それを聞いて、俺は安堵のため息を付いた。だが、逆を言えば俺達が獣達を撃退出来なければ、逃げた避難民達、ひいてはエフィやリアが襲われると言う事だ。俺達は負けれない理由が一つ増えた。
そして俺はここに来た本題に入る。
「この戦い、勝てると思うか?」
答えに困ったように、数瞬沈黙が訪れる。
《黒に汚染された獣は黒の尖兵とほぼ同じ能力を有する。あ奴に物理的な攻撃は効かんだろう》
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ。勝てないなら、お前もやられてしまうんだぞ」
またもや、数瞬沈黙する。おいおい、まさか何も対策が無いって事はないだろうな。
《黒の獣に勝利するなら理法を使うしかあるまい。だが今は黒の尖兵の封印によってその機能は停止している。ならばこの封印を解く以外に勝機は無い》
「解けるのか?」
《かなりの荒療治になるがな。だがこれを施行するならば汝の命を削る事になる。それでもやるか?》
俺の命か。だが、それをやらなければ、俺どころか他の皆の命も危なくなる。だったら、ここで尻込みする訳にはいかない。
「ああ、やるさ。具体的にはどうすればいいんだ?」
《今はやっても無駄だ。我は戦場に満ちる戦意を力に変える事が出来る。今まで大気より貯めた理力とそれを用いて一気に封印を打ち破る。まあこれでも全ての封印を解く事は出来ぬだろうが理法を行使する機能は回復するだろう。だがそれを行うのに汝の身体を通さねばならん。この行為は汝の寿命を確実に縮める事になる》
どうやって戦意とやらを力に変えるのか、さっぱり解からないけど、現状を打破出来るならなんでもやってやるさ。
俺は明日の戦いに向かって、気合を入れなおした。