第97話 :セルス
いつだって、彼女達が生み出すものは奇跡以外のなにものでもなかった。
「約束したのっ・・、ルキアに・・自由と・・真の絆を与えるって!」
地面に崩れたコアはそう叫んだ。静かな森で少女が涙を零す。彼女の震える背に、俺は思った。
俺達はいつだって、ドラゴンとは比べられないほど小さいはずの背中に、ドラゴンの時間を背負っていると。
アルと出会ったあの日から、俺の背中にはアルの命が背負わされている。
そして、アルとの約束も。
「コア!落ち着けよ!ルキアには届かないんだ!」
コアにそう言う自分の言葉に、悲しみをぶり返す。
「私・・まだ・・何も与えてないのにっ!」
俺だってそう。まだ、何も与えてない。
《お前の傍だけが、俺の目指すものに近づける可能性がある、唯一の場所なんだ。》
アルは俺にそう言った。だから俺は、せめて彼の目指すものへほんの少しでも近づこうと思った。
何千年と生きる彼から、俺は時間を奪い、契約に縛りつけてしまった。
きっとドラゴンマスターは皆、そうなのだろう。
コアの背が、言葉が、涙が、そう思わせてならないんだ。
契約に縛りつけ、時間を奪ったマスターは、ドラゴンのためにできる事をするべきだと。
「私を・・呼んでよっ!・・ねぇっ。ルキアっ・・、」
白いドラゴンの羽が小さく動くと風が優しく吹いた。
もしも、この世界に『奇跡』など存在しないと言ったら、今俺が見ている光景はなんなのだろう。
その優しい風がそっとコアを包み込み、白竜の青い透き通った目が、ジッとコアに注がれている。
届くわけの無い彼女の声に、まるで耳を傾けているようにルキアは見ている。
私・・まだ、何も与えてないのにっ。・・・・・ねぇ・・ルキア。どうして・・ルキア」
確かにドラゴン契約は途切れかけているんだ。
こんなことが起こるはずが無かった。しかしその景色は美しく、そこにあった。
顔を上げたコアは、目からたくさんの涙を零していた。
「ルキア・・?」
優しい風が白い羽から生まれ、コアを包む。
その風の中に、微かな音がした気がした。
『――――コ――――』
風が一瞬強く吹いて、コアの涙を晴らした。
「――― ルキア ―――」
もしも、この世界に『奇跡』がないというなら、俺が今目の当たりにしているこの景色はなんなのだろう。
信じる心が、目に見えるようにはっきりと、あるべき姿を映し出す。
『――― コア ―――』
そして優しく澄んだ声が、コアの名を呼んで。
「ルキア。声が・・聞えたよ?」
そう。それはもう、奇跡以外の何でもない。
『私もですよ、コア。』
ゆっくりと二人を見ると、二人の間にはしっかりとドラゴン契約が結ばれていた。
「嘘だ・・ろ」
途切れた糸がまるで、魔法のように繋がれている。
「会話法は、いらないみたいだよ。」
あぁ、君達にはそんなもの必要なかったのだろう。
『絆』が、確かに存在して、途切れかけた契約さえ結びなおしてしまった。
そう思うと、にっこりと微笑むコアに微笑み返して、俺の足はアルのもとに駆けていた。
「アル!」
魔力を奪うこの森で、魔力を奪われたコアとルキアのドラゴン契約が切れる事はなかった。
それはドラゴン契約が、この世界で最も強大な契約だったからかもしれない。
けど、そうじゃないと俺は思うんだ。
「アルっ!」
答えて欲しい。
俺はお前のマスターとして、お前の目指す場所までまだ・・たどり着いてはないだろ?
「アル。・・・もしも、俺とお前の間に絆があると思うなら・・どうか答えてくれ。」
こんな場所で、後悔したくないんだ。
アルと契約を結んだ事を、後悔したくなんてないから。
「俺の・・ドラゴンになる気はないか?」
そう、あの日も。俺はこいつに聞いた。
《俺のドラゴンになる気はないか?》と。
そんな俺をジッと見る赤い眼は、マスターを欲する目だった。
そう、あの日も。俺はこいつに聞いて、こいつは答えたんだ。
『・・・なって欲しいなら、なってやってもいい。』
黒い翼に、赤い眼が、まるで悪魔を思わせる。
それなのにその中には、優しい心を抱いているドラゴンだった。
「アル」
『声が届かないことくらいで焦る必要なんかないだろ。』
それもそうかもしれない。けど、アルの声一つでこんなにも安らぎを感じている自分が居る。
「そんな事はない。・・・声が届いて・・よかった。」
お前のいない時間を生きるなんて、俺には考えられないことだから。
あの日、俺の全ての力を使ってでも契約を結びたかった。
こんなふうに、『絆』というもので繋がる事ができるのは、きっとアルとだけだったんだ。
『大げさだな。』
「そうかもな。でも・・・怖かった。」
『お前がか?』
アルは可笑しそうに言った。俺が恐れることは、たくさんあるんだ。
どれほどの魔力を持っていても、できる事なんて本の少ししかない。
大切なものが多いほど、たくさんのことを恐れてしまう。
そしてその度に自分の無力さに気づかされる。
「俺は案外怖がりなんだ。」
アルがいなくなることも、コアがいなくなることも、俺にとっては一番恐ろしい事だ。
大切なものがこの手の中から消えてしまうことが、どれほど怖いのか、コアが一番知っていること。
コアはたくさんの事を恐れている。だけどそれは、強くなる者には仕方の無い事だと思うんだ。
『守るべき者を持ち、失う事への恐れを持つ者が真の強者となる。』
アルはそういうと、優しく笑って空を見上げた。
「何だ?」
『古人の思想だ。守るべき者と、それを失う事への恐れを持たなければ、真に強くはなれない。』
「だから・・コアはあんなにも強いのか。」
守りたい者を守るために、失う事への恐れを抱き、前へ進む。
『だから、お前も強いんだ。』
アルの言葉に俺は小さく横に首を振った。
俺は強くない。弱くはないだろう、でも、強いはずがないんだ。
『お前は強い。』
もし、本当にアルがそう思うならそれは、アルが傍にいるからだろう。
俺は無力で、一人では何も出来ない人間だから。
アルが傍にいることで、ほんの少し、無力な自分を抱えながらでも戦える気がするんだ。
だからもし、アルが俺を強いと思うなら、それはアルがいるから。
「アルがいなければ、何もできない唯の人間だ。」
俺にできる事なんて、ほんの少しのことだけ。
それなのに守りたい者がたくさんいて、失う事を恐れてしまう。
『それは弱いんじゃない。
人間だけじゃない。俺やルキアだって同じだ。1人で生きられる者なんていないんだ。』
アルはそういうと黒い羽を大きく広げ揺らした。その羽が起こす風に、髪の毛が微かに動く。
『誰かを必要として生きることが、弱いだなんてありえない。』
赤い眼が優しい理由を俺は知っている。
その眼は大切な者を失った悲しみを知っている、コアと同じ眼。
「そうか。」
『俺が選んだ奴が弱いわけねーだろ。』
こっちを見る赤い眼は、自信に満ち溢れていた。
アルはもっと良いマスターと誓えていたかも知れない、と後悔したくない。
アルにとって最高のマスターでありたい。
「あぁ」
それは小さな願いで、大きな未来だった。それでも俺は願い、進もうとし続けるだろう。
アルと契約を結んだあの日から、この気持ちは変わることなどない。
その想いは強く、声を繋ぐほど大きなもので。
その想いだけが、『奇跡』を起こせるのだと信じている。
強い想いに運命の神が訪れて、そこには確かに『奇跡』が存在するのだと。