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第89話 :トレス

森はまだ深く生い茂って、まるで私と共に息をしているようだった。

その森を駆けて、細い道のような草の間をぬけると、そこには大きな気が一本あった。


「ヒストラス。」

「え?」

「あの森のことだ。」


深い森の奥に育ち続けていたその木は、まるで森で呼吸する者達に生命の力を与える者のようだった。

偉大で、誇り高きその木から森はヒストラスと名づけられたと聞いた事がある。

空から見るとその森は何だかちっぽけで、痩せ細っているような気がした。


「あそこに紫苑の花が咲いてるの?」

「いや、ここから少し行ったところだ。」

「森の中に村があるの?」

「あぁ。小さいけどな。」


村の中で名を知らないものはいない。家族状況まで把握している。

村内での隔たりなんてものはなく、皆が森と共存して生きていた。薪の材料になるのは影を作る細い木。

家は土で作られている者がほとんどで、木と木の間に小さく咲く花のようにして建っている。


「降りよう。ここからは歩くぞ。」

「うん。」


私が先頭に立ってゆっくりと森へ降り立つ。その後ろからドラゴンをつれて静かにコアが下りてくる。

ゆっくりと見上げると、木々に羽をぶつけないように、白竜は慎重に降りてきていた。

その向こうからは、ブレイズとルアーとジェラス、それにセルスとマティスいう男も降りてくる。

それからゆっくりと森に足を下ろした。緑の草が所々に弱弱しく生えていて、地面はしっとりと迎えてくれた。


「地面が柔らかいのに・・・」

「トレス?どうかしたの?」


静か過ぎる森に、コアの声が響き渡る。


「地面が柔らかいだろ?」

「そうだね。」

「水は充分に行き渡っているのに、草花は枯れそうになってる。」

「ほんとだ。」


この森を抜けて、あの村から出たのはもうずっと昔の事。

久しぶりのこの森は、ずいぶんと痩せ細り、静かになっていた。

吹き抜けていた風も、今では掠りもしないのか、葉がこすれる音も無い。


「ヒストンの木・・・」


私はパッと頭に浮かんだ光景に、まるであの頃に戻ったかのように地面を蹴った。

軟らかな土は未だ私を優しく受け入れて、昔のまま迎え入れてくれる。

しかし私が翔けていくのを遮る草や、目にとまる綺麗な花は無く、ただ弱弱しく木にもたれかかる草が端にあるだけ。


「トレスっ!?」


コアの小さな驚いたような声が、私の背中を追ってくる。

私はその声に返事をする事も無く、いつも通っていた忘れるはずも無い小さな細道を力いっぱい翔けていく。

森の息が聞こえない。鳥の声も、風の走っていく音さえしない。

唯一私を迎えてくれたのは、地だけであった。その原因はこの道の先に存在しているはずだ。


「ヒストン!」


木々が開けたとき、その先に広がった景色に私は声を上げて、足を止めた。

荒い息だけが森に響く。その後ろからは小さな足音がしていた。

しかしもう、私の耳には何の音も入り込む隙間は無かった。聞えるのは無駄に大きく響く自分の心臓の音だけ。

そんな私の目に映った景色は、哀しく眠りについた大木だった。


「そ・・んな、、まさか。」


荒い息がおとなしくなると同時に、鮮明にその状況が私の視覚から伝わってくる。

ここを出るその日はまだ、ぐんぐんと空まで伸びていたその大きな木が、今儚げに横たわり、私を見ている。

上から私を見下ろしていたはずのその木は、今、私を覗き込むように見てくる。


「トレスってばっ!早い・・よ・・って、これ・・魔法樹・・?」


後から私を追ってきたコアの声に私は小さく頷いた。しかし、正確には魔法樹だったというべきなのだろう。

魔法樹は今、私とコアの目の前で、地面にばっさりと倒れこむ、唯の倒木でしかない。


「ヒストンが・・・」


そしてこの木は、ただの魔法樹などではなかった。


「この木の名前?」

「この森を支える唯一精霊の眠れる木なんだ・・・。この木だけが森を生かしていた・・・。」


この木はこの森の母であり、私達の神だった。

水の流れを与え、木々に生命を送り、地に栄養を浸透させる。そんな重要な事を全てこの木が行っていた。

この木によって、森は砂漠のなかで堂々と存在していられたのだ。

共に呼吸をする鼓動は、この魔法樹により命を与えられた木々の喜び。生命の力の証だった。

この地に足を下ろしたとき、その地から伝わってくるのは何故か深い哀しみだった。


「死んだんだ・・・。この森の・・全て・・。」


そして私はここで、その意味を知った。

鼓動が聞えなくなったのは、私が大人になったからでも、私が長い間この地を訪れなかったからでもなく、

ここを守り続けていたヒストンが、命を途絶えてしまったからだった。

魔法樹には寿命なんて物はない。そんな魔法樹であるヒストンは命を途絶えていた。


「どうして・・。」


長いときを経て、ようやくこの地に戻ってきてみれば、どうして終わりへと向かい始めているのだろう。

いつだってそうだ。ほんの少し私が離れている間に、大切な者は全て消えうせていく。

離れるなといいたいのだろうか、大切なら片時も離れずにいろというのだろうか。


「魔法樹が倒れるなんて・・・」


コアの言葉に私の膝は折れ、私は力なく柔らかな地面に座り込んだ。

魔法樹が倒れるということが意味するのは、この森の終わり。

終わりはいつも静かに、人知れずやって来て、その莫大な哀しみだけを残していく。

誰もそれを埋めてくれることなんてない。その悲しみを埋められるものなんて何一つない。

座り込んでいる私の隣で、コアはゆっくりとその倒木に近づいてそっと触れた。


「・・・トレス、この木。・・まだ生きたいって言ってる。」


倒木に触れたコアは、私に背を向けたままそういって、ゆっくりと木の幹を眺めた。

それから倒木から手を放して、ゆっくりと幹に触れる。


「この木・・・生きてるよ。」


コアの言葉は気休めではなく、優しい穏やかな声で呟かれた。

森の空気と土は優しく全てを包み込む。それは私の疑問点だった。

木が死んだいま、本当ならば栄養をなくすはずの土が何故こんなにも温かく柔らかいのか。

それは不思議でたまらない事だったが、コアの手が包んだ者を見た瞬間にその謎は解けた。


「・・・芽・・・」

「そうだよ、トレス!この木は死んでない。まだ生きようとしてる。」

「でも・・・」

「この森はトレスにとってとても大切なものなんでしょ?

なら、なくしちゃいけない。欲しいものも大切なものも、全部欲しいって思ってなにが悪いの?」


コアはゆっくりとその芽に水をかけ、木の幹に水をやった。

その水は唯の水ではなく、聖水のように澄んでいた。


「私は伝説のマスターになりたい。おじいちゃんを継ぐんじゃなくて、超えたいの。

だけど、セルスとも一緒にいたい。ただ空を飛んでいるだけの時間だって無くしたくない。

今は王様を見つけて、この国を救いたいし。大切な人にずっと抱きしめていて欲しい。」


コアは悲しい顔をしたり、優しく笑ったりコロコロ表情を変えてそういった。

それから静かに、その幹から体を離してこっちを見ると言った。


「私は全部欲しいから、全部手に入れる。」


その目は私の奥に沈みこんでいたものをゆっくりと引き抜いた。

『欲しいものは、いつだって1つと絞れるはずがないの。どちらが欲しいか悩むんじゃなくて、どちらも手に入れられる方法に悩むわ。』

昔に見ていたその目に私はすごく憧れていた。

大切なものがたくさんあった彼女は、いつだってその全てを守る方法を探して進んでいた。

諦める事も、どちらが大切か選ぶ事も無く、いつだって全力を出していた。

そんな母の眼に私はいつも憧れていたけど、ほんの少し、彼女の眼の奥にある哀しみも知っていた。


「トレス?」


一歩、ゆっくりとコアとヒストンの木に近づく私にコアが声をかける。

その声に立ち止まることなく、横たわった木に近づくと、目の中が潤った。


「私はこの木が本当に・・大切だった。」


一瞬空中で躊躇った手を、ゆっくりとその木に伸ばして恐る恐る触れた。

その冷たくなった古い木に触れた瞬間だった。

強い風が遠くから駆け抜けて私とコアの髪をバッと掻き乱し、葉を揺らして森に吹いたのだ。

そのとき、その風にかき消されそうになるほどの小さな声が、私に優しく響いた。


『ありがとう。』


しわがれたような声は、小さくとも堂々と威厳を持つ声だった。

私は誰の声かと周りと見る事もなく、真っ直ぐに古い大木を見た。


「風だね。トレス?」

「うん。ここ、まだ息してるな。まだ生きてる。」

「そうだね。」


守る方法はひとつじゃない。王を見つけて、この森を守る事だってできる。

そうすればいつか母の眼に抱かれていた哀しみを見つけ出せるのかもしれない。


「おーい、トレス〜!」


遠くからブレイズの声といくつかの足音がした。

その足音に振り返ると、優しく微笑む仲間達がゆっくりと歩いてくる。

森の木々は息を吹き返し、私と共に呼吸をしている。もう私は一人ではなく、たくさんの息と共にしている。

私の全ての物語は、この森から始まっているんだ。

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