第8話 :コア
あれから数日がたったころ、緑のマントから黒のマントに変わったコアが廊下を歩く度に、コアに向かって小さな声が囁かれた。
「伝説のマスターが、クラスDだなんて。」
そう学校中で噂されるようになり、コアは幻の白竜の主で、伝説のドラゴンマスターだと言われていた。
《幻の白竜が誓う時、真のマスターが現れ、白竜の伝説が今再びページを開く。》
昔から密かに伝わるその言葉を、ドラゴンマスターの中で誰も知らない者はいなかった。
「また誰かが言った。気にしちゃだめだよ、コア。」
ロイがその言葉を軽蔑するかのようにそう言ってコアを励ますと、なんとも呑気な声が明るい返事を返す。その言葉にリラは軽く笑った。
「え?何が?」
「それより、次は実習訓練なの!」
「へぇ。」
「頑張ってね。」
「うん。ありがと、リラ!」
そういって3人は長い螺旋階段の踊り場で手を振って別れた。
実習訓練とは、担当の先生に2〜3人の生徒が着いて行うもので、屋外での魔法を使った実習訓練だった。
この間の試験でほとんどの生徒がドラゴンと契約を結び、正式にマスターになった。
そして今日からはそんな幼いマスター達にドラゴンとの実施訓練授業が行われることになっていた。
「あっ!」
その実施訓練の事を考えていたコアが急に声を上げた。
彼女の視界には、四階の渡り廊下の端に、白いマントが揺れたのが映った。間違いない。コアの頭がそういう。
コアは自分のその目を疑うことなく大声を上げて廊下を走っていった。
「セルスーーー!!」
そしてその声に一瞬振り返った少年のしっかりとした体に抱きつく。
「重い。」
その少年はコアの眼に間違いはなく、セルスであった。セルスはいつもと同じ風にコアに言葉を返す。
そんなセルスに抱きついたままコアは、へにゃぁと笑って見せた。
「えへへ〜。セルス、今日も大好き。」
彼の表情は全く変わらないまま、冷たい目が下の方向へ向きなおしてしまう。その態度にコアは体を離してジッとセルスを見て言った。
「ぶー。」
そう小さく声を出したコアは、頬をいっぱいに膨らませてその悲しみやら怒りやらを表わそうとしている。
そんなものに何の興味をも示さず、セルスはコアの顔を見て笑いをこらえていた。
「あ、コア。今度・・・」
セルスがそう言った時、廊下の窓の外に広がる景色がコアの眼に映り、コアはハッと思い出したという顔をした。
「そだ、セルス。私、次実習だから、もう行くね!!」
どうしたら振り向いてもらえるか。コアがセルスの事を考えているときは、たいていそんな事だった。
一学年の女子だけでなく学校中の女子が恋焦がれる相手、
それが一年生にしてクラスSの首席、つまりは学校のトップに立つセルスであった。
容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、性格に多少の問題があれど、それを他人には見せないというガードの固さが女子に多大な人気を得ている秘密とも言われている。
そんな彼に会う度コアは、どうすればセルスが振り向いてくれるのかと考え続けていた。
そして、その度出てくる答えは、《頭が良くなり、クラスを上げて、セルスと同じクラスで頑張る事》だった。
ただ、コアにとってセルスの存在は、他の女子とは少し違った。そしてそれは、セルスにとっても同じだった。
セルスと話している場所から急いで駆け下り、コアは外へ出て走っていくと、
大きな魔法樹の根元に、たった一人の優しそうな女の人が立っていた。コアはその人の目の前まで来ると勢いよくお辞儀をした。
そんなコアに老婆というよりは若く見える年を取った女の人が微笑んで言った。
「私はリース・シュトレーゼです。マスター・リースと呼んでくれたら嬉しいわ。」
空からは春の太陽の光が、その木により力を与えるかのように降り注いでいた。
その木の下には小さな木陰が出来ていて、草は生き生きと深緑の色を輝かせている。
そんな屋外スペースの端のほうには点々と人らしき点が動いているのが見えて、コアはまた思い出すように声を上げた。
「あの!どうして、私1人なんですか?」
普通の実習訓練は2・3人でやるものではなかっただろうか。
コアはクラスCの時に受けていた授業の事も思い出しながら、失礼のないようにそう言った。
私は1時間早く来てしまったのだろうか。コアの頭の中ではそんな事ばかりがグルグル回る。
「クラスDで、私の目に映ったのが貴女だけだからよ。」
そんなコアにマスター・リースは微笑んだままそう言った。その言葉にコアはエ?と一瞬と惑ってから、にっこりと笑った。
《あぁ、そうか。この人、私が白竜のルキアを連れてきたら。私はすごいとか思ってるんだ。》コアは静かに心の中で納得した。
「それじゃぁ、コールから。できる?」
そんなコアにマスター・リースが言ったのはドラゴンマスターの基本中の基本だった。
コールとは、遠くにいる自分のドラゴンを自分のもとへと呼ぶ基礎魔法のこと。これは動作も何もなくて、ただ手を振るだけの魔法だった。
コアもそれくらいは教科書でも習っていたし、何度もシミュレーションという、
まだドラゴンを持たない生徒に教える授業でも何度も行っていた。本当にただ、手を空に掲げて、そこから名前を呼んで振り下ろす。
それだけのことだった。魔力の大小の問題さえ関係ないその魔法をコアは確かに知っている。
「・・・」
心の中で呼ぶように。すぐ傍にいるドラゴンに伝えるように。
授業中にコアに教えていた先生が何度もそう言っていたのを思い出して、コアはそこで急に止めた。
静かにその様子を見ていたマスター・リースは、急に魔力を飛ばすだけの瞬間になって、止めてしまったコアに驚いた顔を見せた。
その顔をジッと覗き込んでいたコアは、小さな声で言った。
「それってできなくちゃダメですか?」
その小さな声は魔法樹の葉を揺らす風にかき消されることはなく、小さいながらに真っ直ぐとマスター・リースの耳へと届いて行った。