第88話 :コア
「本当にもう平気なのか?」
青く晴れ上がった空のしたで羽をばさばさと震わせて、風を感じているルキアの背に乗った私にトレスが聞いた。
からりと晴れた空を見上げると、すぐにでも風を浴びたくなった。
重かった体も、まるで羽のように軽くなった。
「うん!」
「そうか。」
「元気だなぁ、コアは。」
「その治癒力は脅威だ。」
ルアーとジェラスが軽く笑ってこっちを見た。
その世界は何だか眩しすぎて、目を背けてしまいそうになった。
「いこっか。」
「あぁ。」
セルスが私の隣で小さく返事をした。
この場所を離れて、私達はこれから無謀とも呼べるほどの旅に出る。
伝説を刻みに行くんだ。
今は心からそう思う事ができる。
私はおじいちゃんにも負けない、ドラゴンマスターになりたい。
それはおじいちゃんとエルクーナのためではなく、ルキアと私自身のために。
セルスの言葉はいつだって人に大きな力を与える。彼の言葉に私は何度も救われた。
「紫苑の花の咲いている場所、トレスが知ってるんだよね。」
「え、あぁ、まぁ一応。」
「それじゃぁトレス、行こう。一刻も早く王を探しに。」
ルキアの背に乗ると、まるで今までとは全く違う好奇心が心を巡っていた。
全ての行動に意味があり、未来があり、希望に満ち溢れているようだった。
立った一言で、人はここまで大きく変われてしまう生き物で、それは時にとても怖い事だ。
「あぁ。」
トレスの言葉を合図に、バッとルキアが羽を広げた。
それからゆっくりと上下に羽を揺らして、風を起こしながら地上を離れる。
地上から離れるその一瞬、体はすごく軽くなり重力を感じないほど軽くなる。
心の中に濁りきっていたものも全てを捨てて、私の身ひとつで空を目指しているように。
言葉ってのは本当に、魔法みたいにすごいものだ。
もしかしたら、魔法なんかよりもずっとずっとすごいモノなのかもしれない。
「トレスはどうして紫苑の花が咲いてる場所を知ってるの?」
「私か?言ってなかったな。私は一応アカンサス出身の魔術師だからな。」
「そうなの!?」
「あぁ、ずっと昔だけどな。」
「そう。お父さんとお母さんは元気?」
「さぁな。母は死んだよ。」
「そっか。その紫苑の花が咲く村に、金の髪をした男の子とかいなかったの?」
「いたな。私よりすこし年上で、綺麗な金の髪だった。」
私はトレスのその言葉に、心が躍った。早くもその情報をえて、王を迎えられるような気がしたから。
ルキアの背から覗き込んだ場所に広がるのは、荒れ果てた土地。
けれど、目を閉じればそこは緑でいっぱいになり、畑が一面に広がって、子供の楽しそうな声が聞えた。
もうすぐそばで、待っている未来。誰もが長く待ち望んだ未来が、私達のすぐ傍で待っている。
「あいつが王かもしれないんだな。」
「そうだね。」
「母に見せてやりたい。この国が輝きに満ちる未来を。」
「お母さんのこと、大好きだったんだね。」
「あぁ。この指輪も母がくれたんだ。」
ルキアの隣を箒で飛ぶトレスが右手を私に見せた。
その右手の薬指には金の指輪がはめられている。その輝きに私は綺麗だという感情を抱いた。
その感情があまりにも大きすぎて、私はその指輪にかけられている魔法にきづくことはなかった。
風に揺れるトレスの綺麗なブラウンの髪は、太陽を反射して少し赤く見える。
絹のように綺麗な髪が、1つに結われて揺れていた。
「綺麗だね!!」
「あぁ、ありがとう。」
もしもあの時、あの指輪にかけられた魔法を見つけることが出来たなら未来はすぐに現れたのに。
もしかしたらその指輪の輝きは、見る者を魅了し、その魔法に気づかせる事がないのかもしれない。
それほど美しく輝く指輪を、トレスはとても大切にしているようだった。
綺麗だというと、彼女は小さくありがとう、と言って微笑んだ。
その笑顔はとても可愛いもので、いつもは凛々しいトレスの横顔が恋する女の子のように頬を染めていた。
ルキアが小さく声を出して、風が優しく吹いてきた。
未来は遠く、未来への扉はすぐ傍で私達を見ていたのかもしれない。
空はまるで平和を表わすように輝きに満ちていて、雲は白く空を見せている。
こんな空をおじいちゃんは飛んでいたんだ。
誰かのためじゃなく、自分の意志で空を飛ぶってとても気持ちいい。
目指していたものに一歩近づくんじゃなく、目指したものを越える場所に一歩近づく気がして。
「王を見つけよう。」
「あぁ。」
「それでこの国を救おう。」
「あぁ。」
自分のために飛んで、誰かのために飛ぶ。
そう思った瞬間に、空はそこにあるものではなく、どこまでも続くものになる。
だから空を飛んでいたいと思えるんだ。
目指すものは遠く、目指すものへの道はすぐ傍で見守ってくれていた。
私はずっとおじいちゃんとエルクーナを目指していた。
だけど、本当に目指していたのは真のマスター。他の誰にも変えられない、マスター。
その夢はこんなにもすぐ傍で、微笑んでいてくれたように。
きっと眩い未来は遠く、その未来への扉はすぐ傍で微笑んでいる。
鍵を探して、扉を開こう。それは途方のないことのようで、本当はとても小さな事なんだから。