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第85話 :セルス

「私、コア。あなたの名前は?」


彼女と出会ったのは、もうずっと昔の事だ。

俺はまだ家に縛り付けられて、感情さえ捨ててしまっていた。

そんな俺の前に何のとりえもなさそうな、中級かまたは下級階級の少女が立っていた。

短い髪が風に揺れて、温かな匂いを俺に運ぶ。


「あなたの名前は?」


俺と同じくらいの少女。何も知らなさそうな馬鹿な顔をして立っている。

俺は家の外の雑木林を散歩中に彼女と出会った。秋の落ち葉を頭にいっぱいつけて、頬を染めながら聞いてくる少女。

俺はしばらく黙り続けているだけで、他にすることといったら彼女の眼を見ていたくらいだろうか。

澄んでいて真っ直ぐで強くて、けど俺は気づいた。俺と同じだと。


「触るな。」


俺についた葉を触ろうとしたその小さく白い手に俺は冷たく言った。

それが俺の少女に発した初めての言葉。彼女と出会ったのは落ち葉が舞い散る秋の夕暮れ。

空いっぱいに赤い色が塗りたくられて、眼を背けてしまうほど眩い光が辺りを照らしながら空から消える。

その景色はとても暖かくて、冬の訪れを必死に隠しているようだった。

だから俺はその秋という季節が一番好きだった。

そんな秋と言う季節が過ぎ、冬が来て、春が過ぎて、夏が過ぎて、彼女とであって2度目の秋を迎えた頃、

俺や彼女の背はうんと伸びて、世界のたくさんのことを知り始めたころだった。


「セルス、毎日毎日遊んでばかりいてはいけません。貴方はオリーバスの次期頭首なんですよ。」

「はい、母様。」

「最近、町外れに住む娘と遊んでいると聞きましたが本当なの?」


遊んでいるというよりは、着いてこられているだけの気がした。

それでも目の前に立つ母様と俺以外の誰もいないその暗い部屋で、口答えをする気分にはなれずに頷いた。

その瞬間、パンッと乾いた音がして、俺の視界は右へと反れ、ジンと頬が熱くなった。

それは愛の温かさでもなんでもなく、ただ白く細い手が俺の頬を殴っただけであった。


「セルス!いいかげんになさい!あなたは自分の立場をわきまえるべきです。

父を継ぎ立派な貴族の息子となるために、私がどれほど・・・。

それを町娘なんかに、壊されてたまるものですか!いいこと?もう二度とその娘と会うことは許しません!」


ジンジンと痛み始めた頬にそっと手を当てると、熱い熱を持つことに気づいた。

上から俺を見下ろしてくるその眼はまるで、炎を青くたぎらせているように輝いていた。


「・・・・」

「わかったのなら、返事をなさい。」

「・・・・」


はい。―――――――いつもなら言えたことだった。

たった二文字の簡単な言葉。ただいい子に頷いていれば、それでよかった。


「セルス!」

「・・・」


分かりました、母様。それだけで全ては丸く収まったはずなのに。

何故だかその言葉だけは出なかった。

会いたいだなんて思うはずがないのに、頷くことは出来ずにそっとその部屋の扉に触れる。

ギィと小さく音を立てて扉を閉めると、母はそれ以上追って来ることはなかった。


「セルス〜!!」


思い扉を何度も開き、ようやく風の流れを感じられる外へと踏み出し歩き出した。

しばらく歩いた野原で横になっていた俺に、明るい声が響いてきた。


「・・・」


頬はまだ熱く、その声に返事をする気にもなれずに俺はそこに転がっていた。

草が風に揺れると足音さえ消し去るほど音を立てた。緑や茶色の草がゆらゆら揺れる。

風が止んだ時、ガサッと一際大きな音がすぐ傍まであの声の持ち主が近づいているのを知らせた。


「ここにいたんだね。」


草の向こうに少女の笑顔が見え、その後ろには夕焼けに染まり始めた薄いピンク色の空が広がっている。

雲はゆっくりと流れているだけで、そこには少女がいるだけ。


「あぁ。」


声を漏らせば、その世界が壊れてしまいそうで小さく呟いた。

その言葉に少女はそっと横になる俺の隣へと腰をかけた。


「・・・ねぇ、セルス!」


俺を見ていた眼をそっと反らしてコアが空を見ながら名前を呼んだ。

それからコアは俺の返事も聞かずに、言葉を続けた。


「世界の大きさ、知ってる?」


空を見ていると自分は何とちっぽけなんだろうと思ってしまう。世界はどこまでも広い。

俺はコアの問いに小さくコアの座る方へと顔をずらしてその顔を見た。


「世界って広いよね!どれくらい大きいか知ってる?」


どうしてそんな事を聞いてきたのかは全くわからない。そのため俺はせめてその答えだけでも答えたかった。

頭の中の知識の中から関係しているものを引っ張り出すように俺は言った。


「たしか直径約12000kmくらいだったっけ・・・」


半径は約6000kmで、球形のこの世界には幾つもの国がある。

そしてその中でも俺達が住んでいるのはプーシャという大きくも小さくもない国。

しかし俺やコアの大きさに比べればとんでもなく大きな国だ。そんなこの地でコアに出会えた事は運命に匹敵するもの。

そう思ったとき少女はうんッと手を伸ばして、短い腕と小さな手を精一杯に広げて言った。


「それって、これよりも大きいの?」


風が吹く。

空は赤く染まり、また秋の匂いがしていた。


「・・・は?」

「セルスの世界は大きいんだね!!」


俺はただあの家から離れて、自分の世界へ飛び込むのが怖かったんだ。

何も知らずに、何もせずに唯座っているだけで、あそこにいれば世界が出来ているから。

だけどそれは違う。あそこに座り続けて、ただ頷いて、はいとだけ言っていれば得られる世界は、俺の世界ではない。

俺以外が得られることのない世界ではなく、誰でも得られる世界。その世界はとても小さくて、俺を大きく感じさせてくれる。

だから俺はあの家で座り続けていた。そう、分かっていたからただ頷いていい子であり続けた。


「私の世界はまだ、すっごく小さいの。」


そんな俺の前にたった一人の自分以外は得られない世界を持った少女が現れた。

その世界はとても小さなものだったのかもしれない。しかし俺には充分すぎるほど大きかった。

俺のすぐ傍で待っている世界は、とても小さくて俺を大きく見せてくれるから安心していたんだ。

俺はただ、その安心できる場所から進みだす事を恐れていただけ。


「どうすれば・・・俺の世界ができる・・?」

「え?」

「俺は俺の世界が欲しい。他の誰も得ることの出来ない世界。」

「そんなの簡単だよ。今自分のしなくちゃならないことの中で、一番難しいことをするの。」


簡単んだと言った。それは答えが簡単なだけであって、行動するのは難しい。


「あぁ、そうか。」


それでもいいんだ。俺にとって小さな世界よりも、自分で広げられる世界を持つことが望みだったから。

俺達が住む世界はとてつもなく広い。その中で君に出会えた。

そして俺達が作る世界はとても小さいが、眩いほどの輝きと広がる力を持っている。

安全な場所で座っているほうが楽なのは分かっていた。けど、俺は望んだんだ。

たとえ危険でも苦しくても辛くても、俺は俺の作る世界を見たいと。


「セルスの世界は絶対広くて大きくなる。今よりも絶対に!」

「あぁ。」


夕焼けの風が草を揺らす野原から俺は静かに立ち上がった。

歩くたびにガサガサと音を立てる草達を掻き分けて、ようやく自分の眼が映す俺の世界を見ていた。

赤い夕日は空を照らす。広く広がる空を優しく暖かく。吹く風は穏やかで少し冷たい。

もしも冬が訪れても、この野原が枯れても、夕日は二度と見れなくなったとしても、俺は選んだだろう。

自分の世界を創る道を。


「俺はここを出ます、母様。」


扉はもう重くない。世界は輝きに満ちていて、扉の向こうは希望にあふれていた。

その扉が開いたとき、部屋が暗くても何も恐れることはなかった。

すぐそばにあった世界が崩れても、もう怖くない。俺には俺の世界が待っているから。


「俺はここを出て、ドラゴンマスターを目指します。」


ずっと心のどこかで風をわたる日を夢見ていた。椅子に座っているのは退屈でしかたなかった。

もしも俺の生きる場所がここなら、俺はこれからさきも我慢して生きていかなければならないのだろうと思っていた。

けど、俺の生きる場所なんて俺自身でいくらでも変えられたんだ。

たった一人のマスターが、俺を魅了し続けていた。彼の見る世界を見てみたいと思っていた。


「父さん、俺はあんたの創った世界なんかいらない。」


それが答えだった。彼女の聞いてきた問いへの唯一の答え。俺は俺の世界を得るために、今ようやく進み出せたんだ。

今の自分がしなくてはならないことの中で、一番難しい事をした。

母様と父さんの猛反論を押し切って、俺は何も持たずに家を出た。そしてあの学園へ入学した。

親なしの子として俺は園長に世話をしてもらって、初めのうちは大変だった。

周りの生徒達も皆、俺に嫌悪の眼を向けていた。それでもたった一人、コアだけは違った。


「セルスの世界、いつか一緒に見てみたいな。」


温かな陽だまりがその声によって俺の世界に描かれる。

そこは一面花畑に変わり、曇りでも雨でもなく、いつも晴れ続けていた。

花は枯れることもなく、風は止むこともなく、日はかげることもなく、そこだけは楽園のように存在していた。

彼女がいるだけで、俺は何も怖くはなくなる。俺の世界は安心して広がれる。


だからあの言葉を忘れない。


『世界の大きさ、知ってる?』

『世界って広いよね!どれくらい大きいか知ってる?』


俺の全てを覆したあの言葉を。


『それって、これよりも大きいの?』


あの時広げられた彼女の腕いっぱいの大きさを。

その大きさよりもずっと小さかったか、もしくは存在さえしていなかった俺の世界を与えてくれた言葉。

今も尚俺の世界にその花畑は存在し続ける。

ちっぽけな俺にできることは、せめてその花が枯れないように水をやるだけ。

常に進み続ける彼女に翻弄されながら、俺はそれでも少しずつ、少女の眼の奥に隠れた闇を探していた。

そしてその闇に触れようか触れまいか、悩み続けて今ようやく手を伸ばした。

花畑を壊してしまうのかもしれない。しかしその思いはあの時と何も変わらない。

安全を失う怖さで座り続けていた、あの頃と。だから俺は手を伸ばすんだ。


今自分がしなければならないことのなかで、一番難しいことをする。

それが俺の世界の存在する術なのだろう?それは何においても変わらない。

君の闇に触れよう。その先に何があっても、俺は必ずその闇から君を助けるよ。

俺を闇から救い出してくれたあの日の君のように。

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