第78話 :セルス
暗い雲が覆う南の空から、強い光が放たれた。
その白い光はまるで、夕焼け空から姿を消す一瞬に太陽が放つホワイトホープのようだった。
白い光が願いを照らすという意味でホワイトホープと呼ばれる、その光が見えるには、まだ時間が早かった。
空の真上には輝く太陽が見える。なら、あの光は何なのか。
「南のシュランという村を知っていますか。」
「え?」
「あの方角にあるのは、シュランという村だけ。
しかも今の光・・・あれは魔術師のものではなく、ドラゴンマスターの出したものですよ。」
空を緩やかに浮いている俺の隣で、マティスが言った。
マティスは医者を目指しているため、魔術師が使う魔法とマスターが使う魔法の違いを知っている。
そのマティスがそういうのだから、確かにマスターの者なのだろう。しかし今、この地は戦争真っ只中。
貴族であるベーレ家とハデス家が王座をかけて争い合っているのだ。
そんなこのアカンサスで、マスターの放つ魔法が見えたからと言っておかしくはない。
「じゃぁ、今あそこは戦っているのかもな。」
「・・・セルス?」
俺の声は全くの興味を示さずに響いた。その言葉にマティスだって気づかないはずがない。
しかしどうしても、どうでもいいと思ってしまう。自分には関係ないと、遠ざけてしまう。
コアと出会って一緒にいて、少しは変わったかもしれないと思っていた。
でも、実際は何も変わりはしない。
「貴族の気まぐれに巻き込まれる者は、いつだって不幸を背負って生きていくんだ。」
嫌な感情が心の中に広がっていく。黒くて重くて暗くてじめじめとしている感情が。
この感情を捨てるために、俺は何年もかかってここまで来たのに。
この感情から逃れるために、あの家を出たのに。どうしてまた、俺を苦しめる?
「セルス、私が言いたいのは・・・あのシュランの村はドラゴンマスターを憎んでいると有名な村なんですよ。」
「・・・・マスターを?」
マティスの言葉にすがりつくように、その感情を無視する。
そうすれば全てを忘れて、また笑えるのだ。あの頃の記憶を全て忘れて、唯ここに立っていることだけを考えられる。
コアに出会う前の俺の記憶なんて全て消えてしまえばいいのに。
コアと出会ったあの日に俺は俺として存在し始めたのだから。それ以前の記憶なんて何もいらない。
「10年くらい前のことです。赤い竜がシュランを滅ぼしかけた。
水も流れないあの村に、火は脅威です。その村に赤い竜のマスターは炎をはらった。
しかしそれを救ったのは今は亡き、先代の白竜遣いでした。」
先代の白竜遣いとは、コアの祖父であるアンペス・サーノット。
「しかしそれからと言うもの、村の者は憎むようにマスター達を嫌っているのです。
そんなあの村からマスターの放つ光が出るなんて、いくら戦争中だといえど変です。」
コアの祖父と会ったのは一度だけ。話したのはほんの1・2言だけ。
しかしその言葉は今でも忘れることが出来ない言葉。
その言葉を思い返した瞬間、ブワッと風が南の湿った空気を連れて駆け抜けて行った。
これからどこへ向かう予定もないだろうその一瞬の風に、ほんの少しだけコアの声が聞えた気がした。
「・・・風が・・・・」
運命の神は確かにいる。なら、もしかすると今の風が運命の神だったのかもしれない。
胸騒ぎがだんだんと大きくなっていく。あの白い光はもしかしたらコアのものかもしれない。
「シュランまで・・・どれくらいかかる!?」
「え?・・えっと、ここからだと、約2時間くらいですかね。あの村に行くんですか。」
「コアがいるような、そんな気がするんだ。」
楽しくて明るくて輝いているような声が、一瞬の風にまぎれていたようなきがした。
ただ苦しく痛みを上げるような感情も紛れ込んでいるような。それは唯の思い込みなのかもしれない。
それでも、それでも俺は信じたい。コアと出会った日に吹いた風と同じように吹きぬけたあの風を。
「アル、2時間だけ・・・。あと、2時間だけ平気か。」
『馬鹿いうな。』
俺を背に乗せる黒い竜は、強がるようにそう言った。
『1時間で連れて行ってやる。』
アルはそういうと急にスピードを上げた。体に吹いてくる風が強くなった。
後ろから急いでマティスが追って来る。そんな事も気にせずにアルは猛スピードで南を目指す。
暗い雲がほんの少しずつ近づいてくる。乾いた砂漠のようなこのアカンサスの血にも森のような物があるのが見えた。
鬱蒼と木が生い茂る、そんな森は蜃気楼のようにそこに存在していた。
その森を越えたとき、後ろから追いついて隣に並んだマティスが声を上げた。
「ちょ、セルス!本当に行くんですか!」
「あぁ。」
「あそこはドラゴンを憎んでいる。そんな場所にドラゴンを連れて行くのですか!」
「あぁ。」
「セルス、貴方はそれでもマスターですか!」
『マティス、こいつはマスターだ。俺はこいつを信頼してないわけではない。
こいつはそれでも行くと判断したんだ。だから俺が被害を被ることなんてない。』
ドラゴンとはどこまでお人よしな生き物なのだろうか。
疑うことも知らずに、自分の傷も気にすることなく、ただ主を思って空を飛ぶ。
アルだってそれは同じだ。いくら元気だと言っても、疲れていないといえばそれは嘘になるはずなのに。
それでも半分の時間でつけるように、最大限の力を出して空を飛ぶのだから。
俺をここまで信じているのだから。
「お前は・・・俺が裏切ったらどうするつもりだよ。」
きっと苦しむのに、そう分かっていても疑うことなく信じ続けて。
ドラゴンと言う生き物はどこまでもお人好しで、優しくて、穏やかで、自己犠牲の激しい生き物なのだろう。
人間とはまるでかけ離れた、神の使いのような生き物を人間なんて生き物が従えてしまう。
この世界では、ドラゴンは人に使える生き物だと言うマスターのほうが、断然多い。
けど思うんだ。人間なんかがこんなに清いドラゴンの上に立つ資格なんてない。目の前に現れる資格さえない。
『ふっ、やっぱり馬鹿だな、お前は。』
「パートナーに向かって馬鹿とは酷い奴だ。」
『馬鹿だから、馬鹿なんだ。お前が俺を裏切ることと、俺がお前を信じることは全く関係ないことだ。
だからお前が俺を裏切っても構いやしない。
裏切りだなんて感じる程度の信頼なんて、あいにくだが持ち合わせてないもんでね。』
皮肉の混じったその言葉に、俺は思わず、ほんの一瞬だけだが泣きそうになった。
俺が裏切っても、アルは決してそれを裏切りだとは思わない。その程度の信頼ではないのだと堂々と言った。
どこまでも信じていて、俺をまるで善意の塊みたいな綺麗な人間のように思わせる。
ドラゴンの優しさは、全てを包み込むほど大きなもので、こんな汚れた人間の俺にまで、溢れるほどに与えてくれる。
心が広くて優しくて、人を信じて、誰も裏切ることはない。
「ドラゴンはどうしてそんなに・・・人を信じきれる?」
『はぁ・・・、ほんっとうに馬鹿だな、お前。俺達ドラゴンが信じるのは人間じゃねーんだ。』
そう言ったアルの言葉に、心の中で小さな納得が生まれた。
アルが信じているのは、人間なんかじゃない。そう、神族のドラゴンはきっと神を信じているのだ。
だからきっとこんなにも優しく、暖かく、人間に微笑むことが出来るのだろう。
それなら納得できる気がした。アル達は人間を信じているのではなく、神を信じているのだろう。
「神を信じているから、そんなに・・」
『それもはずれだ。俺達ドラゴンが信じるのは神でも人間でもねー。
一生と言う時間をかけて誓った、我が主だけだ。』
心地いい風が体を包み込んで、それはまるで神気のように清らかだった。
汚れた血も持つ俺を、いつだって受け止めてくれるアルはまるで俺にとっての神だった。
「ドラゴンは、どうしてここまで美しいんですかね。」
青いドラゴンもアルの言葉に、微笑んでいる。
その背でマティスが、そっとその青い肌を撫でながら呟いた。
『お前の傍だけが、俺の目指すものに近づける可能性がある、唯一の場所なんだ。』
黒い肌に赤い眼をしたアルの目指すものは、何十年も前に世界中の空を駆けていた、伝説の白竜。
肌は白くもないし、目だって青ではなく赤だからアルは諦めていたと言った。
それでも諦めきれずにいたところで、俺と出会った。
湖の端に静かに眠るようにしてそこにいたドラゴンは、心の中で俺の名を呼んでいた。
黒くて、俺の足音に気づいてこっちを見るそのドラゴンの眼は赤く鋭かった。
「ならお前の目指すものを与えてやるよ、必ず。」
お前が憧れたのは、あの白い肌でも、青い目でもなく、幸せそうに空を飛ぶ白竜とマスターだろう?
白い肌は与えられない、青い目だって与えられない。けど、アルが真に望むものなら与えられるかもしれない。
『あぁ、頼んだ。』
お前はいつだって俺を信じているのだろう?なら、俺はその気持ちに答えられるだけ答えたい。
俺が裏切ったとしても、決してそれを裏切りだなんて感じることがないほど俺を信じてくれているお前に。
俺が与えられるものなんて、ほんの小さなものなのかもしれない。
けど、お前はその小さなものが欲しくて俺を呼んだのだろう?
もんの小さなそれを与えられるのは、俺だけだと思ったから一生と言う時間を掛けて誓ったのだろう?
だから俺はどんなに小さなものでも、お前に与えてやれるだけ与えてやろうと思う。
俺の一生と言う時間を掛けて、お前が欲しいというものをお前に与えてやろうと思う。
お前が俺に一生の時間を掛けて誓ったように―――――――。