第75話 :コア
心臓がドクンと大きく高鳴った。空は曇っていて、太陽の姿なんて欠片も見えない。
そんな空から、村の中央に白いドラゴンが降りてきたのが見えて、私は走った。
さっきの振動で、村の人のほとんどが家から外に出て辺りを見回していた。
鈍いあの音はきっと大きな大砲。それは予感ではなく、確信だった。
東の村バンセルに放たれた大砲はきっと地面に落ちたら、さっきと同じような音を立てて地面をえぐるだろう。
「ルキア!」
『行くのでしょう?乗って。』
村の人はルキアを見て、騒ぎ始めた。子供を守るように抱きしめる親や、恐れるような目を向けてくる老人。
その目のどれもが、私達を恨み憎んでいるようだった。
「お嬢ちゃん。」
その中からたった一つ、声が聞えた。
私はその声にルキアの体にかけていた体重をそっと地面へと移して、その声の方を見た。
そこに立っていたのは、やっぱりお婆さんだった。
「ちょ、長老!!何を!!」
「黙るのじゃ。」
私を呼ぶように名前を呼んだお婆さんに村の若い人が驚いた。
するとお婆さんは怒りを見せるようにその人に言って、私に一歩ずつ近づいた。
私はそのお婆さんのほうに急いで駆け寄った。
「何ですか?」
「可愛い女子がそんな粗末な格好でいるなんて、どうかと思うがな?」
「え?」
「ほれ。せめて、これを履いていかんか。」
そう言ってお婆さんは私の足元にポンと2つの靴を置いた。
「・・いいんですかっ?」
「伝説のマスターの靴になれるなら、この靴だって喜ぶじゃろ。」
にっこりと笑うお婆さんは、そう言った。
私の足元の靴はとても綺麗で、白い色をしていた。
「・・ありがとうございます。・・絶対・・絶対、この村を守ります。」
涙が溢れ出した私におばあさんはそっと肩を叩いて頷いた。
村の人達は私達をジッと黙って見ているだけで、何もしてくる事はなかった。
「さぁ、もう行かんかい。この村が滅んじまう・・。」
「・・っ・・はいっ!」
土のついた腕に涙をこすり付けて、私は返事をした。お婆さんに背を向けると、ルキアは今か今かと待っていた。
その白い背に走っていくと、ルキアは堂々と白い羽を羽ばたかせ、空へと舞った。
それから私をその尾に乗せると、空を翔るように飛んだ。
だんだんと小さくなる村からは、たくさんの不安な目が覗いていた。その目の中にはたったの1つも憎しみはない。
「ねぇ、ルキア。」
『はい?』
「守ろうね、シュラン。大切な人ができたの。」
『えぇ。』
優しいルキアの声を聞きながら地上の端を見ると、そこには黒い球状の物が地面に突き刺さっているのが見えた。
それだけではない。私の目には何千の兵士が地上を走り、魔術師とドラゴンマスターが空を飛んでくるのが映った。
そしてその先頭には、四角の赤い布に黒の刺繍で蛇が描かれる旗が揺れている。
田畑に炎を放って、村の傍はほとんどが火に覆われている。
そしてそこには逃げ遅れた子供が幾人か、村に向かって逃げているのが見えた。
親らしき村人は細い道を必死に子供の下へと駆けている。
「ルキア。」
『何ですか。』
「右!降ろして!!」
私はその親子が走っている方向を指差した。ルキアはそれを感じとり、体を傾けてその方向へ向かった。
必死で逃げてきた子供をようやく腕に抱きしめた母親が、また細い道を逃げている。
その一瞬、3本の矢がその2人にめがけて射られた。
この場所からじゃ、飛び込んでも間に合わない。私はそう頭の中で考えた。
私だけの命じゃない。ルキアの命も私は背負っている。
「バブルホール!!」
空からじゃどうしても不安定になるその魔法を親子に投げつけて、私は眉をひそめて願った。
3本の矢は魔法により加速する。その瞬間、2人に水色の薄い膜が張った。
その膜に驚く親子に3本の矢はかまわず襲った。しかし、私のかけた魔法がそれを許す事はない。
ようやくルキアが地上へと近づいて、私は地上に飛び降りた。
白い靴が今まで私の足を傷つけていた砂達を防いで、私の足を守る。
「平気ですか!?」
駆け寄ると2人から結界が消え、その場に浮いていた矢がポトポトと地面に落下した。
5つにもならないような男の子は、その恐怖に涙を浮かべて母親にすがり付いている。
母親はその恐怖に耐えながら、わが子を守るように抱え込む。
「ありがとう・・!!」
「・・・・・いえ。僕。お母さんの言う事聞くの、いい?」
「っ・・うんっ・・!」
この場所から村まではとても遠い。きっと子供連れてじゃまた襲われる。
私は急いで頭の中を回転させた。空にはルアーやジェラス、トレスやブレイズが軍目指して猛スピードで飛んでいる。
あの4人にこの人達を頼む事はできない。私だって軍を止めに行かなくちゃならない。
その時、空からルキアがゆっくりと降りてきた。
『コア・・?』
ジッとルキアを見る私にルキアが不思議そうな声を上げた。
炎の手がこっちまで伸びてくる。そのスピードは、ルアー達が空を駆けるスピードと変わらないほど早い。
迷っている暇なんてなかった。拒絶されても、守らなくてはならない。
「ルキア!この2人を背中に乗せられる?」
ドラゴンは主以外を背に乗せることを嫌う。それはきっと本能から来るもので、決してドラゴンは悪くない。
そして主がドラゴンの背に他人を乗せるということが意味するのは、ドラゴンへの冒涜。
『貴女は・・自分が何を言っているのか分かってるんですか・・?』
「ごめん・・、ルキア!でも・・」
『私は・・ドラゴンですよ!!』
ルキアは悪くない。ドラゴンは自分の背中に誇りを背負って空を飛ぶ。
そんなドラゴンに他の人間を背に乗せて飛ぶように頼むなんて、最低な事。
それは分かっている。だけど・・
「お願い・・ルキア。」
他の人を乗せても、貴女は清く美しいドラゴン。それは私が誰よりも分かっている。
だから、どうか助けて欲しいの。
『分かりました。急いでください、火がそこまで来ている。』
きっとルキアは私の心を読み取ってくれた。ドラゴンがそれを許すなんて、本当にありえない事なのに。
ルキアのその返事を聞いて私は2人のほうを見て言った。
「これから私のドラゴンが村までお送りします。・・ちゃんと、お送りしますから。」
「・・いやっ。・・・いやよ・・ドラゴンなんて・・!」
そう、貴方達にとってドラゴンは災いを持つもの。
「ルキアは私のドラゴンです。侮辱なんて許しません。・・子供を抱えたまま走れないでしょう!?」
「・・・それは・・」
『コア、前!!』
いきなり割り込んできたルキアの声に、私は急いで親子2人に背を向けて振り返った。
すると目の前から炎に包まれた矢が一本飛んできた。
「我等を守りたまえ、バリア!!」
間一髪という所だろうか、矢はその寸前で魔法により止まった。
・・ように見えただけだった。
「嘘!」
炎をなくした矢が私達を目掛けて飛んでくる。私の目の前で人を殺させやしない。
たくさんの約束と、たくさんの気持ちを抱えて、私はここに立っているんだから。
だけど、私が抱えるのは私の命だけじゃなく、私のドラゴンであるルキアの命も抱えている。
その命の重さをマスターは背負っているのかもしれない。
魔法が効かない矢はそのまま私達を目指している。
ブスッ”
『コアッ!?』
考えている時間なんてなかった。私はルキアの命を背負うこの命を捧げる事は出来ない。
だけどこの2人を傷つけるわけにもいかない。お婆さんと約束した。村を守ると。
一切被害は出したりしないで、守る。私はそう心に決めていた。
木々が焼ける音と、人の叫び声と、ドラゴンの鳴き声。幾つ物音が私の耳の中に響いていた。
その音を遮って私の耳に聞えたのは、悲しみをひめたルキアの私の名を呼ぶ声だけだった。