第70話 :コア
アカンサスの南と東を領土とするハデス家の頭首は女で、北と西を領土とするベーレ家の頭首は男。
その二つの貴族は事あるごとに言い争っていた。
それはまだ王が存在したときもそうであったように、今でも争いあっている。
「本当に、結構大きいんだね。」
その村の中を案内してもらっていると、幾つかの家屋や、少しのお店さえ見える。
そんな村を歩いていると、村の人からジロジロと視線を向けられた。
「バンセルはそんなに小さいのか。」
「ん〜・・小さいというよりは、大きいけど何もないって言う方が正しいかな。
全部焼けはらわれてた。・・・小さい子は裸足で赤ちゃん背負って、食べ物・・探してたの。」
そんな景色を見たのは生まれて初めてだった。
悲しくて苦しくて、いたたまれないほど辛かった。その感情が気づけば私が持つ全てを渡していた。
何か1つでも彼らにできることはないだろうか、そんな感情だけが私を動かして。
「そうか・・・。けど、これからはこっちを狙ってくるだろうな。
もうそういう情報は入って来てはいるんだ。東がつぶれたから今度は南だ、と。」
「・・・許せない。」
「まぁ、今私にはここを守る事しかできないから、お前は頑張れ。」
な?と優しい目を向けてトレスは言った。そのトレスの言葉に病んでいた心が小さく動く。
トレスは自分は厳しいと思っているだろう。トレスは確かに厳しい。だけど、とっても優しい厳しさで。
まるでそれはおじいちゃんに似ている優しさで厳しさだった。
「ありがとう。」
私がそうお礼を言ったとき、村の人達が急に騒ぎ始めた。
「こんな近くを通るなんてっ!!」
「もしかしたらすぐそこで・・・!?」
「止めてくれ・・っ!そんなの・・ここもついにおしまいかよ!」
その声々に私とトレスはバッと村人の視線が移った先を見た。
そこを通るのは3列に並んだ槍を持ち軍服を着る兵士と、その後ろを馬にのり矢を持ち軍服を着る兵士、
その上を箒を乗る軍服を着た魔術師と、その後ろには色とりどりのドラゴンの背に乗るマスター達が長く連なっている。
「何・・これ。」
村に来て間もない私は小さく呟くと、その横でトレスがそいつらを睨みつけるような目をして言った。
「ハデス家の軍だ。信じられない、こんな村の傍で・・・!ついて来てくれ!!」
それまでゆっくりと歩いていたトレスは急にもと来た道を走って戻り始めた。
私はその小さな声に反応して、その後ろを急いで追いかける。
先日私達の前に揺れた緑の布地に金の刺繍で枠取りされ、
その中心部には羽を広げる鳥が描かれた逆三角形の旗が先頭に大きく掲げられている。
「止めに行く!!」
彼女の背中を追いかける私に、声が聞えた。
なんて強い言葉だろう、私はその時ぎゅっと胸を締められた気分だった。
何を背負ってここにいるのだろうか。そう考えている私の前を走るトレスの1つにくくられた髪が左右に揺れている。
金の綺麗な髪で、きっと髪を下ろすとそれは美しい女の人に見えるに違いない。
どこかの社交界にいてもおかしくないほど、綺麗だろう。
「ルキア!」
私が名前を呼ぶと、大きな空の端に白いドラゴンが映った。
村を出てしばらく走って私がルキアの背に飛び乗ると、トレスも箒に乗り空を舞った。
風が猛スピードで過ぎていく。それだけ早くルキアが飛んでいるのだ。
『何です、アレ。』
「ハデス家の軍だって。今から止めに行くの。」
『分かりました。』
ルキアはそれだけ言うと、長く長く続く列に沿って遠くに見える旗が進む先頭を目指した。
地上では空を仰いだ兵士達が数々の声を上げて、私達を見ている。
その中には屋を構える者もいたが、ルキアのスピードについていけるわけはなく、すぐに降ろしている。
きっとこの間、軍の人達を追い返した事がしられているのだろう。
「本当に早いな、ドラゴンは。」
「私、先に行ってる!」
「あぁ、頼む。」
箒では限度があることを知っているため、私は急いで軍の先頭を目指した。
その視界の横から3人の魔術師がその先頭を目指しているのが見えた。
そのうちの2人は黒い服を着ている。その姿でそれがルアーとジェラスとブレイズであることが分かった。
3人は村の周りの警護をしていたが、きっとこの列を見つけて追いかけたのだろう。
「ルアー!ジェラス!!ブレイズ!」
私が名前をあげると、3人はこっちを見た。
それからルアーが声を上げた。
「箒じゃ追いつけない!お前のドラゴンならすぐだろ!行ってくれ!!」
小さなその声に私は大きく頷いて見せて、空を高く舞った。
そこからもっとスピードを上げるルキアは、すぐに3人を抜いてだんだんと大きくなる旗の下へと向かった。
「ルキア、降りよう!」
『えぇ。』
ようやくその大きな旗を超えて、軍の先頭を追い越して私達はその旗に正面から向き合って、
軍の人達に私の声が届くくらいの場所まで地上に近づいた。
「待って下さい!!!」
私は座っているままではルキアの体に隠れて見えないため、ルキアの背に立った。
その景色は見たこともないくらい高く、広く広がっている。
「貴様っ!!ベーレ家のものか!!!」
「違います!ここに派遣された者です。」
「そこをどけ!そこをどかぬというなら、伝説のマスターでも撃ち殺すぞ!!」
どけと言われて、『はい、どうぞ。』なんて道を譲るマスターが、伝説のマスターなわけないだろう。
それを知っていて、どけと言うのならさっさと打てばいいのに。
「どきません!!」
私の声に進んでいた軍が止まった。
ルキアは私の心に従って、ゆっくりと地上に足を下ろし、軍の前に立ちはだかった。
最後尾まで何千という兵士が連なっている。その列はゆっくりと止まった。
「貴様・・!こんな子供が白竜遣いだと!?戯言か。」
「ここを通すわけには行きません。今すぐお帰りを。」
ここで戦争を起こせば間違いなく、シュランの人達は巻き込まれ、
あの村はバンセルのようになることが目に見えている。
そう考えるとたとえ死んだとしても、ここをどくわけには行かない。
「ふざけるな!ベーレの輩がもうじきやってくるのだ!我々は皆を守るために戦っているのだ!!」
その言葉に私はふと考えてしまった。私だって同じじゃないのか。
皆を守りたいからと戦うことを決めて。この人と同じじゃないのか。
そんな私に、この人達を止める権利は・・あるのだろうか。
「どけっ!」
その時、シュッと何本かの矢が私目掛けて放たれた。
私はとっさに手をかざしたが間に合うことはなく、矢は速さを増して私を目指していた。
その矢がもう私に刺さるというその瞬間、私の視界が真っ白になった。
ブスッと確かに何かが刺さる鈍い音がする。
その音が二度、私の耳に鈍く響くとその白い視界がまた元に戻った。
「ルキアっっ!!!!」
そう、私を覆ったのはルキアの真っ白な翼だった。
その翼には2本の矢が刺さって、そこから真っ赤な血が滲み出ている。
『コア、怪我は!?平気ですか!?』
自分の羽を私の盾にして、私を守って傷ついたルキアは私を心配そうに見ていた。
「・・そんな・・ルキア・・怪我してるのに。」
『これ程度の傷は、一日もあれば完全に直ります。・・良かった・・、貴女は平気ですよね。』
ルキアは私の体を見てホッとため息をつくと、スッと前を見た。
私が戸惑ったから、ルキアは私を守って傷ついた。
「・・だめ・・・・・ルキアが・・」
自分なら守れるのだと思っていた。それなのに、私はいつだって守られてばかりだ。
ルキアの眼は傷ついてもなお、私を守ろうとしている。
「駄目ッ・・ルキアが傷つく・・!」
それだけは駄目・・と私はルキアにしがみついた。
するとルキアは厳しく優しい目をして私に言った。
『貴女は何をするためにここに来たのですか!私が傷つくことくらいで恐れないで下さい!
私の・・・私の自慢のマスターなんですから!!』
私はあの人達と変わらない?あの人達と同じ?
目的は同じでも、それを得る方法はいくつもあるんだから。
戦う事だけが目的を果たせる方法じゃない。
「ごめん、ルキア。」
「わかったらそこをどかんか!!子供といえど容赦はせんぞ!」
体から神気が溢れるような気がした。
その瞬間にルキアに刺さっていた矢は焼かれたように空気中に溶けて消える。
翼にはその矢が刺さっていた傷跡さえない。
「ルキア、飛べる?」
『コア、貴女・・・。えぇ、乗ってください。』
「もう迷わない。躊躇わない。私は戦わないで、王座に王を就かせる!!着いて来てくれる?」
『はい、どこまでも。』
ルキアはそういうと白い翼を羽ばたかせ、空に舞い戻る。
「初めからそうしていればいいもの。」
先頭に立つ男がそういったとき、私とルキアはその男の連ねる列と私達のあいだに手をかざして叫んだ。
「そこを通過する者は1人としてないように、バリケード!!!」
そう叫ぶと私とその軍の間の地面から青い光の壁が上空にいる私達の目の前まで伸びてきて止まった。
その青い光はゆっくりと横に広がると、まるで地上を二つに切ったように壁を作った。
「な、何をする!!」
「どきません。ここを通したりしません!!」
私が戸惑い、躊躇う分だけ誰かが傷つく。そんな事はもう分かっていたつもりだった。
だけど、ルキアが傷ついたとき、それは私の所為だと改めて感じて怖くなった。
私が一瞬迷った所為で、彼女は私を庇うために血を流した。それがとても悔しかった。
「ごめん・・ごめんね、ルキア。」
『気にしないで下さい。私が死んでも貴女は死なない。だけど、その逆は違います。
貴女は私の命も背負っているんですから。私は貴女がいなくなると困るんですよ。』
「私だって!!ルキアがいなくなったら・・・」
『悔いるくらいなら、その分だけ強くなってください。』
「ルキア・・・」
『命を2つ背負っているんです。私を犠牲にしてでも自分の命を守れるくらい強くなってください。』
どうすれば伝わるのかな。貴女がこんなに大切なの。
頑張れと励まし、迷う私を導いて、いつだってこんな風に守ってくれる。
「ありがとう・・・。約束するよ。強くなる。」
『はい。』
軍はそんな私達が作った壁を無理矢理壊そうとしたが、それはビクともせず、しばらくそこに留まっていた。
私は意識を集中させてその壁を張り続け、その場から一歩も動かずに夜を迎えた。
すると軍もようやく諦めて、もと来た道を引き返して行った。
ほぼ6時間ずっと遠方に渡るまで大きな魔法を使ったため、私がその魔法を終えた頃にはもうボロボロだった。
そんな私を背に乗せて、ルキアは優しく空を飛んでルアー達の所へ運んでくれた。
それからルアーたちと一緒に村のはなれにある小屋に向かっていた。
その間中、もうほとんど動かすことも出来ない体で、私は柔らかな風を感じていた。
「ねぇ、ルキア。」
そっと空を見上げると、白い満月が地上を照らしている。
『はい?』
「私だって・・ルキアがいなくなったら生きてなんかいられないよ。」
『はい。』
ふわふわと浮かんでいるだけのように感じるほど、ルキアはゆっくりと空を飛んでいた。
私はその白い背に体を預けて、目を閉じて眠った。