第69話 :セルス
「おい!!セルス!!」
赤い絨毯が敷かれた広く大きな廊下いっぱいに俺の名を呼ぶ声が響いた。
その声に俺は足を止め、俺の隣を歩くマティスとプレンティが続いて止まった。
「パテュグ。」
そんな俺達に駆け寄ってくるのは、大きな体格をした男、パテュグだった。
パテュグは俺の傍まで来ると、一刻も早く息を整えようとして、肩を大きく上下させてこっちを見ていた。
そんなパテュグの右手には、何か紙のようなものがぎゅっと握られている。
「あら、生徒会長さんじゃない。」
「おや、本当だ。今は生徒総会の準備で忙しいとお聞きしましたけど。」
プレンティの言葉に続けて、マティスが続けた。
その言葉にパテュグは二人に目を移して、にっこりと微笑むとようやく口を開いた。
「よぉ、お2人さん!仲がいいねぇ!暇なら準備を手伝ってくれよ。」
その言葉に2人の顔がいっきに凍りつくのが分かった。
プレンティは急いで作った笑顔を見せて、パテュグに言う。
「遠慮するわ、お誘いありがとう。」
「・・仲良くなんかないですけど。」
「それで?俺になんか用があったんじゃ・・・?」
俺をそっちのけで2人と話をするパテュグの眼が、俺の声を聞いて急いでこっちをみると、
その右手にもたれていた紙を俺の前一面に大きく広げると、言った。
「戻ってきたんだ!あの人、フェウスが!!」
その紙の一面には、若々しい男とドラゴンが白黒の写真で載せられている。
もうずっと昔の写真だろうか、着ている服もどこか昔っぽい。
しかしその眼は遠くの空を真っ直ぐ見る強いマスターの眼だった。
「フェウス・・・あの世界のトップに立てるはずだった・・・?」
「あぁ!!あのアカンサスの地で、ずっと村々を守っていたんだよ!」
パッと退けられた紙の向こうには、それはそれは嬉しそうなパテュグの顔が見えた。
それから彼は自分の持っている紙に目を写すと、声を上げてその文字を読んで聞かせた。
「『世界一の座を捨てた男、フェウス・サーノットが今世界に戻ってきた。
その存在を確認したのは、彼が世界から姿を消したあの日から15年近くたった、今日。
彼が姿を消した理由もついに明らかになった。
愛した人との子供を育てるために姿を消し、その子供に会うまであのアカンサスに身を隠していようとしたのだ。』
だとさ!!子供もいたなんて、初めて知った。もしかしたら、ここに戻ってくるかもしれないな!」
魔法新聞とはどこからそんな情報を得ているのか分からないが、嘘は一つもかかれない。
その新聞に記された文に、俺は頭の中でクルクルと回転させた。
「『アカンサス』」
それは唯の偶然かもしれない。そんな考えが頭を一瞬巡る。
それは唯のぐうぜんかもしれない。でも、もしかしたら・・・。
そう思ったとき、中庭から吹き込む風にドラゴンの風を感じた。
「セルス!」
また俺の名を呼ぶ声がして、俺はその中庭に目を移す。
オレンジ色をした子供よりもすこし大きなドラゴンとエメラルドのドラゴンが中庭に足を下ろす。
オレンジのドラゴンの背からチラリと白いマントが見えて、俺は目を見開いた。
「あのお譲ちゃん、こないだの・・・」
「リラ!・・・ロイ!」
「セルス!!私、クラスSへ入ったのよ。」
白いマントを羽織ったリラが笑って走ってくる。
その後ろからエメラルドのドラゴンの背を降りる白いマントがもう1人。
「おめでとう、リラ。コアがそれを聞いたら喜ぶだろうな。」
「だからコアに会いに行くのよ!」
そうだ、コア。彼女はあのアカンサスにいる。それが偶然か、必然か、彼女はフェウスさんのいるあの場所にいる。
戦争が起こり、何もできないで苦しんでいる民のために。
「どういうことだ!?」
「だから、僕とリラはコアの所に、アカンサスに行こうと思っているんだ。」
そう言ったのは、リラの後ろから歩いてくるロイ。ロイもまた、白いマントを羽織っている。
その2人の目は真っ直ぐに俺を映していた。
「アカンサスに・・か。」
「あぁ。」
「そう。もうただ待っているだけが、私にできる事じゃないでしょ?」
「向こうでコアを・・・探すのか。」
あの広い土地で、ただ白竜に乗る少女ひとりを探す。
それはとても危険で、大変で、意味のないことに思えた。
その時、となりでパテュグが口を挟んだ。
「お前も行って来いよ。」
俺がコアのことをずっと心配していたのを、パテュグは誰よりも知っていた。
アルに頼める時は、せめてアカンサスの現在状況を仕入れてもらい、その死者の中にドラゴンマスターが
幼い少女のドラゴンマスターがいないことを願って過ごしている夜を。
「フェウスにも会いたかったんだろ?ちょうどいい機会じゃねーか。」
「パテュグ・・・・」
「コアって、前に言ってた大切な子?」
「あんな楽しそうに話すくらい、その子のこと好きなんでしょう?」
パテュグに続けてマティスとプレンティが言った。
その微笑に、俺はただため息をつくだけ。
「セルスも行かない?」
ドクンとその言葉に心臓が大きく鳴った。
もうずっと見ていない彼女の姿をこの目に映したい、そう何度も願った。
毎日のように見ていたコアの笑顔が、心の中に焼きついて、俺はそれを思い出すことしか出来ない。
あの日はこうなる事なんて考えもしなかった。
彼女と出会ったあの日、俺はただこの少女に巻き込まれていく気がしていただけで。
自分から彼女を渦巻く面倒な事に突っ込む気にはなれなかった筈なのに。
「お前、何に悩んでんだ?」
パテュグの言葉にハッと気づく。
今すぐにでも飛んで行きたいはずなのに、俺はどうしてこんなに悩んでいるんだ。
きっとアルもいいと言ってくれる。この場所に未練があるわけでもない。
まして、この命が惜しいだなんて思わない。
彼女のために使おうと決めたこの命だから、何も恐れはしない。
なら、どうして、俺は躊躇っているのだろうか。
「俺も行きますよ、セルス。」
そんな俺にそう言ったのは、いつも冷静に判断を下し、全く誤算を起こさない男マティスだった。
自分の損得以外でほとんど動かない彼が、自ら俺についてくるといった。
「な、なんであんたが行くのよ!」
「そう寂しがらないで下さいよ、プレンティ。」
いきなり付いてくるというマティスに、プレンティが怒りを見せて言った。その言葉に彼は優しく対応する。
その何だかわけの分からない状況に、俺とパテュグやリラ達はその2人をじっと見つめた。
2人はその視線も気にすることなく、二人の世界を描いている。
気が強い筈のプレンティの眼からはうっすらと涙が伺える。その涙に冷たい筈の男の眼が暖かく微笑む。
「私がついて行けないこと知って言ってるの!?」
「まぁ、そうかもしれませんね。」
わけの分からない状態のまま、ポカンとその2人を見ている俺の隣から声が出た。
「ちょ・・お前等本当に・・・・!?」
「パテュグさんはご冗談でああいう事を仰っていたのですか?」
パテュグはきっと、冗談で2人は仲がいいと冷やかしていただけだろう。
実際俺でさえ驚いてしまった。驚いている場合でない事も分かっていたが、驚かずにはいられない。
いつも喧嘩ばかりしていたふたりが、恋仲だったとは全く知らなかったのだ。
「プレンティがいなくなるなら、こんな所にいる意味もないですしね。
初めに言ったでしょう?俺は元々、医者になるためにここに来た、と。」
そういう彼の目は、優しくこっちを見ていた。
マティスは医学科のマスターの中でも、学年トップの頭脳の持ち主で、
8年かけて修学すべき事をたった3年で全て終えたという証明書も持っている。
それでも尚、この学校に通っていたのは他でもないプレンティのためだったのだ。
「嫌よ!そんなのだったら私は・・・」
「貴女はここを離れて、あの病院でカルティエさんの下について看護学を学ぶのでしょう?」
「・・・でも!」
「セルスが躊躇っている理由はきっと、自分がその大切な人の足手まといにならないか、と言うことでしょう。」
彼の声は俺の心の奥深くに隠れている感情を、見透かすように言った。
その言葉で俺は俺自身が躊躇っている真の理由に気づいた。
コアの力になんてなれるのだろうか、それが恐れていた事だった。
役に立たないだけならいい。しかし、彼女の世話になんてなってしまうなら、行かない方がいいに決まっている。
コアはいつだって自分が傷ついてでも、誰かを助けようとする奴だから。
「だから俺が行くんですよ。セルスが役に立たない分、俺が役に立つならセルスが行っても問題ないでしょう?」
マティスはそう自信満々に言った。
俺の分まで役に立つから、アカンサスへ行けと言ってくれている。
「学んでください、プレンティ。そしていつか、2人で病院を建てましょう。」
「・・・・バカ・・マティス。」
自分の無力さにいつだって気づかされ、そんな自分を支えてくれる人の大切さにいつも心が痛む。
自分は支えてもらえるほどの人間でも何でもないのに。
あのコアが俺を好きだという理由なんて、今でも全く分からない。
そう言えばきっと、全員が言うんだ。今のままでいい、と。
「俺は生徒総会があるから行けねーが、お前の公欠届けくらいは出しといてやるから。」
「セルス!マティスをヨロシク頼むわ。連れて帰ってきてね。」
「あぁ。」
「自分の身も自分で守れないような人間は、人を助ける医者になんかなれませんよ。まったく、心配性な彼女だ。」
マティスは今までに見せた事のないくらい、幸せそうに微笑んだ。
自分にできる事を、今、したいから。
「リラ、俺も行くから。」
「えぇ。ロイも私も、それにセルスのお友達さんも一緒なのよ?平気だわ、きっと。」
「あぁ。」
ロイとリラが笑ってドラゴンに乗った。その時空から黒と浅葱色をした青っぽいドラゴンが舞い降りてきた。
「アル」
「ロスカ」
黒いアルの隣を舞う綺麗なドラゴンは、まるでマティスのように悠然とした浅葱色のドラゴンだった。
そのドラゴンに向かってマティスは『ロスカ』と読んだ。
「綺麗なドラゴンだな。」
「本当、すごく綺麗だわ。」
「ありがとう、セルス。リラさん。」
マティスがリラに微笑むと、マティスの向こうからマティスに声が突き刺さる。
「浮気禁止だからっ!!」
マティスはそのプレンティの言葉に、軽く笑って遠くの彼女に大きな声で言った。
「しませんよ。」
すると彼女はフワリと笑って、その真紅の髪を揺らした。
そんなプレンティから視線をドラゴンに戻して、今度は隣にいる俺にさえ聞えないほど小さな声で言った。
「プレンティ以外を想えるはずない。」
冷静な彼がそういう甘い言葉を言うなんて、よほどプレンティの事が好きと見える。
いつからだとか、そんなことはどうでもよかった。
マティスのその眼は優しく、頬はほんのりと色づいて、彼女を好きだと示していたから。
「行きましょう、セルス。貴方の愛する方の下へ。」
そういうとマティスはそのドラゴンの背中に勢いよく飛び乗った。
それからドラゴンはすぐに地を離れ、空で待つロイとリラの下へと飛んでいく。
しかし俺はマティスのその言葉に気づいてしまった。
「あいつ・・・っ!!」
マティスは本当は、ただコアを見てみたいだけなんだと気づいてしまった。
あんな偉そうな事を言いながら、本当は俺のために行くのではなく、俺が話して聞かせるコアを見てみたいだけ。
そう言われれば楽に思い出せるほど、あいつは言っていたのに。
“セルスがそんなに想うその子に会ってみたいですね。” と。
「ただあいつを見たいだけだろーが!!」
俺はそう叫んで、アルの背にまたがる。
会ってみたいというマティスの言葉に、どうしてか。と問うと彼は決まって言った。
“女子に全く興味を持たない貴方が、唯一溺愛するほどの少女が本当に存在するのか興味がありますから。”
あいつが白竜遣いだとは言っていないため、マティスはコアを、俺の妄想の中の女だと思い込んでいるらしい。
そしてきっと俺はさっきのマティスのような顔をして、コアの前に立ち、その横でマティスにそれを冷やかされるんだ。
それでも会いに行く。冷やかされても構わない。
それくらい俺が溺愛する彼女の笑顔をこの目に映すために。