第6話 :ルキア
夜はいつ明けたのか、ほのかに眩しかった。
今まで朝が来ても暗くてあまり気づくことなんてなかったのに、そう思って顔を上げると、そこには綺麗に晴れ上がった空が覗いていた。
私はこの森のこの場所で始めてこんな綺麗な空を仰いでいた。
きっと彼女が枝を切り落としたのだろう。
光はさんさんと降り注いでくる。昨日の夜、結局彼女は帰ってこなかった。その夜、私は夢を見ていた。
そこには母がいた。自分と同じ色をする彼女は、とても幸せそうで、生きているのかと疑った。
《ルキア・・・いい名じゃない。》
夢の中の母が優しく笑う。もう何十年も見ていなかったその笑顔に、私は言葉を失いかけた。
『・・・私の名前じゃないのよ。』
顔をそらして答える。そんな私に夢の中の母は優しく微笑んで言った。
《その美しい白い翼と肌が汚れているわ。》
少し呆れて笑ったのが分かった。
『・・・ずっとここにいるもの。』
《何が怖い?・・・・・マスターの何が怖い?》
そう、貴女にとっては全然怖くないかもしれない。彼はとても素晴らしいマスターだったから。
けどね、あれから世界はどんどんと変わっていったの。この世界に私が背に乗せられるようなマスターなんていない。
ずっと、そう思いながらこの場所で眠り続けていた私に、母は少し悲しい目をして、それから嬉しそうに笑って言った。
《空は気持ちいい、見ているよりずっと。》
それから一言、《飛んで。》とだけ言って彼女は姿を消した。
目を開けるとそこには光が注がれて、空があって、夜が明けていた。
そして私の傍らには、何も羽織らずにボロボロになったコアが、土や草、小さな枝を体中にまとって眠っている。
ふと最後の言葉思い出し、昔よく母が言っていたのを思い返す。
《空は気持ちいい、見ているよりずっと。》
私は空を飛ばないけれど、母は飛んでいた。
そして絶対言うの。《そう思うようになったのは、マスターに出会ってからなのよ。》と。
森の奥のこの場所で眠っていた私の前に少女が現れたあの日から、4日。彼女はたくさんの物与えてくれた。
楽しいという感情に、愛しいという感情。大好きの意味や、辛いという意味。そのたくさんの話から彼女はマスターに向いてないと思った。
そして、彼女が目指すものはただのマスターじゃないという事を知った。
《四日後ね、試験があるの。それに合格できなかったら私はゴンマスターにはなれなくなる。
絶対に与えてあげる。ルキアが願うもの、与えてあげる。だからもし、与える事ができたらね。私と契約してくれませんか?》
彼女がそう言った時、私は絶対に与えられるはずないという確信があった。
あの時は、こんな気持ちになるなんて、思ってなかった。
『―――コア。』
あの日から四日。心の中でざわめく思いに、私は始めて彼女の名前を口にした。
『コア。』
「ふぁぁっ!?」
私の声に勢いよく眼を覚ます彼女が、私に驚いた顔を見せた。貴女が目指すのは、おじいさんでしょう?
伝説のドラゴンマスターになるんじゃないの?コアの心の中にある何か真っ直ぐな信念のようなものが、私にどれほど輝きを与えてくれたか。
貴女は私に輝きを与えてくれた唯一のマスターなのに。
『今日、試験でしょう?』
「・・・知ってるよ。」
何があっても、ドラゴンマスターになる。そう彼女の眼は私に語っていた。それなのに、今彼女はボロボロになってここにいる。
今日は、マスターになれるかなれないかの大切な試験の日なのに。
「何も、与えられなかった・・・。」
『え?』
初めて聞くような弱弱しい声に私はうろたえる。彼女の真っ直ぐだった目が地面に向けられ、彼女は力なくそう言った。
「ルキアの願いも分からないし、何一つ与える事もできなかった。」
その眼は私を見ることもなく、じっと地面を眺めている。彼女は私にたくさん与えてくれたのに。
おじいさんの話や、星の話、大好きな人の話、たくさんの出来事。
朝日や、仰ぐことが出来る空。
その全てが私には、他のどのマスターとも違う、特別な輝きばかりだった。
「だから・・・いい。」
何がいいのか、私には分からない。そんなに簡単に諦められることじゃないことくらい、私にだって分かる。
諦めることなんか出来ないはずの夢を、そんな簡単に《いい》なんて言わないで。
「ねぇ、ルキア言ったよね。《ドラゴンマスターが奪うもの》って。《ドラゴンマスターの貴女には与えられない》って。」
下を向いていた眼は、きっと輝きを失ってしまったんだ。そう、私が心の中で少しの悲しみと諦めを覚えたとき、彼女はその眼を私に向けた。
「だから、いいの。」
彼女のその眼は、光なんか失うことなく数日前の彼女の目よりもずっと輝いていた。
その真っ直ぐな信念を映し出す目に、私の心臓は鼓動の音を訴えた。
「ねぇ、ドラゴンマスターじゃなければ、与えられる?」
もう、何だっていい。そんなふうに思った。
貴女が《星になりたいわけじゃない》と言ったのは、星には与えられないものを、与えられたらそれでいいと思ったからでしょう?
『マスターになるんでしょう。』
揺らぐ私の心を射るように、捕らえて放さない彼女の眼。その目は確かにマスターの眼をしている。
「マスターになるならその時は、ドラゴンはルキアじゃないと嫌なの。」
私は貴女なら、この背中に乗せて空を飛んでもいいかもしれない。
『私が願うのは、自由と真の絆です。』
「自由なんて願うものじゃない。真の絆なんて・・・気づけばそこにある物なんだよ?」
違う。《いいかもしれない》んじゃなくて。母は私に、何を言いたかったのか。
どんな気持ちを抱いていたのか。今、ようやく少しだけ分かった気がした。
――――――私は彼女とこの空を飛びたい。
『―――神風の元に聖火の誓いを灯す――――』
冷たい風が森を駆け抜けて、葉を躍らせて走ってくる。
『汝を我が主とする。―――――マスターコアに絶対の忠誠を誓う。』
喜びと、幸福をもたらす神風の元で。ボロボロで、マヌケ面をして立っている少女の足元に私は頭を下げる。
彼女の目にある優しさと、強さを信じて。
「―――楚に名を与えん。神風のもとに・・・ルキアと命名する。我が名はコア―――――――――――ドラゴンルキアの主なり。」
(ドクン)大きな鼓動が1つ。熱く、熱く、胸を焦がす。風の匂いがする。
空を渡って、森や海や街を駆け抜けてきた暖かな風の匂い。彼女の心の中には、確かに真っ直ぐな信念がある。
契約したこの心にそんな想いが伝わってくるようだった。そのとき、私は思った。
これが伝説のドラゴンマスターの心なのだと。
そして私はこれからずっとこの心と共に空を飛ぶのだと。