第61話 :フェウス
広く広く広がる野原には、黄色の小さな花が一面に咲いていた。
それはまるで絨毯と言っても、過言でないほど敷き詰められていた。
その中で私は空を見上げて横になった。
顔の横に花が揺れている。その花を揺らしているのは遠くから吹いてくる風。
「おーい、フェウス〜。どこだ〜?」
その風が吹くほうから、明るい声がした。
その声にとりあえず返事をして、手を上げた。
「こっちだ。」
「あ、いたいた!!おいで、グレーナ。」
野原を駆けてくるいつもの足音は、今日、違う音をしていた。
その音に体を持ち上げて、ガラリと空から変わった世界を確認して、足音の方へ振り返った。
「フェウス!」
「・・・何だ、クリュス。客人がいるならそう言えよ。」
名前を呼んで駆け寄ってくるフェウスの後ろから、ゆっくりと歩いてくるのは、黄色の花が似合う綺麗な女の子だった。
私はその姿に急いで立ち上がり、体につく草を払って彼女を見た。
「初めまして。」
初めての言葉は、その言葉だった。
何の変哲もない、普通の出会い。しかし、私の心は何故だか高鳴っていた。
「この子はグレーナ、俺の幼なじみ。」
「はじめ・・まして・・。」
「フェウスさん、ですよねっ。」
彼女は俺の顔を見て、俺の名を呼んだ。
人に恋する瞬間とは、こんなものなのかと思った。
クリュスの連れてきた少女は、美しい長髪に、綺麗な目をしていて、こっちを見てくるその眼は
強く真を持つ、揺ぎ無い心を表わした目をしていた。
それから私達は2人で会うようになり、たくさんの話をした。
そんなある時、彼女は私の父に会いに来た。
その父の傍らには、いつでも立った一匹のドラゴンがいた。
「綺麗なドラゴンね。」
「あぁ、あの幻の白竜だからな。」
そう、そのドラゴンは幻と語り継がれた白竜。
父はそのドラゴンに出会うまで、ドラゴンとは一度たりとも契約しなかった。
自分を呼ぶ者と契約したかったんだ、とそう言った。
そして白竜は父を呼び、父は契約を結んだ。
私も私を呼ぶ者、紺のドラゴン、レインと契約を交わした。
「白い色のドラゴンは、こんな風なんだね。」
「あぁ。」
「お父様は伝説のマスターよね。素敵だわ。」
「白竜のマスターは、伝説のマスターだと言われているからな。」
レインの事は好きだったが、白い色ではない彼と伝説を作る事なんて不可能だと、全てを諦めていた。
父のようなマスターになれるはずなんてないのだと、ずっと諦めていた。
そんな私に彼女は言った。
「でも、フェルスのドラゴンと何も変わらないわ。」
その瞬間に風が吹いた。
彼女を好きで好きでたまらない。そんな感情があふれ出す。
「私と、結婚してくれないか。」
その言葉は、思いもしないほどスルリと滑るように出てきた。
「すまない。いきなり・・・こんなこと・・」
「フェウス。」
一生を掛けて、守りたい。そう思った。
彼女の病気のことも知っていた。もう、先が永くはない事も。
それでも、その全ての時間を君を思っていたい。
君がこの世界から・・いなくなってしまっても、私は愛し続けるのだろう。
君の言葉を思い続けて、君のいない世界を生き続けるのだろう。
けど、その時まではせめて、君の傍にいたいんだ。
「私と結婚してくれる?」
その日は空が曇っていて、秋と言う季節により咲いている花はなく、風も少し冷たかった。
しかし私にとってそれは、雲の合間から差す光と、紅に染まり散る葉と、熱い頬を冷ます風となり
きっと生きていく中で、一番と言っていいほどの最高の日だった。
「喜んで。」
私からのプロポーズ、君の返事のプロポーズ。
私達にはその言葉だけで充分だった。
神の祝福も、風の祈りも、そう、他には何もいらなかった。
その日からたった一年。彼女はお腹に小さな小さな命が宿った。
世界から姿を消したままの私と彼女には、女の子が生まれた。
彼女に似て強い眼と綺麗な髪をもち、ほんの少し私に似ている子だった。
「私ね、分かるの。きっと来年のこの日には、この子を抱いていない。」
「・・・・グレーナ・・・。そんな事はない。君はきっと」
「フェウス。ねぇ、聞いて。私は本当にいなくなる。
そうすれば貴方1人でこの子を育てなければならなくなるわ。」
君がいなくなることなんて、考えたくない。そんな感情を必死に押さえ込んだ。
一番辛いのはきっと彼女の方で、私はそんな彼女を支えたかった。
「けど、そうすれば貴方はきっと、空を飛ばなくなってしまう。
そんなの嫌だわ。初めて言うけどね、私は貴方の空を飛ぶ姿を見た時恋に落ちたの。
クリュスと一緒に空を飛ぶ貴方を見た時、その姿に恋をした。
だから、貴方にはずっとずっと・・空を飛んでいて欲しいの。」
子育てくらい、どうにでもなる。
大きくなっていく我が娘に、いつか聞かせてやるんだ。君の話を。
そう思っていた私に、彼女はそんな話をした。
「私が恋した貴方の姿を、なくさないでほしい。」
上を目指す事なんて簡単に辞めてしまえる。
ただレインと老後生活を送るように、愛しい君との子供と私とレインと、空にいる君とで暮らせばいい。
私の考えを伝えると彼女は、優しく笑って首を横にふった。
「お願いよ、フェウス。貴方は空を飛んで?」
その目はいつだって、真っ直ぐだった。
きっとそれは私が一番知っていること。彼女が言い始めたら決して他人の言葉に揺らぐ事はなく、貫く。
そんな彼女の強さに惹かれたんだ。
「貴方のお父様なら、この子を一番に愛してたくさんの事を教えてくれる。
私はクリュス達のところに戻るわ。それで貴方も世界に戻るの。トップを目指して?」
「・・・最後まで、傍に・・いさせてほしい。」
「やめてよ、フェウス。そんなの私が耐え切れなくなっちゃう。」
「それでもっ!!!」
「クリュス達に伝えたいことがたくさんあるの。私がいなくなった2年を埋めてから眠りたい。」
優しく穏やかな目が遠くを見る。
「なら、私もついていく。・・最後の最後まで、君の傍にいたい・・んだ。」
「あぁ、フェウス。私もよ。私も・・眠るその最後は・・貴方の顔を見て、その景色を最後にして眠りたい。」
「なら!!」
彼女の眼にはたくさんの涙が浮かんでいた。
それでも彼女は笑って首を横に振る。それからその細く小さな手を私の頬に伸ばして言った。
「この子と、私のために、世界を飛ぶと約束して?」
「・・・もう・・、トップなんかいらないんだ。君さえ、君とこの子さえいてくれたらそれで・・・」
「じゃぁね、フェウス。私とこの子のために、空を飛んで?
世界に戻らなくてもいい。ただ、空を飛んでその姿を私に見せていて。」
君はきっとこの世の楽園、テパングリュスの地に眠るんだ。
そして、そこから空を眺めるんだろう。晴れやかな空を。
「・・・分かった。・・約束するよ。私は空を飛び続ける。君とこの子のために。けど、二度と世界には戻らない。」
娘の前にも二度と姿を見せない。それが条件だった。
娘を捨てると言うことになる自分が、どの面下げて娘に会えばいいのか。
そんな事を考えるだけで、嫌になる。
だから、私は二度と娘の前に自分から姿を現したりはしない。
「そんなのっ。・・この子が可愛そうだわ。」
「いや、私から会いに行かないだけだ。きっとこの子は会いに来る。
それが私を探してか、そうでないかはしらない。けど。」
覚えているかい?君と出会ったあの日に吹いていた、温かな風を。
小さな黄色の花を揺らして、君のほうから吹いていたあの風を。
あれは運命の神が通って行った風だったんだ。
運命の神は、君と出会わせてくれた。私は忘れない。あの日の風を。
「いつか出会うんだ、この子と。まるで俺と君が出会ったように。」
だからその日までは、会わない。
きっと風が吹いて、運命の神はこの子を俺の下へと運んでくれる。
そう。君を俺の下へと運んでくれたあの日のように。
「・・・フェウス。」
「これは、君が持っていて。離れても、寂しくないように。」
白く小さな手をとって、その上に2つの指輪を置いた。
1つはとても大きく、もう1つはとても小さい。
「これは、俺の指輪。そしてこれは、この子の指輪だ。」
「いつ・・・・こんなの・・、初めて見たわよ?」
「ははっ。秘密で作っていたんだ。俺の指輪には、文字を彫った。
きっと君も気に入るよ。ほら、これと君のも全部チェーンに通して、首に下げていてくれ。」
彼女はとても幸せそうに涙を流して、私に抱きついた。
それから私達はその場所から別れて、自らの道に戻ったんだ。
グレーナが眠ることになる、その日。神の声が教えてくれたんだ。
だから私はその日、レインの背にまたがり、彼女の眠る病院へと掛けて行った。
右の塔の3階に彼女の部屋があり、私は窓から静かに忍び込んだ。
「誰・・!?」
暗い夜に星は瞬き、満月の光だけがその部屋を照らしていた。
長い間聞いていなかった彼女の声が、震えながらに私の耳に響いた。
「グレ・・・ーナ。」
「・・・・・・・・フェウス・・なの?そんな、嘘っ。私・・・神様が・・今日貴方が会いに来るって・・。本当に!?」
「グレーナ、久しぶりだな。少し痩せてしまったな。」
白い頬は少しやつれてはいたが、それでもやっぱり美しく。
病気だと言うのに彼女のその目はやっぱり、まっすぐに私を見ていた。
そんな彼女を照らす月の光が、彼女の涙を浮かび上がらせる。
「会いたかった・・、ずっと・・・、会いたくて・・。」
「私もだ。」
少し冷たい頬に触れると、本物のグレーナだと思った。
「おやすみを言いに来てくれたの?」
そうだよ。君にお別れを言いに来たんだ。
「それもある。」
「他にも・・あるの?」
君が言ったんだろう。“私も・・眠るその最後は・・貴方の顔を見て、その景色を最後にして眠りたい”と。
だからここに来たんだよ。
「いや。それより、指輪の文字、分かったかい?」
「・・えぇ、驚いた。私も同じ事を考えてたの。
『 You are our world core. 』
あの子は私達にとって、世界の中心だもの。どうしてこれをあの子に持たせなかったの?」
「その答え、知りたい?」
「ううん、分かった気がする。きっと・・またこう言うんでしょ?
“運命の神を信じてるから。”って。」
そう、正解だ。
「君と出会えたように、きっとこの指輪もあの子と出会う。」
「そうね。今なら私もそう思える。」
少し静かになった部屋に、2人でただそっと存在していた。
「ねぇ、フェウス。」
その声に私は静かに彼女のベッドの隣へと近づいて、顔を見た。
「何?」
「愛しているわ・・・・。ずっ・・と。ねぇ・・おや・すみなさい。」
ツウと一筋の涙が彼女の目じりから流れた。
「・・グレーナ・・・・?」
もう、彼女の声はしなかった。
「愛している。」
君が目を閉じるその瞬間に君の瞳に映ったのは、私だった。
それが、とてもとても・・・嬉しかったのに、私の目からは涙が溢れて止まらなかった。
君がこの世界から消えたあの日も、君と出会ったあの日も、そしてあの子が生まれたあの日も。
全てを忘れる事はない。そしていつの日か、私の前に現れた愛しい娘に聞かせてやるんだ。
君と私がどれほど愛し合って、あの子を思っていたか、と。