第60話 :フェウス
『白竜を従えし者、歴史を変える者なり。』
その言葉を昔、幼い頃に聞いた事があった。
父の前に跪き、国王直下のマスターになって欲しいと男が言った。
父は堂々と首を横に振ると、その男の前に座り込み、言った。
“私は伝説のマスターなどではないですから。”
しかし父は確かに、その国の歴史を大きく翻すような事をしたマスターだったのだ。
「フェウスさん?」
「ん、どうした?」
「あのっ。えっと、白竜の伝説・・知ってますか?」
そして父が断った事により、その大きな権威と地位を欲しがる事のない、
白竜の選びしマスターこそ、真のマスターであると謳われるようになった。
「あぁ、知ってるよ。その昔から言い伝えられていた事を、たった一人の男が確かな伝説へと変えたんだ。」
「聞かせてもらえませんか?」
兵士達が去った後、残された馬を村の民に分け与え、暮れていく太陽を眺めながら過ごす時間には、
ちょうどいいくらいの話である。
私が憧れたあの父の伝説を継ぐ者には、誰かが話しておいてやってほしい事で、
それを話すなら、私がかって出たい役だった。
「あぁ、構わないよ。」
そういうと少女は優しくというより、少し厳しい顔をして見せた。
その表情に私は少しの疑問を感じたが、伝説を早く知って欲しいという思いに負けて、すぐに消えた。
「伝説の彼は、どんな野生の竜でも操る事ができた、マスターだったんだ。」
森と出会う恐ろしい野性の竜を、いとも簡単に操る事ができた父の背は、いつでも楽しげで、
その背を見ているだけで、早く自分もマスターになりたいと思ったものだ。
全ての竜に愛され、全ての竜を愛していたといっても過言ではない。
「けど、彼は決してドラゴンと契約を結ぶ事はしなかった。
彼はずっと、ずっと探していたんだ。自分の名前を呼び続けている声を。」
「ドラゴンの・・声。」
彼は俺に言った。ドラゴンの声は、主の名を呼ぶためにあるのだと。
そして、自分の声もそうでありたい、と。それももう昔の事だ。
伝説のマスターはこの世界から永遠に姿を消し、今ではもう伝説と化した。
あの広い背中を追い求め、思い描き続けて来た私は、今少しでも近づけているのだろうか。
「そう、声。ドラゴンが何故、声を持つか知っているかい?」
「知ってます。」
はっきりとそう答えた少女に私は驚いて目を見開いた。
「主を呼ぶためですよね。」
「・・・あぁ、そうだよ。いや、まさか、答えられるとは思ってなかったよ。」
「えへへっ。」
伝説を継ぐ者、それがこの少女だというのか。
『白竜を従えし者、歴史を変える者なり。』
あの言葉は確かに当たっているのかもしれない。
しかし白竜遣いは必ず言うんだ。『白竜ではなく、ただのドラゴンだ。』と。
ただ、そう、白い色をしたドラゴンでしかないのだと。
「君もあのドラゴンに呼ばれたのかい?」
「はい。とっても、とっても綺麗な声だったんですよっ?すごく澄んでいて、その声が私の名前を呼ぶんです。」
「私もだ。彼、レインが私を呼ぶ声に不思議と吸い寄せられた気分だったなぁ。」
「同じですねっ!だったらフェウスさんは、その伝説のマスターを継ぐ者ですよ!」
バサバサッと強い風に彼女の羽織る黒いマントが揺れた。
私が求め続けているものを、もうすでに、持っているというのだろうか。
その言葉は、愛した彼女がくれた言葉と同じように思えた。
「伝説を継ぐ者は・・」
「白竜と契約した者だけだとは限りませんよ。どんなドラゴンも伝説を作る力を持ってるんですよ?」
「伝説を作る力・・?」
「はいっ。」
にっこりと笑う少女の上を、白いドラゴンが舞う。
青い瞳に、白い肌、その隣に紺の美しいドラゴンも舞っている。
そうか。ただ、白い色をしたドラゴンなんだ。
今、初めて彼女達が言ったその言葉の意味がわかった気がした。
「そうか・・そうなんだ。」
「フェウスさん?」
彼女のドラゴンは唯白い色をしたドラゴンで、私のドラゴンも唯紺色をしたドラゴンなんだ。
何も変わらない。そう、その色が持つ意味なんて最初から何もなかったんだ。
その意味を持たない白い色に、人は伝説を謳った。
そして伝説を描く者は白竜遣いであると、思い込んでいたんだ。
「君が・・・・・・、君が白竜のマスターでよかった。」
もしかしたら、彼に預けた愛しいわが子が、もしかしたら白竜遣いの名を継ぐかと思っていた。
そんな奇跡のような可能性を微かながらに信じていた。
けど、たとえその願いが叶わなくとも、それでもその名を継いだのがこの子で、他には誰も継げなかったんだ。
継いだのが、この子でよかった。この子以外に誰一人として、継げるものなんて誰もいないんだ。
「まだまだです。伝説を継いで、その伝説を越す事が私の夢ですから。」
「そうか。」
「ぐらぐら〜ってしてた心が、フェウスさんの言葉で、ビシッ!!と決まりました!!」
ビシッ、という音を強調して、彼女は笑った。
覗き込むようにして、こっちを見て笑う彼女は、後もう少し時がたてば、それはそれはグレーナのように
美しく気高い女になるのだろう。
「私、この戦争を終わらせます。もう、決めました。」
それからその顔は真っ直ぐ前を見て、暮れ終わった太陽の端を見る姿が凛として私の目に映る。
その横顔は、すっきりしたというような顔で、太陽の微かな光でさえ、美しい照明として彼女だけを照らしていた。
短い髪も風にゆれ、通っていくその風が、どうにも愛おしく思わせる。
「大好きな人は、私に無理だと言いました。けど、私、ここに来てからずっとずっと迷ってたんです。
ただジッと終わるまで、こんな小さな事をして、それで私は満足なのかって。
だけど、そう。ルキアのパートナーとして恥じないマスターでありたい。」
白竜遣いは言うんだ。『ドラゴンは召使じゃない。』と。
真のマスターはドラゴンと主従関係を築かない。そんなものはいらないんだ。
ただ、一緒にいたいだけ。相手を思っていたいだけ。それは縛られるのではなく、繋がれる絆でありたいと。
「2人には明日言おうと思います。けど、その前にフェウスさんに一番に言っておきたいんで、言います。」
「何だい?」
空が闇に染まり始め、ドラゴンがそっと地へと舞い降りた瞬間。
フワリと優しい風が彼女の方から吹いてきた。その風に流れる髪を押さえる彼女の幼い手。
その風に黒いローブも揺れている。
「私、ベーレ家とハデス家を王座争いから手を引かせに行きます。」
「・・・・・え?」
「この村の人に聞きました。王家の血を継ぐ者が、南にいるかもしれないって。
その人に会って、王座を納めてもらえるようにお願いしに行きます。
その人を絶対に王座につかせて、この国をもう二度と戦争の起こらない平和な国にします。」
「・・・え・・・それは・・本気なのかい・・?」
「はいっ。もう決めました。
絶対に2家と争うことになると思いますし、王家の血を継ぐものがいるかどうかも分からない。
もしいたとしても、断られるかもしれない。だけど。」
その目は揺ぎ無い、信念を強く抱く目だった。
「・・それでも君は行くんだね。」
「はい。それで・・お願いがあるんです。」
どこまでも高く高く飛ぼうとする、大きな翼をもち、強い風を操る者。
君は白竜を従いし者。『白竜を従えし者、歴史を変える者なり。』
「私にできる事なら、なんなりと。」
「村を・・町を・・人を、守ってください。」
最年少でコントゼフィールに入学した頃は、自分にできる事なんて何もないのだと思っていた。
あの広く大きな廊下や教室に、自分の小ささを感じて。
その頃だった。最愛のグレーナに新たな命が宿り、私は知った。
自分にできる事なんて考えている時間なんてない、そんな時間があるのなら少しでも進む努力をすればいい。
何をすればいいのか分からない時は、とりあえず進めばいい。そう思った。
この少女もきっと、今そう悩んでいたんだろう。
自分にできる事なんて何もないのだと、悩み続けて、迷い続けて、ようやく進む決意を抱いた。
「任せておけ。今ようやく、探し求めていた私にできる事を見つけられた気がする。」
「フェウスさん・・・。」
納得するまで今はただ、進み続けようとすればいい。
グレーナも私にそういってくれた。小さな命を宿す彼女は、自分にできる事を既に見つけていて、
それを確かにこなしていたんだ。だから彼女はテパングリュスの地で眠った。
「なぁ、『D137』。」
「え・・あ、はい。何ですか?」
もう太陽の欠片もない空に、星が瞬き始める。
世界から姿を消したあの日も、こんな夜だった。
愛する彼女に誓ったんだ。生まれたわが子のために、空を飛ぶと。
そしていつかわが子に出会う事ができたら、この世界に戻って来ると。
「私の愛した人の話を少し、聞いてはくれないか。」
その我が子には、君の話を聞かせてやるつもりだったんだ。
その前にほんの少しだけ、この少女に話してもいいかい?
君と私との、短い時間に描いた温かな幸せを。