第58話 :フェウス
置いてきた時を、私は今目の前で眺めて生きているような気分だった。
真っ白な白竜が空から舞い降りてくるその瞬間、全ての時は動き出していた事を感じたのだ。
「フェウスさん?」
「・・・ん?」
乾いた土の上を裸足で歩く少女は私を見上げていた。
白竜遣いであるというのに、彼女が身につけているのは指輪の通った金のネックレスと、真っ白なワンピース、
それとその横で不機嫌そうに歩いている黒い男からのもらい物である黒いローブだけ。
その白く細い腕は初めて日に触れて、赤く焼けている。
その上を優雅に飛んでいる白竜でさえ、土ぼこりにその本来の美しさをなくしていた。
「白竜、見た事あるんですか?」
少女は嬉しそうな顔をしてそう聞いてきた。
幼い少女は、あの時大砲に自ら身を投げ飛び込んだドラゴンマスターとは別人のようだ。
平和を望んで、地で神に祈っているのがお似合いというような少女なのに。
「あぁ、あるよ。」
彼女はどうして空を飛ぼうと思ったのだろうか。
白竜はどうして、彼女のドラゴンになりたいと思ったのだろうか。
その気持ちは全く分からないわけではなかった。
私の上を白竜と嬉しそうに飛んでいる紺のドラゴンも、私と契約し、得たいものがあったように、
彼女のドラゴンも何か欲しいものがあったのだろう。そしてそれを与えられるのが彼女だけだと知ったから契約した。
「・・・どうでしたか?」
「どうとは?」
「その白竜とマスターはどんな人でしたか。」
もうあれから10年以上もたっている。
それでも鮮明に思い出せるほど、くっきりと白いドラゴンと老いぼれのマスターが私の憧れだったから。
その白竜は平和が欲しいといっていた。そしてそれを与えられるのが、その男だけなのだと確信したから契約したと。
ドラゴンとはそういうものなのだ。自分を呼ぶ声を放つ人間が、自分の求める物を持っていると知っている。
そしてその男もまた、白竜の求める物を与え、また、自分の望む物を得た。
「憧れてたよ。今でも一番、憧れるドラゴンマスターズだ。」
それはドラゴンマスターである限り、目指す最高峰といえるだろう。
私は今でも追い続けているのかもしれない、と思う時がある。
それでも傍にはレインがいて、私だけを思っていてくれるから、私は迷わず私に出来ることをしてこれた。
「そうですか。」
私の声を聞いて、少女は私に小さく笑った。それはそれは嬉しそうに。
「君は・・・・」
置いてきた時間が、動いていた事にいつか気づくときが来る。
あの日、五月蝿いほどに泣いていたあの子が、流れ続けた時を知らせてくれる。
「え?」
「いや、なんでもない。」
一瞬の風に想いが駆けた。その笑顔がまるで私の愛した彼女に似ていたから。
もしかしたら、今吹いた風は運命の神が運んできた風かもしれないと思った。
「フェウスさんは、どうしてこの村を回っているんですか。」
「この村には少し、思い出があるんだ。でも、回っているのはここだけじゃなく、この周辺アカンサスの村全てだけどね。」
「そうなんですか。他の村はここよりもっと酷いんですか?」
「いや、ここと変わりない。けど酷いのに変わりはないな。」
「・・・、そうですよね。早く戦争を終わらせなきゃ。」
もう5年も続いているこの戦争を終わらせるには、それ相応の力が必要になる。
私に出来るのは村を守る事で精一杯だった。私たった一人では守りきる事ができず、幾つもの村が滅びた。
訪れた先に村があることが、今ではとても幸せに思えてならない。
その村にいた人々がただ、苦しいながらにも生きていて、未来に平和を望み続けている事が幸せだった。
「終わると思うかい?」
強い意志を灯したその目は、両親譲りなんだろうか。
誰から教わるでもなく、空を目指し、高く高くと飛ぼうとする目。
「違いますよ。・・・終わらせるんです。」
そのために来た、彼女はそう付け足した。
流れる事のない強い意志は、自らここへ来たことを教えてくれた。
こんなに幼い少女が、こんな荒れ狂う土地へ自ら足を踏み込ませた。
「白竜がつくわけだ。」
こんな少女だから、白竜は声を上げて名を呼び、少女は白竜を呼び続けた。
あの人に似ている目をしている。厳しくて、意地悪で、でもとても優しく強い白竜遣いだった彼に。
「違いますよ。」
フワリと少女はその目を柔らかくして、また笑顔を見せた。
風が吹いてくる。熱くて乾いたその風に髪の毛を揺らして、少女は言った。
「ルキアは普通のドラゴンです。唯、色が白いだけのドラゴンです。」
空を舞う白いドラゴンをそう言った名も知らない少女。
どうしてこんなに私の胸を締め付けてくるのだろうか。
あの日、彼女が言った言葉が少女と共に空気を震わせて響いた。
“私には唯のドラゴンにしか見えないわ。とっても綺麗な白い色をした、唯のドラゴンだもの。”
「フェルスさんのドラゴンと何も変わらないです。」
“フェルスのドラゴンと何も変わらないわ。”
昔、彼女がまだ私の前で笑っていた頃、そう言っていた。
同じなんだと、ただ色が白いというだけで、何も変わりはしないと彼女は言った。
そのことを忘れかけていた私に、まるであの日の君がそう囁いてくれているような気がした。
「・・・・・・そ・・うか。」
「はいっ。」
もしも彼女の、彼女と私の娘が生きていたのなら、この少女のように微笑んでくれるのだろうか。
もしかしたら自分を捨てた父親など、死んでしまえばいいと恨んでいるのかもしれない。
二度と会いたくなどないと、思っているかもしれない。
そうなる事なんて分かっていたんだ。それでも私は信じようと思った。
彼女と出会った日に吹いた風を運んできた運命の神が、もう一度風を連れて私の前に現れ、愛する娘と出会わせてくれると。
そう信じたいと思ったから、時を置いてきたんだ。
「素敵なマスターを選んだな。君のドラゴンは。」
「ありがとうございますっ!!」
いつか出会えるだろうか。
この少女のように、優しく強い目を持ち、美しい心をもった愛する彼女との娘に。
全てはその子が中心となり、私達の世界は動いていたあの一時がもう一度、流れ出す時が来るのだろうか。
その時まではここで、この少女達と自分にできる事をしていよう。
運命の神はもうすぐそこまで、来ているようなそんな気がするから。