第51話 :コア
『もうすぐですよ、コア。』
背中で眠る私にルキアが優しい声をかけた。
その声に起こされて、学校を出てから3日目の朝を迎えた。
「ルキア、平気?無理してない?」
『私はドラゴンですから。ほんの少し眠ったので、心配ないですよ。』
「そ?向こうに着いたらすぐに休ませてあげるから。」
『気にしないで下さい。』
もう6時間近く空を飛んでいるルキアの声は、少しの疲れを感じさせていた。
その白く美しい羽も、薄汚れながら山を渡り、海を越え、空を飛び続けて疲れ果てている。
もしも私が彼女を選びさえしなければ、彼女の羽は美しく白いままだったのに。
そう考え始めると、彼女が求める真の絆も自由も与えてあげられない自分の無力さが嫌になった。
「絶対、休ませてあげるから。」
風に流されるほどの小さな声は、ルキアの耳には届かなかった。
空の端に見えていた大陸は、この世界で最も早いと言われるドラゴンにより、すぐにその姿を露とした。
「何・・・・・・・・・こ・・・れ。」
そこに吹き荒れる風は、砂埃だけを篩い立たせて通っていく。
木も草も、川も、建物も、何もないその場所をただ悲しげに通っていくのは風だけ。
『ここが、あのアカンサスです。』
「嘘・・・・・・・・・・・だって・・こんな・・・・」
幾つでも生まれてきそうな言葉が、視覚から得られる映像によってどんどん消えてなくなっていく。
目の前に広がるのは、草原が枯れ果てた景色のみ。
「下に、降りよう。」
『え?』
「一度、降りよう?」
風に流されてしまいそうな言葉を拾って、ルキアがだんだんとその地上へと舞い降りる。
緑も何もないその場所は、近づくほどその実態を知らせた。
「・・・人が・・・・・・死んで・・・る?」
『コア。』
空を飛んでいたときには、石や岩ほどにしか見えなかった物が、
この地に下りたとき人の死骸であることに気づいてしまった。
ポツリポツリとしか呟けない私の視界を隠すように、真っ白の疲れきった羽が私を覆う。
「これが・・・私の・・生きてきたのと同じ世界・・?」
『コア・・・。』
「嘘・・だって・・・」
病院もない。人の死骸がそこら中に石っころのように横たわっている。
その場にはたくさんの血が流れ、吹き荒れる風を感じるものなど誰もいない。
そう思うと開いている眼から、ポタリと涙が落ちた。
『行きましょう、コア。』
真っ白の世界のなかで、ルキアの声が響いてくる。
私は唯、何も言えずに私の視界から離れた羽の向こうにもう一度見えた世界を眺めていた。
ルキアの尻尾がゆっくりと私を背に乗せ、その白い羽は急かされるように羽ばたいた。
「どうして・・こ・・んな・・・」
『これが戦争が作り出す世界。』
「ルキア・・知ってたの・・?」
『2度ほど見に来た事があります。でも・・・その時よりも、酷くなっています。』
また目に映るのは綺麗な空と、真っ白な雲が幾つかだけとなった。
「私・・・怖いって逃げてた。」
『仕方ないですよ。アナタはまだ、ほんの15歳の子供です。』
「だけど・・・」
何もない世界にあるのは幾つもの、死んでしまった人達の姿だけ。
「だけど、私は逃げちゃ駄目なの。15年間、こんな事になってるなんて一度も知らなかった。」
同じ世界で生きる人が、どんな苦しみを知って、死と隣り合わせになりながら生きているのか。
そんな事も知らずに、伝説のドラゴンマスターになりたいと言っていた自分が恥ずかしくてたまらない。
出来ることなんかなくても、幼かったとしても、私は知っているべきだった。
苦しむ人がいる事を知らなかったのは、仕方のないことだといい訳なんて出来ない。
「知らないのは、知らない振りしてきたのと同じなの・・・。」
知ろうともしてなかった。
同じ世界で生きている人が、どんな苦しみを抱えているのか。
知ろうもしないのは、知らない振りしてたのと同じなの。
「私は逃げちゃ駄目なの。怖いなんて、言ってられない。」
ここに来てそれが分かった。
セルスともう二度と会えないと思ったときの悲しみを、彼らはずっと抱えて生きてる。
大切な人がいなくなる事の悲しさを抱えて、もう二度と会えなくなる辛さを感じながら生きてる。
「私にしか出来ない事なんてなくていい。そんなのいらない。
だって・・・私に出来る全ての事を、私は・・・・・・しなくちゃならない。」
『私も、あなたの力の中に加えて下さい。』
零れた涙が通った頬を、夏にしては冷たすぎる風が掠めていった。
それはまるで、これから起こる事の悲しみや辛さを教えているかのようだった。