第49話 :セルス
空の端を羽ばたくドラゴンの翼の音に負けないくらい、真っ直ぐにその声は俺の耳まで響いてきた。
「セルス――――――――――――」
ゆっくりと風の抵抗を浴びながら地へと降りるアル。
彼女の声が空を渡って俺に響いてきたんだ。君が俺を呼ぶ声だった。
「やっと会えた。・・・コア。」
「セルス。」
「呼んだんだろ?」
「セルス・・っ。」
「聞えたよ、お前の声。」
「セル・・ッス・・ッ!!!!」
ドンッと強い衝撃が俺の正面から襲った。
その衝撃は暖かく柔らかく、幸せの香りを運んだ。
「お前、さっきから俺の名前しか呼んでない。」
「セ・・・・ルっ・・」
俺の腕の中でコアの声が押しつぶれながら、俺の名を呼んでいる。
彼女は腕の中で涙を、大粒の涙を流していた。
「もっと、声聞かせてよ。」
「セルスっ、セルスッ・・・セル・・・っ」
名前しか呼ばない彼女の唇をそっと塞ぎ、強く抱きしめた。
ここは世界の墓場と呼ばれたエンプティ。彼女の祖父はこの地に眠っているという。
「今日、命日だったな。」
「・・・」
「爺さん怒るぞ。墓の前でなんか泣いちゃ。」
「・・・」
「何?俺がいなくてそんな寂しかったのか?そんな、俺が死んで会えねーみたいな・・・」
言いかけた言葉に彼女はようやくその泣きはらした顔を上げてこっちを見た。
そして、名前しか呟かなかったその声がようやく言葉を発した。
「逆・・・だよ。」
全く意味が理解できず、俺は驚きの眼を見せた。
すると彼女はまた目にたくさんの涙を溜めながらその言葉を補う説明をしはじめた。
「逆なの・・・。セルスが死んで会えないんじゃない。
私が・・・・私が死んで、会えなくなるの・・・っ!!」
その言葉を聞いても、全く理解なんか出来なくて。ただ、彼女の涙に手を伸ばした。
「は?お前が死ぬ・・・?」
「・・・・・・私、今度アカンサスの地に実戦訓練に行くの。」
「実戦訓練・・・て。アカンサスは今戦争の真っ只中だろ!?」
「・・・・」
「お前はまだ15歳なのに!」
「・・・・」
「そんなわけない・・・!!」
ありえない、その言葉が一番似合いそうな気がした。
途方にくれるというよりも、絶望をその目に映してしまったような気分だった。
アカンサスの地では未だ、ベーレ家とバデス家の争いが絶えず、幼い子供から年寄りまでが巻き添えを食らっている。
そんな場所に派遣されるのは、戦争に慣れきったドラゴンマスターや、兵士のみ。
どうして15にしかならない学生の、しかも女である彼女がそんな所へ行くのだろうか。
「なんかの間違いじゃ・・・?」
「・・・・・間違いじゃないの。」
「そんなこと、あるわけない。あんな所で実戦訓練なんか、死ぬのと同じ・・・っ!!」
「・・・・・・・・・」
“逆なの・・・。セルスが死んで会えないんじゃない。
私が・・・・私が死んで、会えなくなるの・・・っ!!”
さっき、コアがそういった言葉の意味が今ようやく理解できた。
「辞めればいいだろ?!断るんだ!!」
「無理だよ。私は、行くって決めた。」
「死にに行くつもりか!?」
「そうだと・・・言ったら?」
その目からは涙が消えて、何か強い信念のようなものが見えた。
しかしその信念とやらの所為で、もう二度とコアに会えないのならなんとしてでも留めなければならない。
「ばかかっ!?お前が行ったくらいで戦争は終わるわけじゃないっ!!」
「分かってる。」
「分かってない!!お前はっ・・・!!」
「ごめんなさい、セルス。」
「お前は俺と・・っ約束しただろ!?」
俺が全てを手に入れて、これ以上ほしいと思うものがなくなったら、隣に立つんだろう?
俺はだから我慢したんだ。君の傍を離れる事を。
全て手に入れ、そしてそれを全て捨ててでも手に入れたい君を迎えに行くんだと決めていたのに。
「ごめんなさい、セルス。私、セルスが大好きだけど・・・」
「結局、お前にとって俺なんかどうでもいい存在でしかないんだろ!?」
どんどん遠のいていく。君は俺よりもずっとずっと後ろを飛んでいたはずなのに。
その距離は上へと伸びて、君は俺なんかよりもずっと上を飛んでいる。
「・・・セルスのバカっ!」
ドンッと強く押し返すと、コアはそのまま草原を駆け下りていってしまった。
たった一人この場所に残された俺は、何も出来ずにただ膝を突いてしまった。
どんどんコアが遠くなる。俺なんかよりずっとずっと世界に近い場所を飛んでいる。飛ぼうとしている。
それなのに俺はただ、嫌だと駄々をこねて彼女の足を食い止めようとするだけ。
『セルスさん、コアは怖がっています。』
真っ白な羽を広げ、ルキアが俺に言葉を投げた。
『コアも怖いといっていました。もう二度と会えなくなるのが怖いと。』
「ならどうしてやめない!?」
『それが逃れられない運命だと言ったら?』
「え?」
『コアはアルファルベーダ学院の試験を受けるつもりなんです。』
「アルファルベーダ・・・ってあの!?」
『はい。そのために、学校から提示された課題が今回の実戦訓練なんです。』
俺には何一つ言ってくれてない。あの試験が難しいために、課題も難しいだろう。
しかし、それは命を並べるほどの価値があるものなのだろうか。
「命よりも・・・そんなに受けたいのか・・・?」
『いいえ。彼女は伝説のドラゴンマスターになることを目指して、そして次期に超えてしまうでしょう。』
「・・・それが?」
『そのために、逃れられない道なのです。いずれ世界を背負う少女になる。私には分かります。
その彼女が、命をかけることを知らずに伝説を得られると思いますか。』
「それは・・・」
『分かってあげてほしいのです。コアは、いずれ全てを背負うのです。争いだって何度でも経験する事。
大切なものをかけて争う事を自ら逃げずに学ぼうとしているのです。』
分かるべきなんだ。けど、分かりたくなんてない。
彼女がこの世界から消えてしまったら、俺はきっと全てを失う。
手に入れる理由なんて失い、ただ生きていくことさえ辞めてしまうのではないだろうか。
「俺から・・・コアを・・奪わないでくれ。」
『セルスさん・・・。』
『セルス。お前は間違ってるよ。』
アルが急に口を挟んできた。
『お前があいつから離れようとしても、あいつはお前を思って引き止めなかった。
それなのに、お前は今、あいつをこの場所に引きとめようとしているんだ。』
「引き止めなければ、死ぬだろ!?」
『セルスさん。私は彼女と契約を結んだ身です。だから、私は命を掛けても彼女を守ります。
私が死んでも彼女は生きていられる。しかし、その逆は違います。』
青い瞳がじっとこっちを見てくる。
『約束します。必ず、生きてコアを連れて帰りますから。だから、コアを追ってください。』
真っ白のドラゴンはその青く染まる目を、コアが走っていったほうへ向けた。
そうだ。俺が離れるときは、俺が決めたときは、彼女は頑張れと背中を押してくれたのに。
俺は今、ロイと同じ事をしているんだ。
「行ってくる。」
信じるよルキア、君を。コアが信じた君を、俺は信じる。
だからどうか、彼女を連れて帰って。それが彼女をここに縛らないための唯一の条件だ。
俺から、この世界から、彼女を奪わないで。
風に乗って君を追いかけていく。君に言わなきゃならないことがある。
君があの日、俺の背を押してくれたように、今度は俺が君の背を押す番だ。
彼女が信じた者を信じて、君に言うよ。 空を目指せと。