第46話 :クリュス
君がかけた魔法は、今だ解けなくて。
私は待っているんだ、いつか誰かがこの魔法を解いてくれる日を。
「父さんが言っていた。自分が無知だから、世界はいつまでも小さいままなんだ。と」
ドラゴンについて調べていた私は、2歳年上の15歳の少年に出会った。
彼はドラゴンマスターをしていて、ハイドンやカルティエ、グレーナとは少し違っていた。
そんな彼と仲良くなり、ドラゴンについて語り合ったりもした。
気が強くて、真っ直ぐで、正義感が強いところなんかはハイドンにとてもよく似ていたが
彼は厳しく冷たく、そのときの私には少し怖い気持ちを持たせる友だった。
そんな彼と世界の大きさについての話をしていた時、彼が私にそういった。
「“自分が無知だから、世界はいつまでも小さいまま”??」
「そうだ。」
「それって逆じゃないの?」
自分がたくさん知っているから、世界は小さく感じるんだ。そのときの私はそう思っていた。
そんな私の言葉に彼は小さく横に首を振る。
「何かを知るということは、その世界を見ることになる。」
「そしたら世界は小さくなるんじゃないの?」
「まぁ、聞け。その世界はただそこにあるんじゃなくて、そこからさらに広がってるんだ。」
足元に広がる土の上に彼は魔法で絵を描いて、私に見せた。
小さな円を中心に、それに少しだけ接している大きな円が幾つも取り巻く。
「こんな感じに。で、何かを知ったらここの接する部分からその大きな円を見れるんだ。」
“ここの”・・と指差されたその場所は、中心の小さな円に接している本の一部。
それから彼は、ここも、ここもと同じように接している部分を指さした。
「これがどういうことか分かるか?」
「わからない。」
小さな質問の答えもわからず、首をふる。
「何かを知るということは、その全部を知ることではなく、その接する部分に立ったというだけ。
またそこから何かを知って言って、その世界を知り尽くさない限りはその新しく見えた世界は未知のままなんだ。」
その言葉にまだ分からずに首を傾げると、彼は笑いながらいった。
「何かを知ることは、新しい世界の一部を見ることだ。
俺等が何かを知る分だけ、世界は大きくなるんだよ。
だから世界が小さい奴は何も知らない、つまりは無知なんだ。」
簡略化されたその言葉を何度も何度も頭の中にめぐらせた。
するとゆっくりとその意味が理解され始め、しばらくたって私はしっかりとその意味を理解した。
「わかった!!そうかぁっ、そういうことなんだね!」
「俺はもっと大きな世界で生きたい。だから、ドラゴンマスターになる。
父さんみたいに伝説をもてるくらいのドラゴンマスターにな。」
その目は輝いていた。私が知っていた他の誰よりも。
**
「それから私は彼とその少女を引き合わせたんだ。」
「少女?」
天使のように美しく、まるで神に愛されたまま生まれてきた少女。
「その子はとても可愛らしくて、神様の愛娘とも呼ばれていたよ。」
「その子と、彼は恋に落ちたんですか?」
「あぁ、そうだよ。2人は恋に落ちた。私自身もそうなるだろうと思っていた。だから2人を引き合わせたんだ。」
あの2人は出会ったその瞬間に何かに糸を繋ぎ合わされたように、恋に落ちた。
それまでどこか冷たいような目をしていた彼はガラリと優しい目になった。
彼の言う、恋を知って新しい世界を見つけたような感じだった。
「けど、運命の神は全てを知っていてその出会いを与えた。」
「全て・・・?」
「彼女は病気だったんだ。しかもそれは、治せる病気じゃなかった。」
それを知ったのは、彼女と彼が私達の前から姿を消す少し前。
2人は私に会いに来て、少しの話を聞かせた。
「そして彼女のお腹には小さな命が宿っていることも、彼が世界のトップを争う学園に入学する事も聞きいた。」
その夜はやけに静かで、風さえも吹いていなくて空には雲も何も無く、空に星が散っているだけだった。
窓から見えるその景色と、2人が刻々と聞かせるその話に私は静かに目を閉じた。
「それから2人はこの世界から消えると言った。」
「え?!死ぬってことですかっ!??」
「そうじゃない。・・・姿を隠すと言ったんだ。」
驚いたセルス君の顔が落ち着くように安心を見せた。
「彼と彼女は私にだけそれを告げると、その夜、空を飛んでいってしまった。」
それから彼らは何の連絡もよこさず、2年が過ぎた春。
彼女は突然、私とハイドンとカルティエの前に姿を見せた。
もう、二度と見られないと思っていた彼女の笑顔が目のまで私達に向けられていた。
カルティエとハイドンは病気を隠していた事と急に姿を消した事で彼女を攻めたが、彼女は唯優しく笑うだけだった。
「誰もいなくなった病室で、彼女は私に言った。」
真っ白の布団を羽織り、ベッドに腰を預けて座っていた彼女の笑顔。
窓から流れてくるまだ少し冷たい風と遊びながら、楽しそうに揺れる白いカーテン。
全てが瞼の裏でくっきりと思い出される。
「“女の子だったわ。”始まりはそんな言葉だった。」
その言葉が意味するものは、生まれた赤ちゃんのこと。
そして彼女の優しげな目が、2年前とは少し違っている事にも気づいた。
「それから、彼女は言った。
“ありがとうを言いたくて、戻ってきたの。貴方がいなきゃ、彼には出会えなかった。あの子も生まれなかった。”と。」
その目はすっかり母親で、もうすぐ死んでしまうというのに生き生きした目をしていた。
私はその目に、ただ驚いた。
「私は彼女に尋ねた。“後悔はしてないのか、しないのか”と。」
その言葉に彼女は少し笑って、小さく首を振った。
それから今までに見たことのないくらい幸せそうな顔を見せていった。
「彼女の答えは簡単だった。
“後悔なんてするはずないわ、今、こんなにも幸せなんだもの。”彼女は笑いながら私にそういったんだ。」
これが子を持つ親の眼なんだ。強くて、真っ直ぐで、幸せそうで。
死さえも恐れずに、全てを受け入れているようなそんな目だった。
けど、それから彼女は少し悲しそうな目を私に向けて呟くように言った。
「“唯、心残りはあるの。・・・あの子の成長を見届けられないことが、一番残念で。”
と、彼女は悲しそうな目を見せて言った。そしてその願いを“私の変わりに、お願いね。”と私に託したんだ。」
彼女は笑った。笑うというよりも、悲しいのに笑顔を作っているようだった。
“あの子は彼の父が引き取って育ててくれると言って下さったわ。”
彼が育てるのだとばかり思っていた私に、その言葉は驚きを与えた。
“それじゃ、彼は!?”
私の質問に、彼女は私を見つめて答える。
“あの子のために、世界を飛ぶって約束した。だから、彼は誰にも知られる事なく生きるって。”
「彼のその言葉は、あまりにも身勝手な言葉だと思ったよ。けど彼女は笑って言った。
“彼が言ったの。『いつか出会うんだ』って、あの子と。まるで『俺と君が出会ったように。』って。”」
その時の笑顔を見て思ったんだ。
君は全ての人にたくさんの魔法をかけて、それを解くことなく眠るんだって。
「そして彼女はテパングリュスの地に眠った。
そして私とカルティエは医者を目指して、ハイドンは私達のために上を目指した。」
ハイドンとカルティエは知らない。
グレーナがその2年間で、大好きな人との間に子供を授かり、育てていた事も。
そして、彼女が私達にかけた魔法を解くことができる少女が、今も存在しているという事も。
「この話は、あの2人にもしていないんだ。」
「どうして?」
「彼女が話さなかったということは、黙っていてほしい事なんだ、きっと。
だから、その話はしてない。今後、するつもりもない。」
いわば、墓場まで隠し通すつもりだった事。
そんな事を黙っていたと知れたら、きっと2人は怒るだろう。
そしてその子を無理にまで探し出して、会いに行くのだと思う。
「きっと彼女は信じていたんだよ。
運命の神と、彼の“いつかこの子と出会う。まるで俺と君が出会ったように。”という言葉を。」
彼女は何も言わなかった。それは、彼の言葉を信じてみたかったから。
そして彼と彼女を引き合わせた運命の神を、信じていたから。
だから私も信じようと思ったのだ。
まだ見ぬ、彼と彼女の愛する娘と出会えるという運命を、そして。
彼女がかけた魔法を、その少女が解いてくれるという未来を。