第40話 :ハイドン
フワリと世界を撫でていく風が、何故だか心を温かくした。
そんな草原にゆっくりとドラゴンは足を下ろし、その後ろでもう一匹のドラゴンが地に足を下ろした。
「ここ、どこですか?」
少女が“ここ”と言った場所は、世界を繋ぐ青い海が良く見える草原で、そこには幾つかの白い墓がある。
その白い花がポツポツと咲いているような景色には不釣り合いな木が大きく生命を示して立っていた。
「ここは生けるべき生命の最後の場所と呼ばれている楽園、テパングリュス。」
「え?ここが!?」
テパングリュスはたくさんの神話や、伝説にも出てきて、この世界では幻だといわれ、また現実に存在する楽園。
生けるべき生命とは、神が愛したままこの地を離れた命のことである。
いわば、死ぬ事が望まれる事の無かった死者の最後の場所。
「その様子だと、ここに来るのは初めてか?」
「・・・初めて・・・だと思います、多分。」
「何だ、その曖昧な返事は。」
「よく、分かりません。来たことはないはずなのに・・・何だかとても懐かしいんです。」
彼女は少し悲しそうな目をした。その後ろで白竜がその場に相応しく空を飛んだ。
「ここに眠っているんだ。この、テパングリュスに。」
「・・・誰がですか?」
「君にそっくりな・・・そうまさに生き写しのような彼女・・・グレーナが。」
もう何年も昔の話だ。そんな昔の話が、未だに心を締付けてやまない。
それほど俺やカルティエ、クリュスにとって大きな存在だった。
「グレーナ・・さん?」
「彼女が亡くなったのは14年前だ。」
まだ俺等が16の頃、彼女は体の事を隠したまま俺等の前から消えた。
それから2年後、急に戻ってきたかと思うと彼女は自分の病気について俺らに話した。
そのときの顔は今でも消えずに、くっきりと覚えている。
この世界に何の未練もないかのように、優しく温かく穏やかで、そう、まさに天使のような笑顔だった。
「俺等が18のとき、彼女は眠るようにして死んだ。」
そしてこのテパングリュスの風が、彼女を呼び、彼女はテパングリュスの元に眠ることになった。
俺達はそのことをどこか予感していたのか、驚きもしなかった。
それが当然の事のように、彼女はこの地に温かく迎えられた。
「その時、俺等には何一つしてやれなかったという後悔が残った。」
「それでカルティエさんとクリュスさんは医者になろうと決めたんですよねっ?」
真っ直ぐとした目も、その温かな笑顔もどこか彼女を思わせる。
そんな少女の顔をじっと見ていた俺は、首を傾げる彼女に急いで返事を返した。
「そうだ・・・。」
全ては彼女から始まった。
俺があの場所に立とうと思ったのだって、彼女の死から医者を目指したカルティエが悲しまないようにと思ったから。
もしも彼女が俺等と出会っていなければ、全ては始まりもしなかったんだ。
「彼女は、俺に言ったんだ。」
そっと白い布団のなかで、彼女は笑いながら言った。
それはまるで天使の囁きで、俺にとっては奇跡の出来事のように思えた。
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「どうして黙っていた!!」
「そんなに怒らないでっ、ねっ?」
「怒るっ!!当たり前だろうっ!?何も言わずに2年間も連絡1つしないで、
それで急に戻ってきたかと思ったら体の事をずっと黙ってたなんて!!」
どれほど心配したと思っているんだ。そんな思いをぶつけた。
彼女は俺のそんな怒りを何も言わずに唯優しく受け入れるように笑った。
「ごめんなさい。心配かけることは分かっていたわ。それでも、いえなかった。」
「2年間も、どこで何してたのかくらい・・・」
「ごめん、それも言えないの。」
「どうしてだっ!」
「ねぇ、ハイドン。時間を元に戻すことなんて誰にも出来ないわ。」
彼女はとても温かな目を俺に向けて、そのベッドから見つめてきた。
その目は2年前に見た彼女の眼とは少し違っていて、俺とは違う世界を見ているようだった。
「でもね、だからこそ今と言う時間を、ここに存在する全てを大切に思えるの。」
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「たった2年で、彼女の眼はずいぶん変わっていた。たくさんの事を得たような目をしていたんだ。」
「私も、そのグレーナさんに会ってみたかったです。」
俺は一瞬強い風に目を閉じ、それからその少女を見た。
その瞬間幻のように、その背に天使になった彼女が、グレーナがはかなく笑いながら立っているのが見えた。
「・・・・・・・・・・!!」
「どうしたんですか?そんな驚いた顔して・・・?」
「い・・っいや。・・・なんでもない。」
その瞬間に、俺はその全てを悟った気がした。
彼女の微笑みも、あの目の優しさも、彼女が見ていたものを、今目の前に見ているような、そんな気がした。
「いつか、その真実と出会える日がくる。」
「え?」
不思議そうにこっちを覗き込む少女に、俺は軽く首を振って、何でもない。と呟いた。
たった2年で、彼女が見つけたものを、俺はこれからカルティエと見つけていくんだ。
二度と戻れぬ時に生きる俺達の、今と言う時間を、ここにある全てのものを大切だと思える何かを。