第39話 :カルティエ
「ここ、今ではこんなに大きいけど、昔は平屋の一軒やだったの。」
隣で座っている少女に私はそういった。
目を閉じれば、思い出そうとしなくても浮かび上がるあの日。
「どうして、どうして人は人をこの手一つでは助けられないのかしら。」
「え?」
「昔、コアちゃんにそっくりな子がいたわ。私もクリュスもハイドンも彼女が大好きだった。」
野原を駆け回る鳥のように、自由で綺麗で、私達と同じ人間だとは思えないほど美しかった。
「けど、彼女は死んでしまった。」
天使のように、幸せそうに笑いながら、いとも簡単に私達の目の前から飛び立って行ってしまった。
「そのとき、私は医者になろうと思ったの。何も出来ない、その悔しさをもう二度と味あいたくなかったから。」
「そうなんですか・・・。」
全ての人を救いたかった。もう二度と、あんな思いをしたくなかった。
それから私は医者になって、たくさんの人を助けようとここに来た。
「ここは医者のいない村と呼ばれてたの。」
「え?」
「病院もなくて、医者もいなかった。だから、私とクリュスはこの場所に病院を立てた。」
その時は救えると信じていたの。私の手で、たくさんの人の命を救えると。
「だけど、・・・昔は今と違って、国からの資金援助は全くと言っていいほどなかった。
私にはここの人を救えるだけの器材を買うお金もなかった。それなのに、ここにいる人は皆、医者に見離された重体者ばかり。」
苦しくて、苦しくて、私はもがく事さえ出来なかった。
誰かが助けてくれと手を伸ばすのに、私はその手を掴む事さえできなかった。
「どうして国は資金援助をしなかったんですかっ!?」
「・・・予算の枠に医療と言う文字は無かったの。」
あの時の国は、医療に何の興味も抱いていなかった。
医療にお金を掛ける事は、ただお金をどぶに捨てているような物だと考えていた。
「え!?でも、今は・・・」
「そうね、今は予算の大部分を医療関係が占めているわ。」
そうしてくれたのは・・・・・・・・・ハイドンだった。
「ハイドンがどうして総予省長官なんてしてるか、知ってる?」
私の問いかけに彼女は首を小さく振って、不思議そうに見てくる。
「彼はたった8年で、あの場所まで上り詰めたの。
総予省以外の省長官は皆50歳以上なのに、彼が省長官に着いたのは彼が28の時だった。」
あの若さにして、あの場所に立つのはかなり大変なことだった。
あの頃はまだ幹部でしかなかった彼が、あの若さであの場所に上り詰めた。
「それは国を変えるためだったの。この国の国民を、医者を助けるためだった。」
“もう嫌・・ッ・・”
土砂降りの雨の中、崖から落ちてしまった少年を助けに行ったのに。
私の手には何一つできることが出来なかった。痛い痛いと嘆く少年の手を握り、大丈夫としかいえなかった。
“これのどこが医者なの・・っ!私は・・・医者なんかになっても何も出来てない・・・っ!”
救いを求める手に何一つしてやれることはない。
“・・・・辞めたりするな。俺が、俺がこの国を変えるから。”
土砂降りの雨の中から、彼の声だけが響いてきた。
その五月蝿い雨の音も全てを無音に変えて、彼の声だけが私に響いた。
「まだ20歳だった彼が私達に言ったの。
“この国をお前等医者が全力を尽くして、助けられる国にしてやる。だから、辞めるな!”って。」
それから彼からの連絡は何1つ来なくなった。
そして8年がたった時、テレビに映し出された予算会の一番上の机に彼が立ってた。
「それから8年後の予算会、彼はテレビと議員の前で叫んだの。
“この国を医療の最先端に立たせて見せます。そのために今年の予算はその4割を医療関係費に当てる事とします!”ってね。」
もちろん、議員の9割・・・つまりは総予省以外の全ての部署が反対についた。
それでも彼はその意志を曲げることなく、その予算を国に提出した。国王は彼の提案に何も言わずにそれを受け取った。
「知りませんでした・・・。」
「彼はその話をしたがらないの。」
それからまるで、この世界は180度変わった。
医者の数は1年で何十倍も増え、僻地医療はどんどんと進んだ。
この病院にも器材が無料配布され、医者が何人も赴任し、医療も世界の最先端まで駆け上がっていった。
「それから4年間で、彼はここまで世界を変えたの。
今、私の手はたくさんの人を救うことが出来てる。」
あの土砂降りの雨の中で彼は私に言ったの。
“俺が上に立って、世界を変えてやる。”
その言葉が、私を今までここに立たせてくれていた。あの言葉がなかったら、私も患者も生きる希望を捨てていたに違いない。
「・・・省長官が言ってたのは、カルティエさんの事だったんですね。」
「え?」
「省長官が少しだけ教えてくれたんです。昔、約束した人がいるんだって。
その人がもう悲しまないですむように、ここで出来る事をするんだって。」
彼がそんな事を思ってくれていたなんて、知らなかった。
彼があの場所まで上り詰めたのは、私のため?
もう、私が悲しまないためだけに・・・あんなにも努力してあの場所にたったの?
「ハイドン省長官は、本当にカルティエさんの事を大切に想ってると思います。」
彼は知らないのよ。私がどれほど想っているのか。
クリュスがどれほど優しくても、紳士でも、私の中で貴方に勝る人はいないってこと。
「私もとても大切に想ってるわ。」
「そうだと思いました。」
コアちゃんがにっこりと笑うと、夏の風が強く吹き付けてきた。
「約束は守られたんですよねっ?」
ふと少女の問いかけに、思い出した。
「そうね。」
「なら、どうして隠す必要があるんですか?もう、約束は果たされてて、隠す必要も何も無いのに・・・。」
「もう・・彼にこの気持ちを伝えてもいいの・・・?」
彼を想って隠してきたこの気持ちを、彼に伝えることが出来るの?
「はいっ。」
にっこり笑って頷く彼女の声で、魔法にかけられたように抑えていた感情が溢れ始める。
「カルティエ。」
「・・・・・・・ハイドン!」
「もう帰るから、クリュスと仲良くな。」
知らなかった。貴方がそんな悲しそうな目しながら笑ってたなんて。
「ねぇ・・・、今の一番の夢何?」
私の問いかけに彼の顔が急に固まって、私達に風が吹いてくる。
「夢?そんなの・・・。」
約束は果たしたでしょ?この国の医療は今、世界でトップに立ってる。
もう彼女のように何もできないで死なせてしまう事もない。あの少年のように、伸ばされた手を掴めない事も無い。
「今度は私がアンタを幸せにすることが、私の夢なの。」
もうアンタがあんな悲しそうな目をして笑わないですむように。
木々と葉が揺れて、傾き始めた太陽が全てを暖かく照らしていた。彼の黒いマントも風に揺れながら、太陽に照らされていた。
「ははっ。」
「え?・・ハイドンっ!?」
「おい、コア。帰るぞ。」
ワケがわからないまま、彼はコアちゃんにそんな言葉を掛けると、翼を広げるドラゴンの背中に飛び乗った。
「ルキア、行こっ?省長官、先に行ってます。」
「あぁ。」
真っ白の竜が空へと舞い上がる。その姿に見惚れている私に彼が言った。
「次に来た時は指輪を用意しておく。」
その言葉に、地上に立つ私は思わず笑ってしまった。あんたはいつだって幸せを与えてくれるんだ。
彼や、コアちゃん、ドラゴンマスターと呼ばれる人はは皆そうなのかな。
彼が私に幸せを与えるように、いとも簡単にこの国に幸せを与えてくれる者達なのかもしれない。