第38話 :コア
「こんにちは。」
紺色のワンピースに真っ白の短いマントを羽織る女性が、優しく笑いかけてくれた。
降り立った場所はまるで想像もしていなかった、真っ白な病院だった。
「カルティエ。」
そう名前を呼んだのは、ハイドン省長官だった。
彼は地へ降り立つやいなや、その女性の元へと足を急がせて近づいた。
「今度のガールフレンドはかなり年下さんね。」
少しの風にゆっくりと揺らぐ金色の髪の毛は、まるで彼をあざ笑うかのように流れていた。
いつもは冷淡で、私情を持ち込まないで、まるで分からない人だったけど
カルティエと呼ぶその女性に向ける横顔を見ると、
何だか彼が人間である事を思い出すような気持ちになった。
「本当に、君はいつもそんなことばっかり・・・」
「あら、違った?」
無邪気に笑う彼女と反対に、彼はその頬を軽く引きつらせた。
それを見ると、嬉しいからなのか、可笑しいからなのか思わず笑いそうになる。
「こいつは今実施訓練でうちの部署に来てる見習いのコアだ。」
そう紹介されて、笑いの発作を抑えるのに苦労していた私は、さっと姿勢を正した。
「はじめまして、コアちゃん。まだこんなに若いのに、すごいわっ。」
「そんなっ。」
優しい声がまるで春をもう一度振り返らせるように言った。
その暖かい笑顔につられるように、息を抜いて笑った。
何だかルキアもそっと癒されるように、柔らかな芝生に頭をもたげた。
「案外使える奴だ。」
「まぁ、それが女の子に対する言葉?もうすこし、クリュスを見習うべきだわ、全く。」
「こいつは女である前にマスターだ。」
「またそんな言い訳!マスターでもない私の事だって、女の子扱いしたこと無いくせに。」
2人はとても仲がよさげに言い合っている。
その姿はまるで、自分とセルスが時を経た姿と被っていた。
そう思うと、その光景はどこか暖かく、そして寂しい気持ちを与えた。
「それは別だ。」
そういう彼の顔は、やっぱり初めて見るような顔で、それは彼女にしか向けられない物だと分かる。
こんなにも愛されているのに、彼女は全く気づかないふうに笑うだけ。
それでも省長官はその思いを隠そうとはせず、真っ直ぐに話している。
「クリュスはとっても優しいのに。それに比べてハイドンは・・・」
「・・・またクリュスか。」
クリュスと呼ばれる誰かの名前があがると、省長官は目に見えるほど悲しそうな顔をした。
「誰ですか・・?」
ようやく心の声を言葉にすると、2人はいっせいに私を見て、声をそろえて同時に言った。
「俺の双子の兄だ。」「彼の双子の兄よ。」
「省長官には双子のお兄さんがいたんですかっ!?」
彼はまったくプライベートな事を話さないため、そんなことすらも初耳だ。
そんな風に驚いている私に、彼女は楽しそうに笑っていった。
「ハイドンとは真逆でねっ。とても優しくて、とても親切で、とても紳士的なの。」
「で、お前はそんなあいつに片思い、と。」
「そうなのよねー。中々届かないのよっ。」
なんてね、と彼女は笑ったが本当に笑っているわけでもなく
省長官の引きつった笑顔にどこか重なるものを覚えさせる。
「それじゃ。お前、この後暇だろ?そいつにここ案内してくれ。」
「暇じゃないけど、いいわよ。コアちゃん、可愛いし!」
「じゃぁ、頼んだ。俺は院長と会ってくるから。」
さっきまで見せていたその顔を何か仮面で固めるように、隠して
彼は仕事のときのあの冷ややかな目に戻った。
ゆっくりと並木道を歩いて大きな玄関へ向かう彼の背中が小さくなった時
私の隣でその姿をまるで目に焼き付けるように見ていた彼女がボソリと呟いた。
「片思い・・か。」
散り忘れた桜の花びらがひらりとその言葉と一緒に舞った。
「・・・・カルティエさんは、省長官が好きなんですね。」
そして省長官もまた、アナタの事を愛している。
「あら、バレちゃった?」
可愛らしく舌先を出す彼女は、頬を染めて恋する乙女だった。
「どうしてハイドンには伝わらないんだろうね・・・。本当に、中々届きやしない。」
「クリュスさんの事とか、その・・・“彼女”とか、笑って言うからじゃないですか?」
今さっき会った人に、どうしてそんなことが言えてしまうのか。
自分でも驚いて、急いで謝った。すると彼女はまた、その笑顔を向けて言った。
「そう言わないと、隠せないもの。」
人はきっとこの感情だけは、コントロールしきれないんだろう。
あんなにも伝えたいと思う気持ちがあるのに、そのどこかでは隠そうとする気持ちがある。
予測も出来なければ、対策も立てようがなくて。あの省長官さえもあんな顔にさせてしまえる
この世界でたった一つ、唯一の感情なのだろう。
「あんな俺様で、わがままで、勝手なのに。あんな奴のどこがいいのやら。」
私に向けてか、それとも自分の心の中に向けてか。彼女は唯呟いた。
「彼には心に決めた人がいるのよね。何となく分かるの。時々見せる顔が、そう訴えてくるんだぁ・・・。」
悲しいね、とまた作られた笑顔を向けられる。
だけど何も言わないでおこう。彼女がそう思うのなら、私は何にも言わない。
彼が誰を思っているのかも。彼が訴えている相手は紛れもなく貴方1人だということも。
「でも、諦める気にはなれないから・・・困っちゃう。」
そういうと彼女はそのスグ傍のベンチに腰を掛け、その隣のスペースをトントンと手で叩いて私を呼んだ。
緑の葉っぱが作り出す木陰は、焦がされた肌を冷たく冷やすように、ソヨソヨと流れていく風に、音をつけて笑っていた。