第35話 :ハイドン
「何笑ってるんですか。」
部下の1人が私のほうを見ながら、恐る恐るというふうに聞いてきた。
「・・・笑っていたか?」
「はい・・・。」
そうか、とだけ呟いて口を堅くする。
“今の言葉、撤回してください。”
まさか、あんなに真っ直ぐで強い信念を抱くマスターだとは思わなかった。
きっと去年と同じで、マスターだなんて呼べるわけのない奴だと思っていた。
それなのに、そこに立っているのは揺ぎ無い信念をその目に見せるマスターだった。
「だから、何がおかしいんですか。」
「・・・また笑っていたか?」
「はい・・・。何がそんなにおかしいのですか?」
「いや、マスターズスクールからの見習いがいるだろう?」
あいつは中々おもしろい。
「あ。また意地悪な質問をしたんでしょう?」
意地悪といえば、意地悪かもしれない。
上司である俺にそんな風に言われれば、誰だって逆らえはしないのだから。
「いや、したか。」
「え?」
「なんでもない。それより、見習いにも出来るような仕事あるか?」
心の中で思った。流石白竜が選んだ者なだけある、と。
正直、あんなに幼い少女があんな風に逆らうなんて思いもしなかった。
それにあの目はきっと、俺に逆らうという事がどれほど危険かという事も知っていた。
「えっ!?」
「何だ?」
「い、いえ。・・その・・省長官が自ら見習いにお仕事を与えるなんて・・・」
「で、あるのか?」
仕事をしたいと訴えていた目。あの目に答えてやりたいと思う自分がいる。
「いえ・・・、今日省長官がファルスに与えた仕事が全て見習いの分でしたから。」
そうだった、と心の中で思い返す。我ながらアホらしい感情を抱いているのは分かっている。
しかし、あの目はきっと世界を動かすようになる。そんな気がして仕方ないんだ。
「なら、仕事を作れ。」
「は?」
「見習いに出来る仕事を、探して来い。無ければ作れ。」
あの目をここで出来るだけ伸ばしてやりたい。
俺に出来る精一杯で、たくさんの事を経験させて、成長させたい。
「そんな・・冗談きついですよ。見習いに出来る仕事なんて元々うちには・・・」
「ファルスは全てを終えていると思うか?」
「え?えぇ。多分。」
ファルスもしっかりした奴だ。ドラゴン思いで、やれと言った事は必ずこなしてくる。
「でも、少し今回はきついかもしれません。」
「だろうな。」
「あ、そうだ!!ファルスに与えていた本棚整理と書在庫の整理を見習いに与えればいいんですよ!」
ひらめいた!というふうに、そう言いながら総予省への扉を開け私を通した。
「残念だが、それは叶わないようだ。」
「はい?」
部屋の端の古い本棚が置いてある場所を横目に見て、私が呟くとマヌケな声が返ってくる。
「もう、片付けは終わっているようだな。」
出て行く前までは各棚にびっしりと詰め込まれるようにして置かれていた書類が全て綺麗に収まっている。
「・・・本当ですね・・・。流石ファルス・・・仕事が早い。」
「いや、ファルスではないな、あれは。」
その本棚の下に小さな少女が1人立っていて、その少女は何やら呪文を唱えている。
「あれは・・・見習い・・・?!」
「そのようだ。」
驚いた。仕事を与えなければ、きっとずっと座り込んでいると思っていたのに。
ドアの前に立つ私に駆け寄ってきたライクは嬉しそうな顔をしている。
「お帰りなさい、省長官!!」
「ただいま。どうかしたのか?」
「聞いてください!あの子、びっくりしますよ!!」
その声は興奮しきっていて、落ち着けないというふうだった。
「何だ?」
「あの汚かった本棚1時間半で片付けて、それから各担当者に期限を記した予定書と希望書を配布したんです!!
その上、この部署のデスクに座って仕事をしている全員にお茶を配って、床まで掃除したんですよ!!」
そう言われれば床は綺麗だし、何だか皆ニコニコしている。
「・・・で、あれは今何をしているんだ?」
「あぁ、あれですか?あれは自動で書類を分けて、各棚にその書類を片付ける魔法を棚にかけているそうです。」
開いた口がふさがらないような気持ちだった。
学歴書には、まだ15歳と書かれていて、あの学校で最下位のクラスだったと記されていたのに。
「誰がどの担当者など、どうして知っている?」
そんな事を教えた覚えはないし、それを知らなければ、予定書も希望書も配る事なんかできない。
「それは、わざわざ中央塔の登録欄にある部署所属者名簿を借りて、調べてたみたいですよ。」
ここから10分も離れた中央図書館まで。誉めるというより、凄いとかそんなもんじゃなく、もう呆れるような気分だった。
そんな気持ちで呪文を唱えている少女の小さな背中を見つめる。
たった15にしかならない少女が、何も知らないこの場所で、自ら仕事を見つけたのだ。
「凄い・・・」
「だろっ!?」
俺はまだ何も言わず、彼女の背中を見ているだけだった。
「あ、終わったみたいです。」
その少女から放たれた光が、少しずつ弱くなり、やがて空気に混ざるように消えた。
「あの年にして、これほどの呪を・・・。」
彼女はその魔法を試しているようで、何枚かの書類を本棚の前に差し出しその手を放した。
するとその書類は重力に逆らい、ヒラヒラと別々の棚に自ら戻っていくように片付けられる。
「凄いですよ、彼女!!」
「だろっ?!」
何も言わないんじゃなく、何も言えない。
「ライク、未記入の見積書5件、急いで用意しろ。」
「はい!!」
ようやく口に出来た言葉は、こんなくだらない命令で。
最初、彼女がここに立ったのを見た時は、2カ月間もこんな小娘の子守をしなければならないのかと思った。
それが今では、たった2カ月で何をしてやれるだろうかと考えている自分がいる。
自ら成長する事を望み、その可能性を自ら広げる。あんな小さな少女に、私がしてやれる事はあるのだろうかと。
「いや、10件。10件だ。」
「えっ?・・・あ、はいっ。」
伝説のドラゴンマスターへの道を、手伝う事ができるのだろうか。