第135話 :学園長
「思いのほか早い報告ですね」
来年度の入学者を決める試験終了まであと1週間というその日、試験官を務めるハーネッツが私の部屋を訪れた。
1年前、学園の規則を定める法議会の長、学園の行事を執行する実議会の長、経過監査を行う視議会の長が取り決めた試験内容に目を通したとき、今年の合格者数の激減を予期した。もしくは、来年度の入学者はいないだろうと。
「最終試験だったというのに、潔いというか、なんというか」
ハーネッツが眉を下げそう言った。来年にはその年に見合わず、法議会の儀会長に推薦されている彼女が試験官をするのも今年が最後であろう。その最後の年に面白い受験者がいると喜んでいた彼女が、その受験者についての報告書を持ってきた。試験終了には早い時期だと思いながら渡された書類に目をやる。
「あぁ」
彼女か、とため息をこぼす。コア・サーノット。彼女のことは受験者となる前よりその存在を認識していた。この世界に舞い降りた、伝説を継ぐ白竜のマスター。彼女の両親、そして祖父にあたるあの方についても知っていた。伝説になるにはあまりに細く小さな体の、幼い少女だと思った。
「辞退、とはまた」
「来年、受けるつもりはないようです」
「そうでしょうね」
他の学園は彼女自身に目をやっただろうか。あの日の彼女はまだ、ただの白い竜と契約を交わしただけの少女でしかなかった。彼女の祖父は伝説であり、白竜という生き物も、確かに珍しい。けれどそれだけのことだ。あの方が伝説であったのは、決して白竜が珍しかったからではない。あの方の生きた証が白竜を伝説のドラゴンたらしめただけのこと。それを知る者は、白竜使いが現れたと聞いた時に私と同じ思いを抱いたに違いない。
「この学園に新たな伝説が紡がれると多くのものが期待したのですが」
ハーネッツは残念です、と笑った。
「学園の講師は皆、伝説級のマスターばかり。さぞ期待したことでしょうね」
「ここだけの話、試験中はいつ彼女が落ちるかとその話ばかりで」
「賭けては」
「まさか。私が試験官長ですよ」
「それもそうですね。しかし、彼女に手厳しすぎやしませんか」
「意地の悪いマスターが多いですから」
皆、彼女が試験に落ちることを期待する。この学園は伝説を継ぐといわれたあの白竜のマスターさえも切り捨てる難関校である、と誇るために。
「けれど彼らの悔しがる顔を思い浮かべると、来年が楽しみです」
「ハーネッツ、貴女も心底意地の悪い」
「これは失礼しました。私は試験官として、彼女の本学入学試験合格を心より喜んでいるのであります」
「えぇ。私もです」
講師陣の期待は裏切られ、彼女は見事試験に合格した。その報告に、私自身も心から喜ぶことができた。ただの少女だと決めつけて、彼女が伝説を継げるはずはないと思っていた。しかし本心ではどこかで彼女のあの瞳にあの人を重ねていたのだ。
自由と栄光と人々の幸福をもたらし、白き光とともに空を飛び続けたあの勇敢で輝かしいあの人を思わせる強い目を、まっすぐな姿勢を、私は今でも覚えている。
「ではこの書類を彼女へ届けてください」
「はい」
「残る受験者の合格を、期待しております」
「はい、学園長」
”人を殺めた私に…この学園で学ぶ資格があるのでしょうか”と問う彼女を目にしたとき、あの日から彼女が歩んだ道を垣間見た気がした。ただ白竜と契約を交わしただけだった少女は、彼女の祖父同様、険しき道を望んで己の足で進む者の目をしていた。
ハーネッツが書類を持って部屋を出ていく後姿をぼんやりと眺めながら、今この瞬間ですら、彼女たちの伝説の1ページになっているのだろうと思えた。無駄に明るい学園長室のこの固い椅子に座ることが決まったあの日から、私はきっとこの日を待っていた気がする。
最終試験合格判定基準は、ドラゴンマスターとして選んだ道が、その受験者の今後の生き方を支える決断かどうか。答えなど、用意されていない試験。ドラゴンを自在に操ろうと、辞退しようと、その者の今後の人生の中で正しい決断として軸になる選択だったかどうかに重きを置く採点。その試験内容に私は深く息を吸った。この学園の講師は皆、伝説級のマスターである。彼らが認め、彼らが育てる生徒は、この世界をよりよくする道を選べるマスターになると確信できた。
「来なさい」
誰もいないだだっ広い部屋に私の声は大きく響く。
「ここは伝説のマスターを育てる最高峰の学園です」
久しぶりの投稿です。皆様の優しいお声を胸に、日々の生活と小説の今後を考えながら趣味の一つとして続けていきたいと思い、再び投稿しました。
いまだ時間に余裕がない現状ですが、少しずつでも書いていけたらと思っております。本年もどうぞよろしくお願いします。