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第134話 :ルキア

 “もし駄目だったとしても何年も何十年もかけて挑みたいと思う”と言った彼女の声が鮮明に思い出される。鮮明で懐かしく、切なくなる言葉だった。離れたところにいる彼女の悲しげな心が私をずっと呼び続ける。それでも一瞬で駆けつけることのできる私がこの空を飛んで、彼女のもとへ行くことは許されないのだから残酷な試験である。

 

「元気ないわね、ルキア」


 ガサガサとそばの茂みが揺れて、リラの声がした。


『リラだって、あまり元気そうではないわ』


 小さな彼女と目が合うように頭を地面にもたげた。コアよりも背の高いすらりとした彼女の長く細い髪の毛が枝に少し絡んでいる。けれど気にも留めないように彼女は笑った。


「ルキアほどじゃないわよ、今度は死なないところだしね」


 コアのそばにいる人間と話をしていると、彼女がどれほど愛されているのかを思い知る。人間と違ってドラゴンは両親から与えられる深い愛情も、同類であるドラゴンからの愛も、人間ほどに与えられるわけでない。人を見ているとなんと愛情深い生き物なのだろうかと思うのは、きっと私だけではないはずだ。

 リラはコアの友人の一人で、同性であるからセルスのような恋愛感情とは異なる感情をもって、コアを想っている。友情、とコアに教わったことがあるがその時はやはり理解ができなかった。

 けれど今は少し、リラを見ているとわかるところもあるのだ。こんなふうに、離れた場所にいる顔を見ることがかなわない、直接言葉を交わすこともできない状況にあると、待たされていたリラの気持ちがよくわかった。


『リラはすごいですね。私ならきっと待ってなどいられない』

「え?待ってるじゃない」

『アカンサスのことです』

「あぁ…でも結局、待ってなんていられなかったわ」


 あの時、もし今のように少しでも離れることがあれば、きっと私は狂っていただろうと思う。無意味な翼を、己の無力を呪わずにはいられなかっただろう。


「ドラゴンは本当は愛を知らない、と習ったけどやっぱり嘘なのね」


 リラがふいに空を見上げてそういった。鳥でも飛んでいたのか、雲の流れを追ったのか、のんびりと空を見上げるその言葉に私は首をかしげる。


『そんなことを習うのですか?』

「コアから聞いていない?」

『えぇ。コアはもしかしたらその話自体を聞いていないかもしれません』

 

 セルスにもよく言われていたけれど、コアは確かに勉強熱心なほうではなかったから、きっとその話のときは寝てしまっていたかもしれないと想像してそう言うと、リラがどこか嬉しそうに笑った。


「コアはその授業ちゃんと聞いていたのよ?ドラゴンは愛を持って子育てはしない。ドラゴンは愛を持って子作りをしない。ドラゴンは愛をもって契約には望まない。だから、ドラゴンは愛を知らない生き物である。その言葉に、あの子はすっかりご立腹だった」

『コアが、怒っていたのですか?』

「えぇ、あの子って本当に短気よね!試験の時といい、あの時だって“そんなわけない”って」


 怒っているコアは容易に想像がついたけれど、その理由が私にはよく分からなかった。ドラゴンが子を産み、育てるのは種を絶やさないためであり、そこには人間のように愛情は抱かない。育ててくれた母のことは好いていて、いつの間にか帰ってこなくなった彼女に死を悟り、一人で生きていかなければならないことを知ったときにはもちろん悲しみもあったけれど、深く嘆くことはなかった。

 確かにドラゴンは愛を知らない生き物なのだ。それなのに彼女は何故、怒ったのだろう。私はやはり理解に及ばず首をかしげる。


「“そんなわけない。だってドラゴンは、ルキアは、私の愛情にまっすぐ向き合ってくれるもん”って、そりゃあもう小一時間先生にくってかかってたわ」

『向き合う』


 コアのくれるものはいつも新鮮で、綺麗で、暖かくて、すごく優しいものばかりだった。アカンサスでも、あんなに小さな体で私を何度も守ろうとした。深くて、静かで、穏やかなのに、熱されるような感情が何度も何度も伝わってくる。あれを愛というのだから、やはり私にはなかったものだと思った。


『向き合う、というのはわからないけれど。やはり、私達は愛を知らない生き物ですよ』

「そう?」


 えぇ、と曖昧に笑顔をみせてみる。嘘ではないように思うのだけれど、とリラを見つめると彼女は私に優しく笑い返した。


「あの時は私も、そう思っていたんだけど。やっぱりコアの言うとおり、ドラゴンが愛を知らないわけないと今は思うのよ。ねぇ、ルキア。ドラゴンが契約を結ぶとき、時と心を初めて人と交わすあの瞬間、ドラゴンは人の愛に触れると思うの。けれど契約を結ぶことを決断した時にはもう、コアを、愛おしく思う気持ちが強くあったんじゃないかしら」


 ふわり、と吹いた風に枝に絡まるリラの髪の毛が解けた。少しだけ、コアの匂いがするその風に、私はまた胸を締め付けられる。


「愛を知らない生き物が愛に触れたときに、それが愛だと分かると思う?」

『それは、わかりませんが』

「コアが言ってたの。“ドラゴンはきっと人より愛情深い生き物だ”って」

『それは、私も聞き覚えがあります』

「コアが触れたルキアの愛情が深かったんだと思うわ。今だって、すぐにでも飛んでいきそうなほどにコアを心配しているでしょ?」


 契約を結ぶまで、ドラゴンは愛を知らないと言われても納得できる。ドラゴンは神の理の中にいきているから、命を大切に思うことはあっても、深く思い入れるということは知らない。そこに、彼女は突然現れて、私の心に触れてきた。そして、あの日、私は目の前の小さな少女に胸を締め付けられるような思いを抱いたのだ。世界中の光が彼女を指すような、眩さと、暖かさを、私は確かに感じた。


『そう、ですね。今この瞬間も、すぐ近くで私を呼ぶ彼女の声が心に響いて、愛おしくて、苦しいほどこの感情を持て余しているというのに、ドラゴンはもしかすると主に出会うその瞬間に愛をしるのかもしれません』

「知るのではなくきっと、思い出すのね」

『思い、だす』

「ええ」


 風に乗ってくる、コアの匂いが濃くなる。


『コア?』


 私たちドラゴンはきっと愛を持って生まれてくる。けれどそれはすごく奥深くに、意味あって、しまってあるような気がする。その意味を私は知らないけれど、生涯をかける相手と出会えた瞬間思い出すのだ。何よりも守りたくて、誰よりも輝いていて、ともに空を駈けたいと思うその感情を。



「ルキアーーー!」



 風が強く吹き、いつのまにか心の中に響く私を呼ぶ声が、空気を伝って私に届く。


『コア!』

「コア!?」


 似合わない、細い箒にまたがって、小さな少女が私の前に舞い降りた。




「ただいま」



 白いワンピースに緑の葉っぱがいくつも引っかかっているのが模様のようだ。小さなコアに木々の木漏れ日が当たってキラキラ輝く。それはふとあの日を思い出させた。


『私は、きっと、あなたに出会った時に愛を思い出したんですよ』

「え?何の話??」


 こんなふうに突然、私の前に現れた貴女のその目に、私はきっと大切にしまいこんでいた感情を思い出さずにはいられなかった。


『会いたいと強く思う気持ちや、あなたの歩む道を共に進みたいと思う気持ちをまた、思い出したんですよ』


 

 リラがただただ驚く風の中で、彼女は無邪気に笑って私に抱き着いた。


「よくわからないけど、ルキアはいつも私を幸せにしてくれる!ありがとう、ルキア」


 よくわからないのは、私のほうだと目を閉じる。試験は続いているはずなのに、彼女は今私の目の前にいる。その理由を、リラはもちろんすぐにでも聞き出すだろう。けれど私はなんとなく、感じることができた。きっと、もうすぐ答えが見つかって彼女は彼女の決断を信じることができたら、まっすぐに自由にその道を進むだろうと思っていた。


「だから私はルキアを幸せにできる道を選んだよ。人を傷つけなくてもいい方法を学ぶために、今ルキアを傷つけるなんて絶対、私が進みたい道じゃないんだもん。ごめん、長い間待ってくれたのに」

『何年かかっても、何十年かかってもって言っていたのに』

「うん。でも私、よくばりだから。きっとたくさんのことを学べるだろうし、それは私にとって必要でかけがえのないものになるのだと思うけど、やっぱりそれがルキアの幸せにつながらなくちゃ嫌なんだもん」


 あんなにも努力して、苦労して、そして決断を下して歩いた道を彼女は笑って捨ててしまう。遠くに立つ彼女のおじいさんは、もう彼女のすぐ隣で寄り添っているような気がした。まだまだ遠い未来に目標として抱くその背を、彼女は彼女なりに追いかける。


「コア!!それって、もしかして」

「試験辞退しちゃった!ごめんね、応援してくれてたのに」


 彼女が目指す伝説はもう、もしかしたら彼の背にはないのかもしれない。私に向ける愛情がもしかしたら彼の背を、彼女の目標を曇らせて、回り道をさせてしまっているのかもしれない。私の存在が彼女の目指すべき場所を奪ってしまったのかもしれない。私は一瞬、切なくなった。

 しかしそれはほんの一瞬のことだった。彼女はリラに少し眉を下げ、ほほ笑んだ。


「私は力を持つものとして学ばなくちゃいけない。学ぶなら、あの学園がいいと思った。だけど、こんなにもルキアを想う気持ちを持って、他のドラゴンと空を飛ぶことができなきゃいけないとはどうしても思えなかったの」

「だけど」

「そのさきに、私の目指すドラゴンマスターはいない」


 強い風がコアとリラを揺らした。


「ルキアは愛されているわね」


 リラがこちらを見上げてくる。私はふと母のことを思い出した。どれだけ羽が傷つこうと、彼女は空を飛び続けた。彼女のマスターがきっと彼女を愛してくれていたのだと、今ならわかる。そしてコアが目指すマスターがその人なのだ。

 ドラゴンを愛し、人を愛した、その人なのだ。


『伝説を超える、私のマスターですから』


 彼女と空を飛べるなら、彼女が愛してくれるのなら、私はこの羽が傷つくことなど構いはしない。この愛おしさを、私はコアと出会い始めて知った。愛を持って向き合うことを許される、契約を私は彼女と結ぶことができて本当によかったと神風に羽を広げ、精一杯感謝したのだった。


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