第133話 :コア
「マスターコア。貴女は決断を下したはずではなかったのですか。」
試験官はひどく冷たい声でそう言った。私は自分の持つ力を、守るべきものを守るために使えるようになるためにここまで来た。傷つけることなく、守れるように、そんなおとぎ話のような夢を叶えるために頑張ってきたのだ。
「でも。」
「いいかげんになさい、コア。貴女は今、試験を受けているのですよ。」
そう、私は今試験中であり、そしてその試験が上手くいっていない。
『試験官殿、私は構いませんよ。まだこんなに幼い。ここに残れただけで十分じゃないですか。』
それはこの、茶色のドラゴンさんが悪いわけではない。ただ私の覚悟が足りないことだけが問題なのだ。
「しかし…。私は貴女をそれなりに評価しています。ここまできて、それで校長にお言葉をいただきながら、そんなちっぽけなプライドのために落ちるつもりでいるのが腹立たしいのです。」
「落ちるつもりなんてないです。ただ。」
「覚悟をお決めなさい、マスターコア。ドラゴンに乗ることすらできていないのは貴女だけなのですよ。」
どうしてそこまで励ましてくれるのかは分からなかった。しかし、その言葉を聞いても私の足は動いてはくれなかった。毎日ただ、茶色のドラゴンさんとお話をして終わる。そうしてもう1週間が過ぎた。試験管の話では、私以外の受験者達はもう高等魔術詠唱まで進んでいるらしい。
けれど何を聞いても、私はそのドラゴンに乗ることすらできなかった。乗ろうとすると、気持ちが悪くなるのだ。そして無性にルキアに会いたくなる。
「最後まで、頑張って、やれるだけのことはやってみます。」
『コア。』
「ごめんね、もう少しだけ付き合って。」
『私はいいんですよ、付き合います。』
「ありがとう」
優しくて、穏やかなところがルキアに似たドラゴンだった。しかしルキアのようにひどく優しい目で私を見つめてくれることはないし、抱きしめてくれることもない。心配もしてくれないし、怒ってもくれない。そう思うたびに、パートナーではないことを、痛感する。そしてそのパートナーでもないドラゴンの背に乗ることを、私はためらってしまうのである。
そんな私に呆れたように何度目かのため息を吐いて、試験管は歩いて行った。
「ねぇ、貴女は契約を結ぼうとは思わないの?」
『え?』
「人と関わることが嫌ってわけじゃないから、この仕事も引き受けたんだよね?でも、マスターをとる気にはならないの?」
『…そうですね、別に、人は嫌いではないです。ここの学園のマスターたちは特にドラゴン想いな方ばかりですし。』
少しいつもより悲しそうな目をしているように見えた。
『でも、私は神の創った理に従いたくないのです。』
ドラゴンは神を愛し、神に愛される生き物である。慈悲深く、優しいのはそのためだと言う人たちもいる。ドラゴンの中に殺戮を好む者はいないし、弱きものを本能的に守ってしまう種なのだ。そんなドラゴンの口から響いたその言葉に私は何も言えなかった。
『ドラゴンは皆、神を愛し、契約を結んだマスターに一生つき従っていく。けど、私は出来損ないのドラゴンなんですよ。神を愛してはいないし、マスターも必要ない。』
もしも私が同じ立場なら、確かに自分を出来損ないなのだと思ってしまうだろう。周りは皆、神を信じて、神を愛して、人と契約を結んでいる中で、自分だけがそんな神を尊敬できず、人と契約を結ぶことになんの感情も持てないのだとしたら、欠陥品なのではないかと疑うかもしれない。
『貴女のドラゴンはあの伝説の白竜なんでしょう。』
茶色の翼を広げ、風を仰ぎながら彼女は言った。
『神に最も愛された、世界でただ一匹の白いドラゴンのマスターだもの。私の背に乗れるはずないわ。』
それは嫌味でも、侮蔑でも何でもない。ただ単純に、本当にそうだと思って口に出された言葉だと私は思った。不出来な自分を憐れむそんな、目をしていた。
「おじいちゃんが言ってた。完璧な物なんてない。皆不完全だから、寄り添うんだって。」
不出来で、不格好で、弱いから寄り添いあうし、助け合う。私たちよりずっと長く生きるドラゴン達は、人なんかよりずっと大きく、頑丈で、空だって簡単に飛べてしまえる。それなのに、契約を結ぶ。自分にはない何かを、その心の中に見つけて寄り添うのだ。
おじいちゃんのその言葉に、私は今まで何度も救われてきた。全てを完ぺきにこなしてしまうセルスにだって、欠けている部分があって、それをアルが埋めている。リラだって、省長官だって、皆同じなのだ。
「埋めてあげたいと思ったの。この世界を諦めてしまったルキアの心を、他の誰かじゃなくて私が、埋めてあげたいと思った。」
彼女が私の名を呼ぶたびに、私の欠けていた何かが埋まっていくように感じる。リース先生のようにパートナーを失って、また心に大きな穴が空いてしまうことがあったとしても、その穴を記憶や、これから出会う人が埋めてくれる。
「やっぱり私は、貴方の背に乗ることはできない。おじいちゃんのように、多くの者の穴を埋めては上げられない。私が寄り添っていたいと思うドラゴンは、ルキアだけだし。貴女には貴女の寄り添っていたい人が必ず見つかるから。」
私がこの学園に来たいと思ったのは、おじいちゃんが学んだことを学びたいと思ったから。学ばなければより高みへは昇れないと思ったから。ルキアに見せたい景色がある。誰も傷つかずにすむ答えを、選ぶためにもったこの力の、使い方を学ぶためにここへ来た。
それなのに私は、ルキア以外のドラゴンの背に乗って戦う力を試されている。
「こんなことをしなくちゃ学べないことなんて、私が学ぶ必要はなかったんだ」
人の殺し方を学びたいんじゃない。ドラゴンの扱い方を学びたいんじゃない。私は私が幸せにしたい人を幸せにできる力を求めて、ここへ来たのだ。
「ありがとう、ドラゴンさん。やっと、心が決まったよ。」
『コア?』
「今の私がこの道を進んだ先に、何かを得られるとしてもそれは、ルキアや自分、貴女を傷つけてまで手に入れるべきものじゃないと思うから。」
ずっと、ルキアの声が心に響いてやまない。
「私、帰る。」
今までの努力も、時間も、覚悟も、私をずっと待ってくれているルキアを傷つけるくらいなら、捨ててしまえばよかったんだ。例えおじいちゃんがそれをしなかったとしても、器用な人間じゃない私にできるのは、大切な者を大切にすることくらいだから。
「コア・サーノット。この試験、辞退します。」
これが、私の答えだ。