第129話 :カラク
「冗談だろ・・・。やめてくれよ。」
絞り出したのはそんな小さな小さな声だった。
苛立ちを必死に抑えて、発した。
「ごめん、でも。」
コアという幼い女はいつだって俺をまっすぐに見つめてきた。
俺が睨み返しても、その眼は決して揺れることもそれることもなく。
「綺麗ごといってんじゃねーよ・・・、頼むよ。何でもするから、考え直してくれよ。」
世の中には綺麗ごとを言っている自分に惚れこんでるやつがいる。
綺麗ごとがすべてで、世界は正しいことのみが許される世界だと思ってる連中がいる。
そいつらは人のことに構うことを知らないし、興味もない。
ただ、自分がまっすぐで自分が真っ白に見られることだけを優先して生きているのだ。
俺はそういう人間が大嫌いだった。
「ね、カラク。カラクはどうして受かりたいの?」
コアは聞いた。
なんて間抜けな質問だと思った。
それを話せば理解してくれるのか。同情できれば黙っているのか。
人が抱く正しさなど、勝手な感情で捻じ曲げられてしまうのだから、どうしようもない。
「話せば、わかってくれるのか?」
「聞きたいの。」
コア、お前は親父に似てる。
俺がそんな人間たちを嫌うのは、親父がそうだったからだ。
綺麗ごとばかりで、結局のところ自分の立場が危うくなればどんなことでもする。
いかに自分が好かれるかばかりを考え、うまく立ち回る方法ばかりを知って。
本当に大切だと連呼する俺たちを平気で放りだして、出て行った。
あの男に似ている。
「……親父が、ここで教師をやってんだよ。」
矛盾するようなことだが、俺がこの学園を目指した理由もまたあの親父だ。
幼いころ、やつが被っている皮を見抜けず父親を尊敬していた。
ドラゴンのことを必死に勉強して、将来は親父と一緒に空を飛びたいと思った頃だってあった。
だからここへ来たわけではない。
「くそ親父で、家庭なんて省みないやつだけど、マスターとしては優れている。絶対に追い越すって、決めたんだ。…それだけだ。お前にとってはきっと、なんてこともない理由なんだろうな。」
大嫌いなやつを足元にひれ伏せて、笑ってやりたい。
そんな気持ちを、まっすぐ真っ白なんてやつが理解できるわけがない。
「お父さんの背中を追ってるの?」
「・・・。」
追っているか、と聞かれると。否定はできない。
人間としては絶対に好きになれないが、俺も人間なのだろう。
幼いころに植え付けられたあの背中を、今でも追いかけているのかもしれないと思うことはある。
「ドラゴンマスターであるお父さんを、尊敬してるんだよね。」
「…あぁ。確かに、それは・・・そうだと思う。もう四回も落ちてんだ。親父からももう諦めろだの、才能がないだの言われ続けてきた。それでも、俺はあいつを抜かなきゃならない。絶対に、受からなきゃならないんだ・・・。」
来年も、再来年もなんて、そんな金も時間も俺にはないんだ。
「頼むよ。」
追い越したい背中がすぐ向こうで待ってるんだ。
「もう・・・金も、時間もないんだ。」
その背中がもしかすると来年には、再来年にはもうないかもしれない。
「親父は…もう。」
もう二度と追い越せなくなる。並べなくなる。
勝ったぞと、たった一度でいいから、言ってやりたくてここまで来たのに。
「・・・頼むよ。」
親父は病気だ。もう長くない。お袋はそれを隠してるけど俺は知っている。
それも傲慢な父が、また綺麗ごとであいつのためだとか言って口止めしたのだろう。
どこまでも勝手なあいつを、俺はまだ追い続けていたいのに。
「ごめん。」
似てるよ。
「お前は・・・あいつに似てる。」
信じられないくらい身勝手な理由で、人の気持ちを踏みにじるところが。
「…そんなに正しくありたいのかよ!?俺からあの背中を奪うってのか!お前のそんなくだらない正義感で!!」
頼むよ。
頼むから。
そんな気持ちで頭を下げて俯いた俺に、さっきまでよりずっと強く凛とした声でコアが言った。
「じゃぁ、これをお父さんに言える?」
その声に思わず顔をあげ、少女の顔を見た。
するとその少女は俺をまっすぐに見つめて、悲しそうな顔で言った。
「こんなふうに不正を見過ごして、受かったよって、追いついたぞって、お父さんに言えるの?」
あぁ。言える。
そう言ったらきっと、こいつは黙っているんだろうなと思った。
ただ黙って、自分だけ辞退するんじゃないかって。
「…。」
そう思ったのに俺の口は開かなかった。声もでなかったのだ。
「カラクはお父さんが大好きなんだね。大好きな人につく嘘は決して自分の為のものであってはいけない。それをカラクはよく知ってる。」
全てを見透かされている気がした。
「だから、カラクはお父さんに嘘はつけない。」
本当はあいつを嫌いなわけじゃない。
本当はちゃんと親父が嘘をついた理由だって、わかっている。
それを受け入れたくなくて傲慢だと嫌い続けたけれど、親父が俺につく嘘はいつだって俺のためのものだったのだから。
「私はね、正しさなんていらないよ。
この答えが正しいから選ぶんじゃなくて、私が選びたい答えがこれだったから選んだんだよ。
大切な人にいつかこの話を胸を張ってできるかなって、そう思ったらこれ以外は選べなかった。」
小さな少女がそっと首からさげているネックレスを見つめた。
それから年相応の幼い声で笑っていった。
「自分のドラゴンにこんなことして受かったなんて、言えないもんね。」
その言葉にそこにいる誰も、否定的な気持ちは抱いていなかった。
顔がふっとほころび、皆小さく頷く。
確かに、最初からその答えしかなかったかのように。
「ジャン、一緒に試験官のところに行って説明してもらってもいい?」
コアの言葉にジャンはただ何も言わず頷いた。
ジャンの不正のせいで俺は親父の背中を追えないかもしれない。
それなのに、心はさっきよりずっとすっきりしていた。
これでいい、そう思えた。
これがコアの言った「私が選びたい答えがこれだったから選んだ」ということなのだろう。
そこには誰かに向けた正しさも、自分への言い訳も、清らかさもなかった。
ただ、こんなふうに生きていきたい。
それがそこにいる全員に伝わった気がした。
「行って来いよ。」
そう、言って笑えるなんて思いもしなかった。
「えぇ。皆で落ちてしまいましょう。」
貴族なりのフォルンも俺に笑いかけてそういった。
真っ黒な服を着たユークも頷いた。
「じゃぁ、行こうか。」
コアはそう言ってジャンと共にそっと扉の向こうに消えた。