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第119話 :コア

女王直筆の文をそっと握りしめ、私はアカンサスのずっと遠くまで見渡せる小高い丘の上に立っていた。

緑のうっすらと見え始めた土地に雨の季節がくるまであと少しを残して、私は今日この地を去る。

恵みの雨が川を生み、緑をはぐくむその姿を見てみたかった。

雨の季節の向こうにある、豊作の宴を私も祝いたかった。

けれどもう、私はこの地から足を放して空を舞うことができる。


“私は光になる。私に光がある限り。”


そういったトレスの目にはもう、迷いも不安もなかった。

そこに映るのは小さいけれどしっかりと輝く光たち。

その光が彼女をきっと支えて、この国を元通りに、いや、それ以上に導くだろう。


『名残惜しいですか。』


バサッと翼を揺らしてルキアが言った。


「少し。」


ふふっ、と笑うとルキアも目を細めて微笑み返す。


「生きている、そんな気持ちを噛みしめてるの。」


ふっと風が過ぎてゆくその感覚も、鼻先に香る少し湿った雨の匂いも、始まりを描く緑の音も、すべてを今この体に焼き付けておこうと思った。

忘れたくない思いがある。

忘れてはならないことがある。


「一つの椅子のために多くの命が奪われたこと。多くの心が傷つけられたこと。私は絶対に、ううん。私だけじゃない。この世界の誰ひとりだって、忘れてはいけない。けれどきっとそれは無理なことだから。私だけは忘れずにいたいの。

息を吸って、息を吐いて、ルキアに笑いかけるその一瞬さえ私は大切にしなければいけない。

生きたくて生きたくて仕方なかったはずの奪われた命たちの代わりに、私は精一杯で生きなければならない。」


決して忘れてはならないそのことを、私はふと忘れそうになる。

辛いことがあると、この世界にいられる喜びを忘れてしまう。

哀しいことがあると、生きていることを悔やんでしまう。


「この目に、この体に、焼き付けておかなくちゃ。」


ここでたくさんの人が死んだということ。

ここでこれからたくさんの命が生きていくということ。


『きっと忘れてしまうことのほうが楽なのに、貴女はそれをしないのですね、コア。』

「私だけじゃないよ。皆忘れたいけれど忘れられないし、それに忘れようとしているのじゃなく、乗り越えようとしているじゃない。痛みを抱えて生きることは、痛みを捨てて生きるよりずっと苦しいと分かっていて誰も、誰一人としてそれを捨てようとはしない。私はそんな彼らにたくさんのことを教わった。」


トレスが王座についた時、人々の内から溢れるのはただ生きるということだった。


これからも、ただ、生きていこうとする命がそこにはあった。


「私はいつも教えてもらってばっかりだなぁ。」

『私もです。』

「おじいちゃんには程遠いや。」

『伝説はそんなに簡単ではありませんよ、コア。』

「それもそうだね。」


おじいちゃんならもっとたくさんの命を救えていたと思う。

おじいちゃんならもっとトレスの力になって支えてあげられたと思う。

それでもおじいちゃんはもう、この世界にはいない。


けれど私はこの世界で生きている。


「目指すべき場所がぶれないのは、そこがあまりにも遠いからなのかなぁ。」


ほど遠くにちらりと揺れるばかりのそれは、私の中で決して見失うことのない光だ。

伝説のマスターになるという夢は、どこへいっても、何を感じても、揺れることがない。


『たとえそうだとして、コアのなすべきことが変わるわけではないでしょう?』

「ルキア。」

『貴女はただいつも通り、一歩ずつ歩いてゆけばいいのだから。』

「そうだね。」


そうだったね。


誰かがただ懸命に生きるように、私はただ懸命に生きて歩けばいい。


『また忙しい日々の始まりです。』

「そうだね。っていうか、私たちに忙しくない日々なんて今まで一度もなかったけどね!」

『それもそうですね。』


ルキアがおかしそうに笑って空を見上げた。


「また、戻って来よう。ここに。」


私たちにたくさんのことを教えてくれた人々が懸命に生きるこの国に。


『えぇ。』


希望を捨てることのないこの国に、私はまた戻ってくる。

私を抱きしめてくれたたくさんの者を今度は私が抱きしめられるようになって。


東日本大震災で被災された方々に、そしてお亡くなりになられた方々に深い哀悼の意を表します。

一日でも早く被災された方々に心から笑える日が訪れますように。

地震が起こる以前に投稿させていただいていた118話で書きましたトリミアのように、今の日本にも光が降らずとも自ら光を灯していく命の力があると思います。

それを絶やすことのないよう、世界中の命が一丸となって乗り越えられると信じています。


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