第111話 :コア
「やるよ。」
『コア。・・・・行きますよ。』
「うん。」
スゥと静かにルキアの息を吸う声が聞え、次の瞬間にはルキアから伝わる振動と共に回りに撒かれた水が映った。
水は重力を受け、地面へと落下していく。それを留める事ができなければ、宿らせる事はできない。
「風の精霊よ、我に力を・・風の力により重力に逆らい水を浮遊させて。ウィンドウ!」
ブワッと私の元まで戻ってくる水たちには、少しの霊気を感じ、私は目を閉じて全てを捨てた。
心の中にある雑念や、神経を邪魔する周りの悲鳴や爆発音、私は静かに心を無にした。
「・・宿れ、生命の源よ。我の魔力を源に時を逆らい、時の中に生けるものに、暖かな手を差し伸べよ。
・・宿れ、生命の源、水の精霊よ!」
ルキアの上に乗り空を飛んでいる私に、重く重力が何倍もの力となって圧し掛かってきたように感じた。
魔力の全てが奪われていくような喪失感と共に、大きな疲労を感じる。
それでも両腕をしっかりと伸ばし、揺らぐことなくジッと周りの空気に魔力を調和させる。
「宿れ。」
パチッと小さく音が響いて、その疲労と重力が肩に圧し掛かる感覚からほんの少し抜け出すと、
私の周りにはたくさんの水の精霊が充満していた。
「いける!」
『流石コアだわ。信じてた。』
きっと偶然に成功しただけ。もしもここで静かに応援してくれていたルキアがいなければ、成功しなかった。
私はホッと肩の荷を下ろして、直ぐに今にも飛びついてきそうな炎に眼をやる。
「水の精霊よ、私に最大の力を・・どうか、私に水を操る力をかして下さい。
――――炎の龍に打ち勝つだけの力を・・・水の円舞曲、フルードワルツ!」
力を溜め続けていた龍が尾を振って大きく放たれた。
「水の精霊、お願い・・・。私に最大の力を」
『彼女に最大の力を』
向かってくる炎の塊を見て、誰もが大声を上げた。
よけろ、それじゃ防げない、無茶だ、もう無理だ、誰もがそう口々に言った。
そのざわつきの中で、ひどく澄んだ、そうまるでこの世界の者ではないほど美しい声がする。
《なんて荒療治なマスターなの。白竜が連れてくるマスターはいつもね。》
たった一瞬でそれが精霊の声だという事がわかった。
「・・・嘘・・、」
『聞えましたか、精霊の声を。』
「私なんかが聞けるなんて、思ってなかった。」
依然手の中で水が膨れ上がり、ワルツのように円を描いて踊っている。
その水が自然に大きな渦を描き始め、しっかりとした柱が出来上がる。
「水の精霊、力をかして・・。私に全てを守る術を。」
どうか応えて。私の中での声がとどいたのだろうか。
水は一気に質量を上げて、そこら中にある全ての精霊が集まってくる。
《いいわ。私達の全ての力を汝に捧げ、汝大切な者全てを守りますように。》
まるでルキアと契約を結んだときのように、私の体に風が走っていく。
精霊話術は専門の魔法を学び、力あるものだけができ、その中でも洗練された精霊取得者が契約を結ぶ。
これが精霊契約。
「私の全ての力を貴女に委ねます。精霊契約の名の元に。」
最大という所まで水が力をつけた瞬間。
パァン”と大きな音を立てて、水の精霊達は私の手を離れ、向かってくる炎龍に向かってく。
まるで海面上に現れた、天空へ伸びる水竜のように。
「炎を打ち消す要となり、世界を守る力として、踊れ水の精霊よ。水の円舞曲――――、フルードワルツ!」
全てを力に変えて、守ってみせる。そう思って空を飛び続けていた。
おじいちゃんとエルクーナの未来を奪った私にできることが、そこにはあるから。
「精霊・・」
「契・・約?」
「まさか・・・・・」
「あんな、子供に・・?」
呟き囁かれた言葉たちに、私は捕らわれることなんてない。
精霊の宿らない炎に、精霊が作り出した水が負けるわけがなかった。
炎の龍は簡単に打ち砕かれ、その炎の断片を空中に降らせている。
「ベーレ家の頭首を出しなさい!」
一瞬静まり返った戦場で、私の声が高く遠くまで響き渡った。
その時、目の前に羽を生やした豹が降りてきた。
その優雅な姿はルキアにも劣らずほど美しく、その眼は何も映していないようで全てを見渡しているように澄んでいる。
「貴女が幻の白竜の主、コアか。」
そんな豹に乗り私の前に訪れたのは、毛皮を羽織った貴族らしい女だった。
「貴女がベーレ家の、頭首。」
「いかにも。」
この争いを続けてきた、張本人。
「貴女のような子供が、まさか精霊契約まで結ぶとは。その実力は、本物のようだ。」
私をジッと見る眼は、まるで射るように鋭かった。
緊張と静けさがあたりに張り詰めている。
「貴女が王国二軍を動かしたのかい。」
「・・違います。」
「ならば何故、王も立たぬこの国の金銀軍が旗を掲げる。」
ルキアが翼を上下に動かすと、豹もまた上下に揺らした。
王国二軍の旗が掲げられている、その理由なんて考えればただ一つだ。
「新王がおつきになられるからです。」
この国は平和へと一歩踏み出そうとしている。その証が金銀に輝く思い軍旗。
何千もの命を背負い戦う意味がある、最後の争いの後に揺れる二つの軍旗と一つの国旗。
「新王・・だと?」
もう何の音もしない、静まり返った戦場。
そこに響く驚きに満ちた、綺麗な女の声が一つ。
「王家はもう途絶えただろう・・」
「いいえ。王家の血は途絶えてはいません。たった一人、王と直血の関係におられる王女がいます。」
私が彼女に出会った時、その眼は初めてであった時のルキアの眼に似ていると思った。
全てを諦めたような目の奥には、凛々しいほどの威厳と品格、そして貫き通すほどの願いを抱く。
「王・・女!?」
「この国の椅子はハデス家の者でもなく、決してベーレ家の者でもない、座るべき者が座るためにそこにある。」
「・・・いや、あの椅子は確かに私が座るべき椅子だ。」
野心にまみれた人間が座れるような椅子ではない。
人の傷を分かち、その命の重さと大切さを知り、一瞬と言うこの時にあるべき幸せを与えられる者こそが、王となる。
乾いた風が辺りを走るように抜けて行った。その遠くには揺らぐほど小さく黒い龍の上に乗るセルスとトレスが見えた。
「あの椅子が真に望むものは、決して貴女ではない。だから私はここへ来たのです。あの椅子が望むものをお連れするために。」
一秒でも早くこの争いを終らせるために。
小さく重い命を細い足で支え抱える幼い少女に、その命と手を繋ぐ場所を与えるために。
戦争で怪我をした私を元気付けてくれたお婆さんに、元気になってもらえるように。
赤竜の願いを叶えるために。シュランのお婆さんの哀しみが少しでも早くなくなるように。
「何を・・!」
「ただあの紫苑の椅子一つのために、失ったものは多く、取り戻す事などできないものばかりを手放して・・・。
あんな椅子のためだけに、小さな足が傷を負い、傷つきながらも笑顔を絶やす事もしない、ただ平和を願い、哀しみを抱いて。
――――――――それが意味することに気づかない愚かな者が、あの椅子に座る事なんてできない。」
この数ヶ月で私はたくさんのものを見てきた。
優しさも醜さも、そこにある幸せも、悲しみも。
そんな全てを忘れることなく、この国を皆が笑顔でいられる国にしたいと思う王こそ、座るべき場所。
「だから譲らない。」
たとえ、この争いでどれほど大きな傷を負う事になっても。
絶対に引けない。私に笑顔を向けてくれた人たちの、たった一つの願いのために。
「あの椅子には、王女トレス以外は座らせない。」
今ここに来て私はようやく、彼等のために役に立てているのかもしれないと思った。
『力ある者は、力無き者のために存在せよ』おじいちゃんの優しい声が、風の中に響く。
何のために努力してきたのか、何のためにここまで飛んできたのか。
全ては大切な人を守り、笑顔にするため。
「私は絶対譲らない。」
どうか、私に力を。大切な人を守り、彼等の切なる願いを叶えるために。