第108話 :コア
「コアーーっ!」
瞬きをすると、ゆっくり、ゆっくりと近づいてくるその物体からの声に気づいた。
「セルスっ!!」
その声の主の名前を呼び返したとき、グイッと力強い彼の腕に拾い上げられるように、私は箒に乗るセルスの後ろに乗った。
もうほんの少しで地上に付きそうだという所で、セルスは箒を空へと戻した。
「セ・・ルス・・?」
「お前は無茶ばっかりだ・・!」
私に向かって怒鳴りつけたセルスに、私はごめんと謝って空に浮かぶルキアを見た。
私が落ちる前、ルキアの右の羽には大きな傷がついていた。
焼けて傷つき、紅の血が流れ、あんな状態で長く空を飛ばすわけにはいかない。私は必死で考えていた。
「我の手に空を飛ぶ箒を、イリュージョン。」
セルスの背中で声を上げると、セルスは驚いた顔をしてこっちに振り返った。
「私・・ルキアと一緒には戦えない。セルスと一緒に戦う事も・・・だけど私は戦わなくちゃならないから。
もう・・行くね。助けに来てくれてありがとう。トレスをお願い。」
箒に乗ったことなんて無かった。
私はセルスの後ろの場所から足を放して、ボロボロの箒に飛び乗った。
「無理だ!訓練もしてないのに!!!」
振り回されるように箒が暴れて、私はただ必死にしがみついているだけだった。
箒は暴れながらも地上へと下がっていく。上がれ上がれと念じても、一向に言う事を聞いてはくれない。
「止めろ!」
「・・っ・止めない!!無理なんて私は思わない!」
たとえ無理でも、飛ばなきゃいけない。
ルキアが今一人で苦しんでいるんだ。私が傍にいなくて、誰が傍にいてあげるの?
「ルキアのところ・・に・・・・お願いだから連れて行って。」
ぐっと細い箒の柄を握り、私は呟いた。
その瞬間、近づいていた地上から急に風が吹き上がったかのように空へと箒が押し上げられていく。
「ルキアッ!」
白い右の羽がもうほとんど真っ赤に染まっていた。
『コ・・・ア・・?』
「ごめんね、ルキア。ごめん・・・っ。」
こんなにも傷ついて、こんなにも痛い思いをさせて、苦しんで。
私は貴女にそんな感情を持たせるために、空を飛ぼうと言ったんじゃなかったのに。
「ごめんっ・・。」
私は勝手なマスターで、いつもいつもルキアに頼ってばかり。
それでもルキアは優しく笑って、いつも隣にいて、励まし、叱り、応援し、ともに頑張ろうといってくれた。
『コア・・貴女、箒・・・?』
「ルキアに治療魔法をかけるから、そしたらルキアはもう地上に降りて?私は箒に乗って戦うから。」
これ以上ルキアを苦しめたくない。私はルキアの左の真っ白な羽をそっと撫でた。
すると、ルキアは私の手をパシッと弾いて、青い眼をこっちに向けて言った。
『私が怪我をして使えなくなったら・・そうやって捨てるのですか?』
悲しみと苦しみが入り混じる、そんな顔を見せられて、私の喉に言葉がつまった。
『お願いよ、コア。・・・これくらい、なんでもないわ。お願いだから・・一緒に戦おうって言って・・?』
「・・・・・・・・言・・えない。」
『コア。』
「駄目だよ・・そんなの言えない。」
『使えなくなったら・・・捨ててしまうようなマスターだったの?』
ルキアの眼は、まだ空を飛びたいと願っている。
だけど、これ以上彼女を苦しめるわけには行かない。そんな思いをしてまで空を飛ぶのは間違ってる。
「ルキアには、そんな苦しい思いをして空を飛んで欲しくないの。」
ルキアの眼がジッとこっちを睨み付ける。
それでも彼女の眼はいつもと同じで優しく温かなもので、私は今が戦いの真っ最中であることを忘れそうになった。
そんな私を現実世界に引き戻す、軍の先頭の方で鳴り響く爆発音や悲痛な叫び。
『私が欲しいのは・・綺麗な空じゃない。』
ポツリ、ルキアがそう言った。
「え?」
『誰も傷つかなくても苦しまなくても綺麗で平和でも、貴女がいない空なんていらない。
前にもそういったでしょ?・・・私はどんなに汚れて危険な空でも、貴女がそこにいるならその空を飛びたいんです。』
真っ青な空を、ルキアの青い眼はどんな風に映しているのだろう。
私はマスターとして、最悪なことをしようとしていた。
『傷つくことを恐れた事はないわ。・・・コア、貴女は私から空を奪う気なのですか。』
ドラゴンがどれほど勇敢で気高く、そして何よりも空が好きな者達だと知っていたはずなのに。
そんなルキアから、私は空を奪おうとしていた。
「ごめん・・ルキア。」
『コア、一緒に空を飛びましょう?』
「・・・はい。」
箒から力を抜いて、パッと空中に体を浮かせるとルキアは直ぐに私をその背に拾い上げた。
無機質だった箒とは違う温かな温度が、私の掌からゆっくりと伝わってくる。
「我の大切な者の傷が癒され、また共に空を飛び戦えるように、ヒールライト。」
バァンッ、と大きな音に地上へ何人かの人が落ちたのが目に入った。
きっと自己防衛魔法で地上に降りられるのだろうが、空には大きな空きができ始めていた。
私の手から放たれた光が、まるでシャワーのようにルキアの紅い血を流れ落とし、そっと傷口を閉じていく。
「・・もう平気?」
翳していた手を下ろして、私はルキアの背中を撫でながら聞いた。
ルキアはそれに答えるように、羽を上下に大きく動かすと、軍の空きに目掛けて飛んだ。
『戦いましょう。貴女とならどんな空も飛んでいたい。』
きっとまだ痛むはずの右の羽を、ルキアは嬉しそうに羽ばたかせていた。
ルキアがいるから、私は空を飛べるのに。私はそんな大切な事を、忘れそうになっていた。
箒に乗れても、きっと私は何もできなかったに違いない。
“ルキアが傍にいてくれる限り、私はマスターです。” そう言ったのは、自分じゃないか。
ルキアが傍にいなくなったら、私はドラゴンマスターでもなんでもない、ただの幼く愚かな人間でしかないんだ。
「ルキアがいるから私はマスターなのに・・・。私と一緒に空を飛んでくれますか。」
『えぇ、もちろん。』
何度傷ついても、苦しんでも、それでも私達は空を飛ぶだろう。
共に空を飛ぶ喜びや楽しみ、その幸せを忘れない限り。