第104話 :ブレイズ
赤く燃えた太陽が、その光で世界を照らしていた。
王国二軍を傍に待機させ、金軍のトップと銀軍のトップがトレスの脇に立っていた。
「それじゃぁ、行くな。」
トレスは朝の爽やかさの中に生きているようだった。
「待って。」
あぁ、などと相槌を打っていたルアーやジェラスがピタリと止まった。
短くその別れの空気に言葉を投げたのは、いつだって予想もできないことをやらかしてきたコアだった。
俺は確かにその行動に驚かされたが、内心そこまで驚く事もなかった。もっと言えば、心のどこかで納得さえしていた。
「待って、トレス。私は、お別れするなんて言ってないよ。」
赤く燃えに燃えている太陽は、朝早くからこんがりと地を焦がしていた。
その熱を冷ますように流れてくるのは、まるで現実を表わしたかのように冷たい風。
「えっ?コ、コア!?」
「私も一緒に行く。」
驚くトレスの声に続けて、ハァ!?、とルアーが大声を上げた。さすがのジェラスも眼を大きく見開いている。
「ははっ、やっぱり予想を裏切らないな、コアは。」
俺は思わず笑い声を上げた。すると意外にも、トレスも笑い声に参加したのだ。
トレスが笑うのはとても貴重な事で、それだけでなくこの場合なら、トレスはコアを叱り付けるのではないかと思っていた。
しかし、彼女はただ笑いながらコアを見ている。
「トレス?」
コアが不安そうに首をかしげた。
「いや、すまない。つい。・・・どこかで、気づいていた気がする。お前はこのまま終わるような女じゃないから。」
「な、何それっ。」
誉め言葉だ、とトレスは無理を通して笑った。いや、もしかしたらトレスにとっては誉め言葉なのかもしれない。
確かにコアは、人を想像もつかない世界へ落とし込むのに長けているからだ。
「まぁまぁ。で?セルスもついていく気なんだろう?」
ぼーっと立ち尽くしてそれを見ていたセルスに眼を移すと、まだ眠気が彷徨っているような顔をして首を縦に振った。
セルスの答えに、トレスとジェラスの眼が変わった。
「セルスもっ?」
「そうなの。一緒に・・来てくれるって。」
「そうか。」
途切れ途切れに説明するコアの眼が一瞬、悲しげに見えたのは俺だけだろうか。
コアを見つめるジェラスも目を細め、いつもにまして暗い顔をしていた。
この世界は何事においても上手くいくわけではない。いや、それはこの世界に限った事ではないが。
それは技術がどれほど発展しても、人がどれほど完璧に近づこうとも、決して変わることの無い事実だ。
人が人である限り、人の感情を抱き続ける限り、何にも補う事のできない歪みなのだ。
「ジェラスは?」
俺は思わず口に出して聞いた。
するとジェラスが驚いた顔をしてこっちを見てきた。
「お前はいかないのか?」
トレスも、ジェラスも、まさに歪みの中に生きている。
きっといくら鈍いコアもトレスのソレに気づいていて、もちろんセルスだってジェラスの気持ちに気づいているのだろう。
しかし人を思う心をどれほど持っていても、どうしても譲れないものというのは人にはあるわけで。
きっとコアにとってそれはセルスで、セルスにとってもコアでしかないのだろう。
そう、そんな事くらいジェラスもトレスも分かっているに違いない。
「どうして俺が・・・。」
「どうしてって。」
ジェラスは言葉を濁らせた。そんなの、決まっている。
ジェラスがコアを好きだからだ。
セルスがそうであるように、ジェラスも好きな奴の傍にいたいと思うのに違いは無いはずだ。
しかしジェラスは俺の言葉に無言で否と答えた。
「俺のすべき事があるのは、こいつらについていく方じゃない。」
「え?」
「俺は俺のすべき事がある場所で、精一杯力を尽くして、この国を俺なりに救う。」
真っ直ぐに黒い眼がこっちを見た。
「そうか。」
もったいない、そう感じた。こんなにも強く信念を持つ眼をしているのに。そんなふうに思った。
コアがセルスに惹かれるのも分かるが、ジェラスでは駄目なのかと聞きたくなる。
俺にはその辺がいまいちよく分からなかった。
どちらとも優れていて、どちらともコアをこれほどまでに想っているのに。
どこにどんな差が生まれているのか、俺にはさっぱり分からない。
「そろそろ出発いたしましょう。」
白いマントの男が空気を一気に整えた。
「あぁ。・・・・・・じゃぁ、な。」
トレスは悲しみに溢れる眼を見せてそういった。
「あぁ、またどこかで会えたらいいな。」
トレスと同じ場所に配属されて、よかったと思っている。
考えると王女とともに村を守っていたなんて、俺はかなりの幸運を持ち合わせていたのかもしれない。
それだけじゃない。幻の白竜のマスターとも出会うことができたのだ。もう、強運としか言いようが無い。
「コアも。」
「会えるよ。ううん、会おう。また、皆で会おうよ、ね?」
「あぁ。」
希望に満ちた君に、たくさんの事を教わった。
俺よりもいくつも若い、同じくらいの身長の君に、数え切れないほどの大切な事を学んだ。
「じゃぁね、ジェラス、ルアー。」
「あぁ。」
「元気でな。」
最後じゃないよ、とコアは笑った。その瞬間に、地上に影を描いて白竜が舞い降りた。
熱い朝日を存分に浴びて、白く美しい竜が羽を広げて冷たい風を感じている。
あぁ、太陽はまるで希望の光だと思った。そして、風はまるで現実の弓矢だと。
「諦めるなよ、何があっても。」
ふと、そう思った。
俺はずっと風を浴びて生きてきたような人間だった。
俺だけじゃなく、もちろんトレスもジェラスもルアーも、きっとセルスだってそうだ。
しかし、コアは違う。
太陽だけを見据えて、確かに体を突き刺すような風の冷たさを感じながら、それでも太陽を見続けてきた人間なんだ。
「あたりまえだよ。」
コアはそう言うとにっと笑って見せて、白いルキアの背に飛び乗った。
コアの笑顔がこんなにも温かいのはきっと、その所為だ。
希望だけを信じて、冷たい風に翻弄されることもなく、真っ直ぐに太陽だけを見てきた人間なのだ。
そんな人間だけが、周りを変えてゆく力を持ち、人を惹きつけてやまない魅力を持っている。
「あぁ。」
そんな彼女に俺やジェラスやルアー、トレスにセルスまでもが変えられたのだろう。
本人が思っている以上に、周りは彼女の存在の大きさを感じている。
たった一人の幼い少女が、この世界を白竜の背に乗り変えてゆくのだ。
それは遠い未来ではない、そんな気がした。
バサッ―――、重たく、しかし堂々と白い羽が空へと向かって羽ばたいた。
その風に俺の髪は揺れ、じっと下からその姿を眼に焼き付けた。
王国二軍も後に続くように空を連ねて飛んでいく。
別れとは、意外にも簡単に訪れて、簡単に終わってしまえるものなのだと思った。
「いいのか、ジェラス。」
その空から眼を反らすことなく、隣にたつジェラスを眼の端に映して聞いた。
「・・・お前もしつこいな。」
呆れたような彼の言葉に、思わず笑いそうになる。
するとルアーが不思議そうな声を上げた。
「何の話だよ?」
「なんでもない。」
ジェラスはそんなルアーに黒のマントを翻して、短く返事を切った。
「俺には、どうしてお前がついて行かなかったのか分からない。」
「分からなくて構わない。」
「教えろ。どうしてついて行かなかったのか。」
ルアーは面倒くさくなったのか、ジェラスの後ろを黙ってついていくだけになった。
しかし俺はどうしても不思議でたまらなかった。俺ならきっと、意地でもついて行っただろう。
あれほどまでに想っている相手から、自らはなれる道を選ぶ理由がどうしても分からなかった。
「・・・この感情を、誰かを傷つけるものにはしたくない。」
「え?」
「俺のコアへの感情は、誰かを困らせて成り立つためにあるものじゃない。」
きっとジェラスがコアにつげてしまえば、コアは困るだろう。
そしてセルスは苦しむに違いない。ジェラスは遠まわしにそういった。
「トレスがあの感情をどうしようが、俺には関係ないが。」
「・・知っていたんだな。」
「あぁ。」
「まさか、トレスはセルスが好き・・なのか?」
ルアーがトンと会話に混ざってきた。
「さぁな。」
「お、教えろよ!」
ジェラスは浅くはぐらかした。自分の気持ちを隠すかのように。
世界は常に丸いわけではない。そう思えてならない。
大切に想う人にも、大切に想う人がいて。そしてどこかが繋がる限り、どこかが途切れて。
丸いのは表面だけで、世界はちっとも丸くなんてないんだ。
それでも人はその感情を捨てようとはしない。いや、もしかしたらできないのかもしれないが。
しかしそうやって、世界は確かに形作られているのだ。
ここ最近多忙により、更新が大変遅れました。ごめんなさい。
それでもここへ毎日のように訪れてくださる方がいて、とても嬉しく思います。本当にありがとうございます。
まだ少し更新のペースは遅れてしまうと思いますが、どうかこれからもよろしくお願いします。