第103話 :セルス
夜の星に君はなにを思っているのだろう。
俺は幾度となくそう考え、深く更けているその夜を眺めてきたか。
「おかえり。」
空に舞い上がって言った時のコアは、迷っているのが見て取れるほどだった。
戻って村を守るのか、ついて行ってトレスを守るのか。
どちらもきっと間違いではない。だからこそ、コアは決められずに悩んでいた。
「ただいま。」
しかし、やはり俺の思ったとおり。
白竜ルキアの背から降りたその主、コアは凛々しい笑顔を見せて言った。
この星空に君なら何を思って、どう決断を下すのか。それを知るのは共に空を飛んでいるルキアだけ。
それはとても羨ましい事で、時に嫉妬してしまいそうになる。
「決まったようだな。」
それでも俺にできることがあるから、俺はこの地上で星空を眺めるのだ。
「ついて来てくれるんだよね、セルスは。」
「もちろん。」
せめて君の決断する勇気となれますように、そう心のどこかで願いながら。
君の決断を妨げる要素になったあの日、俺はとても後悔したから。
『結局、お前にとって俺なんかどうでもいい存在でしかないんだろ!?』
あの言葉は、あの時一番言ってはならないことだった。今ならその言葉がどれほど愚かでコアを傷つけたか分かる。
だからこそ、もう二度とコアの妨げになるようなことはしたくない。
「私、セルスが大好き。」
「・・・知ってる。」
何度も何度も、君はいつだって何度だって伝え続けてくれたのに。
逃げ続けていた俺を、追い続けてくれたのに。
「俺は・・・こんなに弱いのにいいのか。」
未だに返す事もできず、ただ受け取るだけで満足している。
「弱いの意味は分からないけど。良いと思う。そんなセルスがこんなにも好きなんだもん。」
そう言って目の前の少女はいつもと同じ笑顔で、俺を見上げるようにして微笑んだ。
俺は今、この世界の中で最も贅沢を許されている気がした。
コアの、大好きな人の好きという言葉を聞くことができるという、この上ない贅沢を許されている気がするんだ。
「知っている。」
君を想う者がいるのに、こんなにも安らげるのは君のおかげだろう。
コアは気づいていない。きっと、これから先も気づく事はない。ジェラスの抱くコアへの気持ちに。
不安で不安でたまらないんだ。もしもコアがジェラスを愛したら、と。
それが絶対にありえない事だとは言い切れない。そんな不安を作り出すのは簡単で、埋めるのは大変。
しかし君はたった一言で、その全ての不安を持ち去り、安らぎを埋め込んでいく。
「知っててね、知ってるだけでいいから。」
夜の澄み切った空気が、髪の吐息のように優しく揺れ動く。
その吐息にコアの短い髪は、フワリと揺れて、そのコアの切なげな顔を浮かび上がらせた。
「どういう意味だ。」
「い、意味なんかないよ。」
地上へ戻ってきたコアの凛々しい顔は、あまりにも悲しそうにそこにあった。
そうしたのは誰だ。その答えは簡単だった。
「コア?」
俺以外の誰でもない。
「セ、セルスは鈍いから。鈍感さんだから。」
「俺が鈍感?」
お前には言われたくない、と言いそうになるのを喉の奥に押し込んだ。
薄っすらとコアの眼に浮かぶ涙を、夜の月明かりが優しく映し出す。
君が泣きそうになっている理由が分からない俺は、もしかしたら本当に鈍感なのかもしれない。
「知っててもらえるだけで、幸せなのかもしれないね。」
「コア・・・?」
どうして泣いているんだ、なんて聞くことはできなかった。
ついに流れ出してしまった涙にそっと手を伸ばし、せめて優しく拭うだけ。
「私はセルスが好きだけど。
好きだ・・けど、セルスは私がセルスを好きだからって、自分の気持ちを否定することないからね。」
彼女が泣いてそういう理由が、全く分からないなんて。
俺はその無力さに座り込みたくなった。彼女が涙する理由さえ、理解できないなんて。
好きな女が目の前で泣いているのに、その涙を拭う事しかできないなんて。
「俺も、お前が好きだ。」
「セルス・・・。」
「知ってるだろ。」
知らないはずがない。こんなにも真っ直ぐにコアだけを想い続けているのだから。
それでも君が不安になるような事があるから、君は泣いているのだろうけど。
「中々・・うまくいかない、ね。世界が丸く・・収まればいいのに。」
涙声がそういうと、俺の心はぎゅっと締め付けられたように苦しくなった。
俺がコアを好きで、コアも俺が好きで。それだけで幸せなはずなのに。
俺が好きになるような女を、誰も好きにならないはずがないのだ。
ジェラスがコアを好きだというだけで、世界はこうも簡単に幸せを逃してしまう。
「俺も、そう思う。」
想い合うことは幸せなのに。誰かの気持ちを知りながら、
押し潰してまでして手に入れる『想い合い』は、幸せを崩すもので。
どうすればこの世界が丸く収まるのか、そんな方法はあるのか。
この星空に、俺は願いたくなる。
全てが幸せに終わる方法を。
コアが星空を見て決断を下せたなら、俺にも下せるだろうか。
誰かが悲しむことを分かっていながら、コアを手に入れるという決断を。
コアを想い続けるために、その幸せを手に入れるために、誰かの幸せを奪う決断を。