仏教との出会い
僕にとって、肝心な人生設計をする上で、とても大切な要素がある。苦しみぬき、人生を棒に振りそうになっていた頃の話であるが、僕は一冊の本を買うことになったのが、記憶の片隅に残っている。
その当時、僕は精神を病んでいる自分を辛く感じた時期でもあり、何か、今後の人生をどのように生きるか模索していた。
そして、ぶらりと書店を訪れた僕は、ひとつの生き方を記した書物と出会う。
その書物のタイトルは、「般若心経~人生を強く生きる一〇一のヒント」という書物であった。若干、五〇〇円前後のその本は、僕の考えているヒントがたくさん記していたことは、今でも鮮明に憶えている。
その日に、手にした書物を朝晩、くまなく読みあさる日々が続いてゆく。なにか、自分が悟りという世界に導かれてゆく第一歩の始まりに感じられてならない。
確かに、僕は仏教の臨済宗の檀家であるが、あまり仏教というものには興味を抱いていないというのが本音であった。
ただの、人が亡くなったときのお経としか、感じていないというのが、この頃の現状であることは、未熟者というしかない。
それが、悩み苦しんでいた自分を変える原点になるとは、まさに人の生きる道しるべ、その一言に尽きる思いである。
さて、本自体には、いろいろと素晴らしい内容が記されてある。僕が、日記を記す時の原点でもある「般若心経」のこの書物は、曇っている心に、目映い光を当ててくれる大切な教材になってゆくのであった。
その内容の一部を、この一節で紹介してみたい。
「自分を持たないと、いつまでも一喜一憂のじんせいだ!」
人は、意外と他人と比べたがります。その原点は、人の心に棲みついている虚栄心そのものです。
虚栄心は、自分の自身のなさが原因で起こると私は思います。そのために、世俗的な価値で自信を装い、自分自身を欺くことにつながるので、他人の評価を気にするようになる生き方が、自分自身を苦しめるようになって行く訳です。
その生き方を改めるには、自己の人生観を確立して、目標に向かってまっしぐらに向かう姿勢が、大事であると私は思うようになりました。
結局、他人の評価を気にしないのです。視野を広く持って、多くの人と出会い、多くの書を読みあさり、その中から、自分にあった学びを得て、自らの器という入れ物を鍛え上げることが大切と思えるようになりました。
焦らず、より良き人生を生きていきたいものです。