当時の私は一つの短気で損をしたが後悔はない。
かなり前ですが、料理の仕事で渡り歩いていたころ。
その食事と酒の飲み方に問題を抱えていた私は、その体に27歳の時に心臓の病を負う。
入院したときは、二度とその仕事ができないと言われたのですが。
どうにもあきらめることができず、綱渡り的な生き方でしたが、料理を作る人生を歩んでいました。
仕事と通院というか、岩手医科大学付属病院が、東京で入院したときの紹介でしたので。
長い間、岩手医科大学付属病院にお世話になることになるのです。
そうやって、料理、当然ながら無理がたたるので、体はガタガタでしたが、今から考えると捨て身の生き方。
そんなある日、面接である経営者に拾われる形で、居酒屋の仕事を任されます。
昼のランチと夜の居酒屋の仕事。
仕事をこなすと当然ながら、疲れる毎日ですが、充実していたのは事実です。
忙しさを気にして、当時、そこの経営者さんが、わたしを気遣い、
明日から昼のランチは止めると言ってきました。
耳を疑ったのですが、当時、経営者さんも私のことを考えての選択だったのでしょうが。
どうにも、昼アルバイトに来ている女性陣をその日から解雇的な事実で辞めてもらい、
明日からは当然ながら仕事ができなくなる。
私一人の体を気遣うのはいいのですが、私のために数人が犠牲になる。
当然ながら、私の心に怒りの炎が燃え上がり、経営者に直接談判しますが、通らず。
わたしはその日に、自分の仕事にピリオドを打ちます。
もちろん次の日から仕事がなくなる。
されど、もし私が行動をせず、直談判して辞めなかったならば、その女性たちに向ける顔がありません。
アルバイトの女性たちと一緒にその店を去ることにして、そのあとが大変ですが、良かったなと今思っています。
当然ながら親からはさんざん言われる始末。
あの頃、親父は生きていた。
これ以降は、父が亡くなり、当時わたしは買い物代行という方向性で動いていましたが、なかなか仕事がうまくいかず、2011年の2月から法律を学び、やがて震災を迎えて、
それがきっかけで、15歳の神の聖霊との出会いの意味を悟りたくなり、長い孤独の我慢の人生を歩むことになるのです。