欲しがり妹が肥えたのは、私のせいだと言われましても。
伯爵令嬢のメーベルには、妹がいる。
名前はミッシェルと言って、二歳年下だ。彼女は腹違いの妹であり、第二夫人ヴェロニカの子供だ。
「ねぇ、おねぇさま、ミッシェルもその指輪ほしぃな」
小さな妹は、メーベルの母シンディーの形見の指輪を見てそう口にした。
父のいない夕食の席、ミッシェルの隣に座ったヴェロニカが、しめたという顔をして、ミッシェルに言った。
「きちんとお願いしてみたら? くれるかもしれませんわよ」
「おかぁさま、本当?」
「ええ、本当本当、だってあなたのお姉様のメーベルはこの家の一番大切なものを独り占めするんだもの。なんでもあなたにあげるべきですわ」
「そぉなの?」
「そうですわ。それにお姉様なんだもの。かわいい妹のあなたにならなんでも譲って当然なの」
ヴェロニカは、小さなミッシェルに言い聞かせる。
メーベルはそれを静かに見据えていた。
シンディー譲りの絹糸のような美しい銀髪はさらりと揺れて、金の瞳は何も映していないかのようにぼんやりと焦点が合っていない。
複雑でとてもじゃないが言い表せない感情が幼いメーベルの体の中をたぎっていて、それらを処理する事もできずに、メーベルは無表情だった。
しかし、少しおいて、やっと母がいなくなった悲しみや、ミッシェルには母がいるという嫉妬、大切なものを譲れと言われる苦しさ。
そういうものが理解出来ると、途端に堪えられなくなって涙をぽたりとこぼした。
「……」
「あらやだ、はしたないわね! 突然泣きだすなんて、私たちが悪者みたいじゃないの!」
「アハハッ、キャハハッ、ぶっさいく~!」
キャッキャとミッシェルは無邪気に笑った。メーベルはその顔をじっと見ながら、大切なものは誰にも見せないと心に誓った。
それからだんだんと妹の要求は大きなものになっていった。
あれもこれもと次から次に望み、仕舞いには勝手に部屋に入る始末だ。
本来誰かが止めるべき行いもヴェロニカに肯定され、どんどんと増長して行く。
そしてメーベルからミッシェルがなにかを奪うたびにヴェロニカも満足げになっていく。
メーベルからとること自体に快感を覚えているかのように執着的に奪い続けた。
それでもメーベルはあの日のように涙を見せることはなかった。
なぜなら……。
「お姉様! また勝手にお菓子を取り寄せたのでしょう! 一人で、内緒で! 独り占めして!」
「あら、ミッシェル……」
妹はあれからずんずんと大きく成長していた。
もうメーベルのことなど比較にならないほどで、そんな彼女はメーベルをびしりと指さして、叱りつけるように言った。
彼女はずかずかとメーベルのそばに寄り、奪い取るみたいに持っていたクッキー缶をかっさらった。
「まぁ! これは王都で人気の製菓店の限定缶じゃないの!」
「……それは……!」
「こぉんなおいしそうなものを、お部屋で一人で、こっそりたべようとしていたなんて、なんて意地悪で性悪なのぉ!」
「……」
メーベルはバツが悪いみたいな顔をして、目を伏せてそっとうつむいた。
「ミッシェルがもらえない爵位をお姉様はもらうんだから、ミッシェルになんでもあげなくちゃいけないのにぃ?」
「……」
「内緒にしてたなんていけないんだぁ?」
ミッシェルはクッキー缶の蓋を開けて、立ったまま缶を抱えてボリボリとクッキーを口に放り込む。
小さく細工の凝ったクッキーたちは、彼女の大きくムチムチの手のひらに握られて、口に入れられたあとはざくざくとかみ砕かれ、次の瞬間にはゴクリと飲み込まれた。
急いで侍女が出した紅茶をゴクリゴクリと飲み干して、メーベルに見せつけるようにクッキーを食べ続ける。
ムシャ、ボリ、ザクザクッ。
クッキーは一分も経たずに跡形もなく消えていた。
その様子にメーベルは震えて、とっさに、侍女がそばに置いているキッチンワゴンへと視線をやる。
するとミッシェルはそれに機敏に反応し「そこねっ!」と豊満なお肉をぶるんと揺らしてワゴンに突撃した。
「っ、それは、それだけはっ! わざわざ隣国から輸入して楽しみにしてたのに!」
メーベルが言うと、ミッシェルはワゴンの中から発見したチョコレートの箱をゆーっくりと開く。
「アハハハハッこんなものまで隠していたのね! はぁチョコレート、こんないいものめったにお目にかかれないわぁ!」
ミッシェルはにんまりと笑って、チョコレートを同じようにどんどんと口に放り込んでいく。
視線を伏せて、メーベルはそれから目をそらしたけれど、口元は小さく笑っていた。
使用人の使う控え室にて、メーベルは従者のオリヴァーと顔を合わせていた。
小さくて簡素なテーブルで向き合って、テーブルの上には王都の方からの手紙が広げられている。
「準備は最終段階に入ったわね、オリヴァー」
「はい。お嬢様」
「抜かりなく頼むわよ。こちらはもう……はちきれんばかりに……準備は整っているのだから」
メーベルは昼間のミッシェルのことを思い出して、そんなふうに口にした。
その言葉を聞くとオリヴァーは困ったように笑って、「はい」と静かに返事をする。
彼とは、最初にミッシェルがメーベルの指輪を狙った日から、とある作戦を打ち立て、準備と実行を何度も繰り返してきた。
今のミッシェルの体型はそのたまものである。
「資料の関係はもう送ったのよね」
「はい、今頃到着する頃かと」
「そう……今までのままでも十分だけれど……先日ヴェロニカがミッシェルの結婚相手を探すパーティーのためにコルセットを新調したらしいけれど規格外のサイズになるから倍の金額がかかるとぼやいていたの」
「なるほど、そちらも情報をまとめましょう。倍の金額はインパクトがありますし」
「そうね。期限が近いけれどやってそんはありませんわね」
メーベルとオリヴァーは意見が合致して、目線を合わせて頷く。
なんてことはない。
メーベルがあの日から始めた作戦はとても単純な話だった。
簡単に言うとどうせ奪われるなら、奪わせた上で一矢報いよう、である。
そこで思いついたのはお菓子だ。
一見、ただの娯楽品だが、数を重ねれば変わってくる。
クッキー、ケーキ、チョコレート、キャンディー、マドレーヌ、毎日地道にコツコツと。
少しずつ少しずつ、雪玉を転がすようにミッシェルは肥えていく。
母がいたときはまだ、それほど顕著ではなかったが、いなくなってからはどんどんメーベルのものを奪い続ける。
短期的には奪うことによってヴェロニカもミッシェルも満足する、しかしそれだけでは済まされない。
だんだんと大きくなるミッシェルの体、それでも止めずに喜ぶだけのヴェロニカ、破綻はすぐそこまで見えている。
「あ、そうでした。これ、今日のチョコレートですが」
彼ははっと思い出したみたいに言って、ジャケットのポケットから包み紙につつまれたチョコレートを取り出した。
「一つ、取っておきました。お嬢様、味が気になると言っていたでしょう?」
言われて手渡され、メーベルは紙を開く。
「ありがとう、オリヴァー。良くそんな些細なことを覚えてたわね」
「他でもない、お嬢様のことですから」
オリヴァーはなんてこと無いみたいに笑って、メーベルはチョコレートを口に運んだ。
甘くて少し苦くて、下の温度で溶けて口いっぱいに広がる。
オリヴァーは昔からメーベルに仕えてくれているとても有能な従者だ。
決して手放したくない。……奪われたくない。強く思うとなんだか無性にやる気がわいてきてぐっと拳を握ったのだった。
「なによぉ! なんなのよぉ! ミッシェルのなにがそんなにいけないって言うのよぉ!!」
近場のパーティーから帰宅したミッシェルは、これ以上ないほど涙を流していた。
帰宅した彼女たちを出迎えたメーベルは少し離れたところからその様子を見ていた。
崩れ落ちそうなミッシェルをそばで支えようと手を貸しているヴェロニカは、娘の体重を支えきれずに腕をブルブルと震わせていた。
ミッシェルはまぶたまで脂肪に覆われて、細くなった目の間から涙がぽろぽろと崩れ落ちている。
不摂生な食事のせいで顔にはポツポツとできものができている。
涙を流して体温が上がったせいで、汗をかいたのか首の首の隙間に指を入れてゴリゴリと掻いた。
隙間が蒸れてかゆかったのだろう。
「ううっ! うう゛っ!! こんっなにおしゃれしていったのにぃ! 愛想良くしてやったのにぃ゛!」
「落ち着いて、ほらせっかくのお化粧が台無しだわ、大丈夫よ! ミッシェル」
「おかぁざまぁ!」
相変わらずメーベルのそばには誰一人として従者がいない。
ぽつりとしているメーベルとは違って、ミッシェルやヴェロニカのそばにはたくさんの侍女がいた。
彼女たちもなんとか取り乱すミッシェルを抱えている。
「何なのよぉ、あの男たちぃ! ふざけんじゃないわよ! ミッシェルのことを見るなり避けてまわってぇ!! 声をかけたら、変な顔をして!」
それはまぁ、避けるだろう。
ふくよかで幅があるというのも要因だろうが、ミッシェルは普段からメーベルの菓子を奪ってその場ですぐに平らげることを一番の快楽にしている。
今日だって、パーティー会場にはお菓子がたくさん並んでいただろう。それに彼女が突撃したことなんて聞かずともわかることだ。
「肩に触れたら、ハンカチで拭ったのよぉ! こんな屈辱っ! あんな不細工のくせにぃ!」
「そうね、ミッシェル、あなたは悪くありませんわ」
「そうよね、おかぁさまぁ!!」
ふと、ヴェロニカと目が合った。
彼女は泣き叫ぶ娘を支えながらもメーベルを見つけて、少し目を見開いて「お出迎えうれしいわ、メーベル。また夕食で会いましょう」と少し優しい声で言ったのだった。
「あなたにも、友人の一人や二人、いるでしょう? 信用を置いてくれている人が少しはいるでしょう?」
ヴェロニカはメーベルに夕食の席で話を切り出した。
使用人たちがテーブルに料理を運び、メーベルはパンをちぎって、横目で大盛りの食事を運んでいく使用人を見ながら「それなりには」と短く答えた。
ミッシェルはガツガツと食事を取り始め、どんなにショックでも食い気はあるようだとメーベルは冷静に分析した。
「あなたは、この伯爵家の爵位をもらう跡取り。一方ミッシェルは爵位ももらえず嫁に行くしかない身。見たでしょう今日のミッシェルの傷つきよう……すごくすごくかわいそう」
「……そうですね」
ヴェロニカは、やはり今まで通り解決しようと考えているらしい。
今まで通り奪って、気持ちよくなりながら、さらには欲しいものまで手に入れる。
一石二鳥、ヴェロニカは一切傷つかないしヴェロニカの思い通り。
そんな、余裕たっぷりの顔をしていた。
ミッシェルに比べてヴェロニカはとても美しかった。
「そうでしょう? わかるわよね、あなたってとても聞き分けがいいもの。いっつもちゃんと姉らしくしてくれる」
「ええ」
「ミッシェルが欲しいものをいつもあげてくれている。それってあなたの義務よね、あなたってば生意気にもあの女の娘なんだもの」
「……」
「ああでも、そもそもあなたのせいでもあるわよね。あなたがミッシェルを太らせたんだもの、あなたがとる責任でもあるわよね」
ヴェロニカは若干ヒステリックになりながら畳みかけて、言葉とは裏腹に、メーベルに鋭い視線を向ける。
敵視されていることなど今更疑う余地もない。
「なら、友人の中で一番いい男をミッシェルの婚約者にしてくれるわよね?」
「どのようにして、ですか?」
「簡単でしょう? 顔を合わせないまま婚約することなんてよくある話、痩せて美しい姿のミッシェルの肖像画を送ってあなたからも、かわいくて愛らしい妹だと話をされれば簡単でですわ」
ヴェロニカは、頬に手を添えてにっこりと笑った。
こてんと首をかしげて、まったく悪くないことを提案しているつもりみたいな顔だった。
それをやった結果、メーベルの信頼がどうなるのかわからない訳がないだろう。
友人といえども貴族同士のつながりだ、嘘をつき、ろくに躾けもされていないミッシェルを紹介し結婚させたなどメーベルの信頼どころか伯爵家の信頼まで落ちる。
「苦情が出る可能性もあると思いますけれど……」
「そうやって言い訳して、友人関係を優先するの? あなたはミッシェルよりずっと恵まれているのに?」
「……」
「あなたは、姉で、あなたは跡取りで、ミッシェルはこんなにかわいそうなのに?」
友人も、信頼も、奪って自分たちは、欲望のままに奪い尽くして、他人のことなど考えない。
それを見ていてメーベルは思った。
(酷く醜い、生き方ね)
今まで通りならば、ここまで言われたメーベルが逆らったことは涙を流した一度以来ない。
従うとわかっていてヴェロニカは脅しているのだ。
「わかってくれるでしょう? メーベル、妹のためなんだから、そのぐらい」
「……」
「いつもみたいに、優しくていい子なあなたがわたくしも好きですわ」
そうして、ヴェロニカはにこりと優しく笑った。
要求を呑めばずっとこの顔で対応してやると言うようなそういう脅しの形である。
しかし怖くもなんともない。なんせ、この場には一番の味方がいる。
メーベルは、彼女の言葉に笑って返した。
「わたくしは、あなたが嫌いだけれどね」
「……」
「お父さま。事情は把握していただけたでしょう。この方々は、わたくしのことも家のことも、これっぽっちも考えていない。多くを奪って人を食い物にするだけ」
そうして、大盛りの料理をミッシェルに給仕していた使用人に目を向けた。
その使用人は今日ずっとミッシェルに料理を運んでいたが、少し動きがぎこちないことに誰も気が付かなかった。
料理が置かれて、メーベルの言葉にミッシェルが顔を上げると、使用人――もとい、父と目が合う。
そうしてやっとミッシェルは、料理を運んでいた人間が自分の父であったと気がついた。
「お、お父さま!?」
「っ…………あなたどうしてここに、と言うかどうしてそんな格好を……」
二人がダイニングに入り席に着いた後、事情を説明しておいた父には二人の本性を見せるために潜んでもらっていたのである。
ちなみにオリヴァーの発案だ。大胆な作戦でメーベルは大丈夫かとヒヤヒヤしていたが、彼の言ったとおり二人とも一切気が付かなかった。
「こんな人たちを置いておくことは、伯爵家にとって何の利点もありません。伯爵家の信用を落とすことを気にもしない。お父さまがいない間の、屋敷の管理は改ざんと嘘まみれよ。例えばわたくしの予算を削って、わがままを言うミッシェルの菓子代にしていた」
「……ああ」
「菓子だけではなく、経費を水増しして、ミッシェルの特注のコルセットや飾り立てる宝石、ドレスも捻出していた」
「うん」
父は、ミッシェルが久方ぶりの父親を前にしても、食事を口に運びながら「どういうほと?」と咀嚼しながらしゃべる彼女を静かに見つめる。
それから、明らかにまずいという顔をしているヴェロニカに視線をやると、ヴェロニカはぐっと拳を握って口を開いた。
「ばっ、馬鹿なことをなさらないでよっわたくしはただ、本当にミッシェルのことを思って言っただけで」
「……」
「管理の話だって、きちんと王都にいるあなたに報告をしていたはずですわ。それをこんな小娘の言葉一つで疑うなんて、あ、あり得ないでしょう?!」
ヴェロニカはテーブルをたたきつけ、怒鳴りつけるように言いながら立ち上がった。
父は、その様子を気にせずに、メーベルの元へやってきた。
「小娘……か」
「っ……」
諦めを含んだような声にヴェロニカは焦って言葉を重ねる。
「そもそも、メーベルが悪いのですわ! そうよ、そうだわ。わたくしの娘をこんなになるまで太らせてっ!」
「……」
「そのせいでこんな、今日だってわたくし自身も惨めな思いをしてっ――」
「もう良い、やめてくれ、ヴェロニカ」
メーベルも立ち上がって父のそばによる。
わめき立てるヴェロニカの言葉は父には一切届かない。
当たり前だ。
そもそも早く死んだシンディーの実家に、許しを請うために王都から通っているのだから。
メーベルの祖父母は、シンディーが早世したことで父を責めていたのだ。病気で仕方が無いと言っても、そう簡単に親心というのは子供の死を受け入れられるものではない。
その調整をしていたから領地の屋敷にはメーベルたちしかいなかった。
父はシンディーをその両親まで大切にするほど愛し、身分差という障害がありながらも嫁にもらった。
しかし、先代の伯爵はその結婚を好意的には受け止めず、親戚たちのなかからヴェロニカを選んで第二夫人にめとらせた。
だからこそ、ヴェロニカを簡単に排除することもできない。
そういう状況だったのだ。必然的にメーベルは窮屈な生活をすることになったが、シンディーを愛している父のことも大切に思っている。
だからこそ、きちんと準備を整えた。
「メーベルから屋敷の実情についてはここ数年分の正しい帳簿をもらったよ。すでに、ヴェロニカが横領、改ざんをしていた証拠は山のようにある」
「しょ、証拠ですって……?」
「その上で、跡取り娘――ひいては伯爵家の信用を落とす行為を強要。きちんと聞かせてもらった。そんな人間はいくら先代の後ろ盾があっても、伯爵家の貴族として遇することはできない」
「っ、こんなの、突然っ、あり得ないわ、なんてことを、この娘っ……!」
「なにっゴクンッ、どういうことなのよぉ?」
「正当に罪を裁かせてもらおう。入れ! この者どもを捕らえろ!」
父は高らかに宣言し、ダイニングに外で待機していた兵士がなだれ込んでくる。
「嘘、嘘、嘘よ! わたくしは、伯爵夫人なのよ!」
「ぎゃあ! お母さまぁ!」
あっという間に捕らえられて、意外にあっさりとした幕引きである。
メーベルは、取り押さえられて顔をゆがめている二人の元へと行った。
「……」
「め、メーベルゥ……やったわね、この性悪……」
「性悪……ですか。こんなことになってもあなたは自分が悪いとは思わないのね」
「わたくしは当然のことをしただけですわ! いいじゃない少しぐらい、ミッシェルの身なりを整えるお金が足りなかったのよっ、あなただって爵位をもらうんだから、それ以外のなんでも譲るのだって当たり前でしょう!?」
「それが当たり前にまかり通るなら、あなたは今捕らえられてるはずがないでしょう?」
つばを飛ばしながら、まったく反省する様子もなく怒鳴るヴェロニカに、メーベルは問い掛けた。
「現実を見たらいかがかしら」
「第一夫人がっ、シンディーがいたから!! わたくしはそもそも、正妻になれなかったのよ! 最初にあっちが奪ったんじゃないッ!」
「それは勝手な妄想ですわ。お母様がいなければそもそも出会いもしていなかったのでは? それにわたくしの母がいなくともあなたは第一夫人になんてなれませんわ。……器じゃないもの」
「なんですって!?」
ヒステリックに叫ぶ彼女に驚いて、隣でミッシェルは母に怯えて小さくなった。
「誰かから奪い取るばかりで、未来も家のことも考えられない欲望まみれのあなたに務まる仕事とは思えませんから」
「だからっ、それはっ、わたくしはっ!」
「どんな言い訳をしようと、ただ今は、あなたは捕らえられて、罪を裁かれるだけ」
メーベルはヴェロニカにぐいと顔を近づけて、至近距離で睨みつけた。
「わたくしが奪われた以上に、あなたが多くのものを失うことを祈りますわ。ヴェロニカ」
メーベルが言うと、ヴェロニカはぐっと押し黙る。しかし数秒後また同じことをわめきながら暴れ出した。
そのどうしようもなく進歩のない姿に、メーベルはもうかまうことなく父の元へと戻ったのだった。
父は、騒動の後、メーベルに謝罪をしたが気にしないで欲しいと返した。
父には父のやるべきことがあり、心労をかけたくなかったし、メーベルは、やるからには完璧な排除が目的だった。
だからこそ数年分のヴェロニカの屋敷管理の記録の詐称の証拠が集まるまでは何事もないように装っていたのだ。
これはメーベルとヴェロニカたちの戦いだったのだから、守れなかったことを謝罪する必要はない。
ヴェロニカは罪に問われて牢に入り、ミッシェルはヴェロニカの実家の方へと戻る運びになった。
あのミッシェルがこれから幸せになるかどうかは知らないが、排除することに成功したからには、もう必要以上にミッシェルから奪うつもりはメーベルにはなかった。
しかし、長年の習慣は消えない。
メーベルとオリヴァーはいつも通り従者の待機室に集まって、顔をつきあわせていた。
ちょうど、今日、ヴェロニカが収監されたことが通知されたのである。
「これでやっと、お嬢様が我慢していたことがなんでも自由にできますね」
「そうね」
「遠ざけていた使用人たちも戻ってくることができますし、侍女たちもドレスを増やしたがっています。あとは、流行の装飾品も魔法具もなんでも自由に、思いのままです」
オリヴァーは誇らしげでとても嬉しそうに笑う。
彼がそういう顔をしてくれるとメーベルも嬉しい。
もちろんなんでも自由に手に入れられることは嬉しいという気持ちはあった。
しかしながらメーベルは多感な時期に欲求を抑え込んでしまったせいかあまり物欲はない。
自由が戻ってきたとしても、大切なものを増やせることを心の底から無邪気に喜べなかった。
けれどもオリヴァーがそう言ってくれると、まるで自分の心もそう感じているかのように浮き足立って、頷いた。
「それに……お嬢様ももう婚約者や、大切な方の一人や二人、いてもおかしくない時期です」
するとオリヴァーは続けて婚約者の話題を出す。
たしかにそれも、ミッシェルに欲しがられる可能性を考慮して、選んでいなかった。
「……僕が聞くのは変かもしれませんが、僕自身、お嬢様の選ぶ相手が楽しみなのです。それでお嬢様が少しでも幸せになってくださったら僕は、頑張って良かったと心から思えます」
オリヴァーがゆっくりと目を細めてメーベルのことを見つめる。
その瞳に浮かんでいるのは紛れもないメーベルに対する強い想いだ。
「ですから、是非、一番にお嬢様のお心を僕にお聞かせくださいね。全力でお手伝いいたします」
オリヴァーは笑うととても愛らしい。
ほころんだ表情、後ろでちょんと結ばれている柔らかそうな茶髪がピョこりと揺れて、少し触ってみたいような好奇心がわく。
それと同時にメーベルは少し困った。
(そんなことを言われては……困るわね)
もちろん彼の気持ちは嬉しい、しかしながら、少々困る。
「……」
「いけませんでしたか? ……僕では頼りないでしょうか」
メーベルの表情が曇ると上目遣いで問いかけられて、メーベルはさらに口を引き結んだ。
頼りないとかではない。むしろ頼りがいのある従者である。
ただ、一番に話をしてほしいと言われると誰にも相談することができなくなってしまうのだ。
オリヴァーへの気持ちを精査することが難しくなる。
それでも、ほかでもない彼からのお願いだ。
奪うことなく与え続けてくれる、メーベルのかわいい従者。
奪われないようにかくまって、誰より奪われたくなかったから、決してヴェロニカ達の前では交流を持たなかった。
「……違いますわ。ただ……」
「ただ?」
「…………」
「?」
「愛している人はいるのよ。それが……あなたと言うだけで」
「??」
「だからあなたにそう言われるとわたくしは、あなたにそれを相談するしかなくなるわ。だから困ったのよ。頼りに思っていますわ。誰より、愛しているのだもの」
メーベルは淡々と続けた。
オリヴァーはきょとんとしていて、それから「ぼ、ぼぼぼ、ぼく?」と自分を指さしていった。
「わたくしとあなたの関係は、ただの主従愛で男女のそれではないとはねのけられる可能性があったもの。だからこそ慎重にと思った……でもあなたにそう言われてはわたくし相談せざるを得ませんの」
「へ、え? みみみ、みぶ、身分差がっ」
「あなたの出身は子爵家でしょう? さほどないわ。家柄という点でも、よく伯爵家に仕えてくれている家系だもの」
「で、ででで、でもっ、僕は、あの」
「ええ」
「あのっ」
「はい」
「…………」
最終的にオリヴァーは言葉に詰まって、口をはくはくとさせて顔を赤くした。
その様子もまたかわいい。
嫌悪はされていないらしいということは理解できる。
「…………」
しかし黙った。そしてそのまま、固まった。
メーベルはテーブルに頬杖をついて静かに見守った。
その間にオリヴァーの顔は赤くなったり青くなったりして、見ていて飽きなかった。
最終的に、頬を紅潮させて言った。
「僕は、お嬢様に惚れられるようなかっこいい男じゃない……ですよ? ……助けて、あげられなかったし」
「……助けてくれていたし……与えてくれていたわ。かっこいいかどうかは知らないけれどそれだけで十分」
ずっとそばにいなくとも、手を引いて窮地を助け出してくれなくても、メーベルにとっては救いになった。
彼がいただけで、こっそり二人で策を練って進むだけで、孤独ではなかった。
どこぞにいる悲劇から救う白馬の王子様ような男性よりも、心の底からつながっていると思える人がいてくれるそれだけで、有り余るものをもらっている。
だから好きなのだ。
「わたくしを満たしてくれていた」
「っ」
「ありがとう。でももっと、近い距離であなたのそばにいたいんですの」
「……っ…………よ、よろこんで」
メーベルが言うとオリヴァーはぎゅっと目をつむって頬を染めて言った。
告白の返事にしては不思議な回答だったが、彼の表情を見れば嬉しく思ってくれていると察せられる。
テーブルに置かれている彼の手にそっと触れると、驚いて固まってそれからきゅっと握ってくれる。
愛らしい反応に思わず苦笑したメーベルだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
下の☆☆☆☆☆で評価、またはブクマなどをしてくださると、とても励みになります!




