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英雄の露払い~世界の命運を背負った幼馴染には並び立てない凡人だけど、それでも背中は守りたい~

作者: バルサミ子
掲載日:2026/04/13

──迷宮大崩壊まで約15年。


 世界は英雄を求めていた。


 各地の迷宮から採れる魔石はエネルギー源として人々の生活を支え、魔物から採取できる素材は有用な道具の材料となり、希少な薬草は傷病者の救いとなる。凶暴な魔獣が跋扈するこの大地で人類種がここまで繁栄を謳歌することができているのは、間違いなく迷宮の恩恵あってこそだった。


 ただし、この繁栄も永久的なものではない。全ての迷宮には寿命があるのだ。迷宮が寿命を迎えると、内部で膨れ上がっていた魔力と共に、巣食っていた魔物ごと地上へと吐き出される。

 これがいわゆる迷宮崩壊──周囲に甚大な被害をもたらす災害だ。


 そして現在、世界最大にして最古の迷宮の崩落が近づいていた。これを食い止めるには迷宮最深部にある迷宮核を破壊して、迷宮を消滅させる必要がある。だが、最古にして最大の迷宮は未だ未踏破。数多の迷宮探索者が挑み、破れてきた。故に今、世界は英雄の誕生を待ち焦がれている──


「──そう! この俺、ゼノ・アルヴィンという英雄をなッ!」


 小高い丘を吹き抜ける風に乗せて、世界中に轟かせるように。

 12歳になったばかりのまだ甲高い声で宣言すると、隣にいた幼馴染のフィリス・ロワールが呆れ笑いを浮かべた。


「はいはい、すごいすごい。でもその未来の英雄様は昨日、ママに怒られて半べそかいてなかった?」


 痛いところを突かれた。昨日ちょっと実家の店番をサボったせいで、こっぴどくお母さんに怒られたんだった。だけど……その程度じゃ英雄の威厳は損なわれない。たぶん。


「わかってないな、フィー。人間離れした力を持つ英雄だからこそ、親しみやすさも必要なんだよ」

「ふーん。便利な言葉だね、英雄って」

「雑に流しやがって……」

「だってゼノの英雄論にいちいち付き合ってたら、日が暮れるし」


 そう言って肩をすくめるフィリス。

 昔からこうだ。俺がわりかし真面目に言ったことを毎回雑に受け流しやがる。ただその代わりに、他のやつらみたいに無理だと笑うことも、無理だと切り捨てることもないんだけど。

 だからたぶん、俺はこいつの前だと遠慮することなく口にできるんだ。


──英雄になる、と。


「で、今日も行くんでしょ? 英雄の冒険ってやつに」


 蜂蜜色の髪を揺らしながら、他人事みたいにフィリスが言う。その翡翠の瞳は冒険に対する期待感も、未知への恐れも抱いていないように見えた。背丈は俺より少し低いのに、表情やら振る舞いやらが妙に落ち着いている。そのせいか同い年のはずなのに、たまにこっちが年下みたいな気分になる時がある。もちろん本人にはそんなこと言わないが。


「ああ、今日こそ《黒曜の小道》の1層を攻略してやるんだ」

「できるといいね~」


 緊張感のないフィリスを引き連れて丘を下る。木々に囲まれた細い獣道を目印に、少し歩くと見えてくるのが、秘密の小迷宮こと《黒曜の小道》だ。俺たちが生まれたのと同じくらいの時期に町外れに発生したこの迷宮は、規模が小さく、出てくる魔物も弱いやつばかり。大人たちは「近づくな」とは言っているものの、変に他の迷宮に潜って危険な目に合うよりはいいか、と半ば黙認されていた。


「でも大丈夫? この前は途中で逃げ帰ったけど」

「あれは、『戦略的撤退』ってやつだ」

「英雄がグレイ・ラビット3匹相手に?」

「うるさいな……!」


 フィリスの口端がわずかに緩んだのが見えた。こいつは本当に俺をムカつかせるのが上手い。だが、この程度でムカついていては英雄は名乗れない。

 いつも以上に気合を入れて迷宮に足を踏み入れる。薄暗い内部に目が慣れてくるのを待って、鈍く黒光りする壁に沿って奥へ歩みを進めた。


 手には木剣、腰には控えの短剣。装備はばっちり。フィリスも細身の剣をぷらぷら構えて準備万端。不覚を取る要素はどこにもなし。


 しばらく進むと、視界の先で何かが蠢いた。薄暗い迷宮の奥から這い出てきたのは、灰色の小さな影。向こうもこちらの存在に気づいたらしく、長い耳がぴくりと揺れる。


 低い唸りと共に飛び出してきたのはグレイ・ラビット。頭に黒曜の角を持つデカい兎の魔物だ。視認したのは一匹。これなら問題ない。


「ゼノ、援護は?」

「一匹だし大丈夫。それに試したいことがあるからさ」


 息を整え、鳩尾の辺りに力を込めて、全身に魔力を巡らせる。魔力による身体強化を行った今の俺の膂力は、素の状態の大人を軽く上回る。そう、人は魔力を行使することで、魔獣や魔物のようなバケモノたちと渡り合うことができるようになるのだ。


「さあこい、デカ兎!」


 その言葉を口にした次の瞬間、灰色の塊が弾けた。大きな石つぶてと化したグレイ・ラビットが眼前へと迫る。


「──っ!」


 半歩左に避けつつ、木剣を横に薙ぐ。瞬間、ガツンと鈍い音が響く。衝撃で手がわずかに痺れたが、お構いなしで木剣を振りぬいた。


「よし!」


 打ち返されて無防備に宙を舞うグレイ・ラビット。致命的な隙を見せた相手に対して俺は再び木剣を振るう……ことはせずに先端を突きつけた。弾き返され遠のいていくグレイ・ラビットにその先端は届かない。だが、それでいい。

 剣の先端はあくまで照準。俺の本当の狙いは──


火の矢(フレイム・アロー)!!」


 言葉と共に小さな火球が、木剣の指し示す先へと放たれ──グレイ・ラビットの鼻先で弾けた。


「ピギィイイイ!!!」


 断末魔。どさりと鈍い音を立てて地面に落ちたグレイ・ラビット。

 残響が鳴りやんで静寂が訪れる。どうやらくたばったみたいだ。


「ふぅ~~」


 力みっぱなしだった鳩尾と腹筋を緩めて、大きく息をつく。わずかな疲労感と大きな達成感。

 

「やるじゃん、ゼノ」

「ふっふっふ、まあな」


 テンション低めなフィリスの賛辞が、たまらなく嬉しく思えた。


「ねえ、今のって前に特訓中って言ってた重奏だよね?」

「そうなんだよ! 昨日初めて身体強化と火の魔法の2重奏ができてさ! こんなのもう実戦で試すしかないって思ってさ!」


 俺が今の戦いで試したのは、魔力の重奏。簡単に言うと1度に2つ以上の魔法を並行して行う技術だ。迷宮探索者を生業とするなら必須だという話を聞いていたから、今の内からモノにしようと隠れてコソコソ猛特訓をしていたのだ。


「へ~すごいじゃん。大人でもできない人多いのに」

「まあ? だって俺未来の英雄だし?」

「それではしゃいでママに怒られた、と」


 フィリスのやつ、一言多いんだよな。ただ、おかげで少し浮足立っていた気持ちが元に戻りはしたけど。


「でも、そこまでできるなら、時間の問題かもね」


 不意にフィリスがそんなことを言った。


「時間の問題……《覚醒》のことか?」

「うん、先生も言ってたでしょ? 今でも弱い魔物相手になら戦えるけど、本当の意味で迷宮で戦えるようになるのは、《覚醒》した人だけだって」


 覚醒。極一部の人間だけが手にする特別な力のことだ。資質を持つ者が強い衝動を抱いた時に訪れる、いわば人間の進化。覚醒を経た人間は、魔力の量が跳ね上がり、更に固有の力(スキル)を獲得する。

 だから子どもは皆、一度は夢を見る。


 自分もいつか、選ばれるんじゃないかって。


「まあ、当然俺は選ばれるさ。だって俺は、未来の英雄だからな」

「はいはい。そう言いきれるのはゼノのいいところ──」


 言いかけて、フィリスがぴたりと口を閉ざした。翡翠の瞳が、俺の肩越しの闇をじっと見つめている。


「……フィー?」


 つられるように振り返り、背筋が凍った。


 通路の奥、薄暗がりの中に、グレイ・ラビットよりもずっと大きな影が立っていた。灰色の毛並み。低く沈めた体勢。ぎらつく黄の双眸。口元から覗く牙は白く、光を放つほどに鋭い。


「グレイ・ウルフ……?」


 声が掠れた。

 《黒曜の小道》みたいな小迷宮に、それも一階層に出るような魔物じゃない。

 間違いなく、俺たちの手におえるような魔物ではなかった。


 なんでこんなところに? どうやって? 何が起こってる?

 答えの出ない思考が足を止める。


「ゼノ、下がって!」


 現実に引き戻してくれたのは、フィリスの声。

 その声とほとんど同時にフィリスの剣の先端から光の矢が放たれた。

 閃光が吸い込まれるようにグレイ・ウルフの目を貫く。


「今!」


 フィリスの意図を理解して、脱兎の如く駆け出した。フィリスと共に後退して、出口へ。だが、無駄だった。


「ワォオオオン!!」


 すぐに体勢を立て直したグレイ・ウルフが追いかけてきた。速い。速すぎる。

 とてもじゃないが、出口まで逃げ切れそうもない。


「だったら……フィー!」

「うん!」


 もう、覚悟を決めるしかない……!


 じり、とグレイ・ウルフが前足をずらす。距離はまだ離れているが多分既に射程圏内に入っているはずだ。


「俺がやる……!」


 口にした瞬間、自分でも馬鹿だと思った。

 だけど、フィリスが後ろにいる以上、俺がやるしかない。


「ははっ──」


 恐怖で錯乱してるのか、興奮しているのか。

 自分でも気付かないうちに俺は笑っていた。


 魔力による身体強化を行い、木剣を構えたのと同時にグレイ・ウルフが床を蹴った。


 速い……! が、俺なら対応できないほどじゃない。距離を見極めて、迫りくる足爪を躱す。


「──らあっ!!」


 躱すのと同時に思い切り木剣を叩きつける。

 手に帰ってくる強い衝撃、手ごたえはあり。


 だが、それでも足りない。


 俺の渾身の一撃もグレイ・ウルフの体勢をずらしたのみ。決定打にはなり得なかった。

 

「やば──」


 肉薄したグレイ・ウルフの爪が眼前に迫り、声が漏れた。

 なんとか木剣で不正だが、重さがまるで違う。


 嫌な音を立てて木剣が弾かれ、身体が地面から離れ、そのまま身体ごと吹き飛ばされる。

 背中から地面に叩きつけられ、肺から息が一気に押し出された。


「がっ……!」


 痛い。視界が霞む。


 視界の端でグレイ・ウルフが再び低く身を構えるのが見えた。

 避けないと。


──俺はこんなところで死ぬのか?


 英雄になりたかった。

 物語に出てくる英雄と同じように、偉大なことを成し遂げたかった。


 そうだ、俺はこんなところでくたばっていい人間じゃない。

 だから世界、俺に寄越せよ。

 この状況を覆す力を、覚醒の力を──!


「う……ぐ……」


 力が湧き上がる……どころか身体はぴくりとも動かなかった。

 最後の望みを絶たれた今、待ち受けるのは死、ただひとつ。


 ならもう俺にできることはひとつ。

 俺の身一つでグレイ・ウルフが満足して、フィリスが生還を果たせるように祈ること。

 ごめん、フィリス──俺は──


「ダメッ!!」


 フィリスの声が、迷宮の空気を震わせた。

 その直後、閃光が視界を横切った。


 それも一本じゃない。

 光の矢が、さながら流星群のようにグレイ・ウルフ目掛けて降り注いだ。


「ギャウッ!?」


 グレイ・ウルフの悲鳴が響く。

 喉、肩、腹、足。次々に光の矢が貫き、迷宮の奥へと吸い込まれていく。

 

 めった刺しだった。


 最後に一筋の光が頭を貫いた瞬間、グレイ・ウルフの巨体がどさりと崩れ落ちた。

 静寂。


「……え」


 間の抜けた声が漏れた。

 目の前で起きたことが信じられなくて、助かったことに対する安堵よりも、何が起きたのかの答えを求める混乱で頭がいっぱいだった。


 そんな俺の視界に、答えがやってきた。


「フィー……?」


 心配そうに俺を見つめるフィリス。息は上がっていて、肩も震えている。

 瞳の色も髪も、いつものフィリスのはずなのに、何故かまったくの別人のような雰囲気を身にまとっていた。


「ゼノ、大丈夫? 立てる?」


 差し出されたフィリスの手は、小さく震えていた。

 無理やり身体を動かし、その手を取る。


 冷たい指先。なのに、不思議なくらい強い生命力に満ちているように感じた。


――ああ、そうか。そういうことか。


 奇跡が起きたんだ。

 誰もが夢見る、選ばれた者の奇跡が。覚醒が。

 たった今、俺の目の前で。


──迷宮大崩壊まで、約15年。


 世界が求めていた英雄が誕生した。


 英雄に憧れていた、俺の隣で。



★ ☆ ★



──フィリスが覚醒した。


 その報せは1日も経たずに町中に広がった。田舎にある小さな町だとはいえ、流石に早すぎる。数年前に先王が亡くなった時よりも騒ぎになっているんじゃないだろうか。


「ロワールんとこの娘だろ?」

「意外……でもないよな。なんか雰囲気あったし」

「ああいうのが英雄になるのかねぇ」

「あやかりたいもんだね」


 そんな声が店番をしていても、買い物をしていても、嫌でも耳に入ってくる。


 喜ばしいことなんだ。

 この町にいる覚醒者はとっくに引退したフォス爺と、大怪我したトラウマで迷宮探索者の道を諦めたリギルのおっさんの2人だけ。現役の覚醒者がいてくれたら、町は安泰。何か有事が起きても守ってもらえるようになる。

 なのに、俺は素直に喜べずにいた。


「なんかすごいことになってるね」

「フィー、お前なぁ……」


 当のフィリスはというと、周囲の騒ぎなんてまるで気にしてないみたいな顔で、いつも通り俺の隣にいる。


「フォス爺に稽古つけてもらうんじゃないのかよ」

「うん、だからゼノと一緒に行こうと思って」

「なんで俺と?」

「だってゼノもそのうち必要になることでしょ?」


 さも当然のようにフィリスは言う。

 フィリスの言うことは正しい。もし俺が今後覚醒することがあったら、その時もきっとフォス爺から手ほどきを受けることになるはずだ。だから今フィリスと一緒に稽古を受けても、できるかできないかは別として必ず得るモノはある。


「ははっ」


 乾いた笑いが漏れる。

 散々英雄になると豪語してたのはなんだったのか。ちょっとばかし現実を見せつけられただけで、俺は俺を信じられなくなってしまったようだ。だと言うのにフィリスは、今になってもなお俺の大言壮語を疑っていないらしい。

 俺はそんなフィリスに失望されたくなくて──


「確かにそうだな」


 と、少しだけ強がってみせた。



★ ☆ ★


 町外れの丘の上。

 いつも夢を叫んでいたこの場所で、俺は今現実を見せつけられている。


 フィリスを見るフォス爺の眼は、普段俺たちに魔力の使い方を教えてくれていた時とはまるで違い、真剣そのもの。もうかなりの高齢のはずなのに、傍で見ている俺は、息をするのが苦しくなるくらいの圧を感じていた。

 このヨボヨボのフォス爺も、多分俺とは次元の違う域に生きていたんだ。


「とりあえず、剣を持ってみぃ」

「持ってるけど?」

「構えろという意味じゃ」


 フィリスは怖いくらいにいつも通り。フォス爺の圧を受けてもまるで緊張していない様子だった。

 そんなフィリスだが、一度細身の剣を正眼に構えると──


「……なるほどのう」


 空気が変わった。俺にはどう変わったのかまではわからないが、フォス爺には何かが見えているらしい。

 枯れ枝みたいな指で顎を撫でたフォス爺は、少し離れたところにある3本の木を指さした。


「まずは《光の矢》であの木を全部撃ち抜いてみぃ」

「ん──」


 軽い返事。次の瞬間、フィリスの剣先がかすかに光ると──


 パシュッ、パシュッ、パシュッ。


 乾いた音がほとんど同時に3度響く。その次の瞬間にはすべての木に穴が穿たれていた。


「これでいい?」

「う、うむ……まさか同時に撃ち抜くとはのぅ。既に魔力の三重奏までモノにしていたとは、末恐ろしい……」

「ゼノがやってたから、真似しただけ」


 俺の真似? 馬鹿を言うな。

 フィリスが事もなげにやってみせたのは、俺が何度も試して、まったくできる気がしなかった魔力の三重奏。俺がこの前やってみせた二重奏とは難易度がまるで違う。


「天才……」


 思わず声が漏れた。目の前で起きていることが受け止められなくて。


「うむ、ゼノの言う通り、フィリスは逸材かもしれんぞ──」


 フォス爺も思いがけない才能を目にして驚いているように見えた。

 ただ、当のフィリスはと言うと「それが何か?」とでも言わんばかりに小首を傾げている。

 

 ああ、遠い。フィリスがとても遠くに感じる。

 俺がこの前まで夢見ていた英雄になるための一歩を、フィリスは当たり前のような顔で飛び越えていくんだ。

 多分きっと、これから先フィリスはもっと強くなる。そしてその距離は覚醒しない限り、決して届く距離じゃない。そういうものを残酷なまでに見せつけられている気分だった。


 そんな俺の絶望を察したのか、フォス爺が優しさとわずかな憐れみを含んだ目線を向けてくる。


「そう落ち込むな、ゼノ。お前さんもその歳にしては十分よくやっとる」


 その励ましは、まるで現実を受け入れろと言われているようで──


「はい」


 力なく返事をした。そんな俺を見てフィリスが少しだけ困ったように笑った、ように見えた──その時だった。


「フォス爺ッ!! いるかァ!!」


 丘の下、茂みの中から、張り裂けそうな怒鳴り声が響いた。見ると、土煙を上げながら猛然と駆けあがってくる男の姿が見えた。よく見ると片足を引きずっていて、顔は真っ青、息も上がり切っていた。


「リギルのおっさん……?」


 町唯一とも言える現役の覚醒者、つまりこの町では一番の戦力であるリギルのおっさんが息も絶え絶えになっている。

 空気が変わる。フォス爺の深い皺に更に色濃く影が落ちたように見えた。


「大変だ、《黒曜の小道》が……おかしい!」


 リギルのおっさんが俺たちの前で膝に手をつきながらそう言った。


「グレイ・ウルフが出てきたっていうゼノたちの話聞いて、調査してきたらよォ──とんでもねえことになってやがった!!」

「むむっ、まさか……!」

「ああ、そうだ。そうとしか考えられねえ。あれは──」


 力尽きたように、リギルのおっさんが倒れ込む。意識を失ったらしい。

 そして、その直後。答え合わせをするかのように轟音が響いた。

 音のした方角にあるのは、《黒曜の小道》だ。


「迷宮……崩壊……!」


 血の気が引いていく。

 迷宮崩壊、寿命を迎えた迷宮が、魔物ごと中身を吐き出す災害。

 この小さな町じゃ、書物でしか聞いたことのない現象だった。


「ゼノ! フィリス! 何を呆けておる! 町に戻って鐘を鳴らすんじゃ!」


 フォス爺の怒号と同時に、地面が揺れた。

 地面が持ち上がり、跳ね上げられるかのような衝撃。


 混乱した頭にわずかに残った理性が、事態を把握しようと迷宮の方を見る。

 すると、視界の奥に見えたのは悪夢だった。


「なんだよ、あれ……」


 木々の向こうに見える黒い影。

 一つや二つじゃない。いくつもの影が濁流のように流れ込んできていた。

 グレイ・ラビット、グレイ・ウルフ、見たことない猿みたいな魔物。数が多すぎて、目で追うことすらできない。


 背筋が凍る。

 あの魔物がすべて、俺たちの町に流れ込んでくる。


「ぐずぐずするな、早くせいッ!」


 突き動かされるように駆け出した。

 転げ落ちる様に丘を下って、町に戻る。

 その頃には既に町はパニックになっていた。


「早く逃げろ!」

「子どもたちを守れ!」

「荷物は全部置いてけ! 死ぬぞ!」


 悲鳴、怒号が入り混じり、町は阿鼻叫喚が渦巻いていた。

 穏やかな町のみんなの眼は血走っていて、別人のように見えた。


「フィー、俺たちも早く避難を──」

「ダメ、追いつかれる」

「あ──」


 脳裏に浮かんだのは、先日の逃走劇。

 相手は、ある程度魔力の操作に長けた俺よりも断然速い。

 このまま逃げたとして、追いつかれるのは火を見るよりも明らかだ。


 なら、どうするか。

 立ち向かうしかない。


「みんな!」


 逃げ惑っている町の大人たちに向けて叫んだ。


「足止めしないと追いつかれる! 魔力を使える大人たちで力を合わせて食い止めよう!」


 自分でも無茶を言っているのはわかっている。

 でも、これしかないとも思った。

 人は誰しも魔力を扱うことができる。覚醒の機会に恵まれなかっただけで、町の近くに出る魔獣相手になら渡りあえる大人は少なくない。

 相手が魔獣よりも強力な魔物であったとしても、みんなで協力すれば──


「バカを言うでない!」


 そんな俺の提案をフォス爺がピシャリと制した。


「なんでだよ、フォス爺!」

「リギルはもう戦えん! ワシも……戦力にならん! 逃げて生き残ることに賭けるしかない! 迷宮崩壊とはそういうものなんじゃ!」


 フォス爺の声からは不甲斐なさと悔しさが滲んでいた。

 苦渋の決断なんだと理解させられた。これは生き残ることを神に祈るしかない。

 そういう状況なんだと。


「そうだ! 逃げて生き残ることに賭けるんだ!」

「俺たちじゃ魔物には勝てっこねえ!」

「ああ、リギルもくたばったんだ。戦えるやつなんて──」


 誰かがそう言うと、不気味な静寂が訪れた。

 そしてすぐに、皆一様に縋るような目を一人の少女へと向けた。


「────!」


 ゾッとした。

 みんなが考えていることを理解して。

 フィリスに何をさせようとしているのかを理解して。


「こういうのは、覚醒したやつの役割だろ」

「そ、そうだ! 頼むよ! フィリス!」

「覚醒してない俺たちじゃ犬死にだけど、お前なら──」


 期待の眼差し。

 醜い希望がフィリスへと向けられる。


「ふざけんな!」


 気付けば俺は叫んでいた。


「フィリスが覚醒してるからって! 押し付けるつもりなのかよ!?」


 覚醒してるから、力があるから。

 それだけの理由で、フィリスの命を危険に晒さなければいけないのか?

 フィリスを独りで戦わせて、自分たちだけで逃げるのか?


「じゃあお前が行くのかよ!」


 別の男が怒鳴り返してくる。


「覚醒もしてないガキが!」

「足手まといが増えてどうする!」

「町を守れる可能性があるのは、あの子だけだろうが!」


 言葉に詰まる。

 だって、みんなの言ってることは合理的な正論だから。

 だが、要するに自分たちは無理だから、たまたま力を得たフィリスに全部押し付けるってことだろ?

 ふざけんな──


 だけど、今は非常事態。

 その場の空気は妙な納得に傾いてく。


「ロワールんとこの娘が時間を稼いでくれりゃ……」

「そうだよ、全部倒さなくたっていいんだ」

「ああ、近隣の町の覚醒者の応援が来るまで耐えてもらえば──」


 胸の奥が冷たくなる。

 言いようのない悔しさが滲む。


 その時だった。

 

「ゼノ」


 フィリスの声がした。


 振り向くと、フィリスは既に俺たちに背を向けて、迫る黒い影の方へと歩みを進めていた。


「町の人たちを逃がして」

「……は?」

「私が時間を稼ぐから」


 あまりにも当たり前のことみたいな口調で言うから、一瞬意味が理解できなかった。


「何……言ってんだよ」

「みんなの言う通りだよ。戦えるのは私だけだもん」

「独りでやる気かよ!?」


 答えは返ってこない。フィリスの意識はもう魔物の群れへと映っていた。


「だったら俺も──!」

「ダメだよ、ゼノ」

「ダメってなんだよ! 俺だって戦える!」

「知ってる」

「だったら──」

「今の私じゃ、多分ゼノを守れない」


 その一言が、胸に深く突き刺さった。

 守れない。守る。守られる。

 

 ああ、そうか。今の俺はフィリスの隣には立てないんだ。


 理解した、させられた。

 悔しいとか情けないとか、それ以前の話だ。

 これ以上、フィリスの足を引っ張るわけにはいかない。


「……わかった」


 喉から、辛うじてその言葉だけを絞り出す。

 背を向けるフィリスの表情が一瞬歪んだような気がした。

 それが俺の思い込みはわからない。

 だって今の俺は、フィリスの前どころか、横にも立てないんだから。


「ゼノ──みんなをお願い」

「……まかせろ」


 何をだ。

 自分で言っておいて、こんなにも空虚。

 それでも今は、そう言うしかなかった。


 俺は踵を返して、近くで泣き叫ぶ迷子の方へと走りだす。


「走れ! 丘から離れろ! 荷物なんか捨てろ!」


 怒鳴りながら、フォス爺と共に人の波を押し流す。

 できることを、できる限り──!


 避難が完了したのを確認して、フォス爺と頷きあった。

 後は俺たちが逃げるだけだ。


 いけないと分かっていて、俺は振り返った。


「嘘だろ……」


 フィリスはたった一人で魔物の群れと渡り合っていた。

 少しずつ後退しつつ、町の建造物を利用しながら、あの数の魔物を捌いていた。


「とんでもないのぅ……だが──そう上手くはいかないようじゃ」


 冷静にフォス爺が呟く。

 その視線の先を追うと、いくつかの黒い影がフィリスを避けるようにしてこちらに向かっているのが見えた。


「グレイ・ウルフ──」

「数は4体、今のワシの相手としては不足なしかのぅ」


 冷めた声だった。けれどその声音から、俺ははっきりと死の匂いを嗅ぎ取った。

 多分、相打ち覚悟であの4体を食い止めるつもりなんだと思った。


──ふざけるな。


 怒りと一緒に、頭のどこかが妙に冷えていくのを感じた。


 フィリスを独りで戦わせて、フォス爺にグレイ・ウルフを押しつけて、その隙に俺たちは逃げる。それが無力な俺にとって妥当な選択肢だとは理解していた。

 だけど、納得なんてできるわけがない。


 視線をグレイ・ウルフに向ける。速い。重い。爪も牙も、まともに受けたら終わる。そのことはこの前の一件で、身に染みてわかっている。

 けれど、あの時だって一撃は入れた。真正面から受けるんじゃなく、受け流して斬って距離を取る。それを繰り返せば──


「フォス爺」


 気づけば声が出ていた。


「なんじゃ」

「一体だけ、俺にやらせてくれ」


 フォス爺の目が細まる。


「……正気か?」

「正気だよ」

「この前のことを忘れたんか?」

「忘れてない。だから言ってるんだ」


 自分でも驚くくらい、声は落ち着いていた。


「まともにはやらない。受け流して、距離を取る。そしたら時間くらいは稼げる」

「口で言うのは簡単じゃ」

「知ってる。でも──」


 口から出ていきそうになった弱音を腹の奥底に押し込める。


「できることから逃げたくない。フィリスを独りで戦わせたくない」


 フォス爺が言葉に詰まったのがわかった。


「俺は覚醒してない。でもそれを言い訳にはしたくない」

「ゼノ……」

「できるかもしれないことがあるなら、俺はやってみせる!」

 

 拳を握り、剣を抜く。

 今日持ってきているのは、いつもの木剣じゃない。本物のショートソードだ。

 武器の力を過信しているわけじゃないが、この前木剣でグレイ・ウルフを打った手ごたえから、これがあれば充分に渡り合える気がする。


「まったく──英雄気取りのアホじゃの」

「気取りじゃない。俺は未来の英雄だ──!」


 呆れたように笑うフォス爺に宣言した。


「来るぞ」


 その言葉と共に、一歩後ろに飛びのいた。

 するとすぐに一匹のグレイ・ウルフが俺を標的に定めて襲い掛かってきた。


「こっちだ、クソ犬1」


 挑発するように剣を向ける。

 呼応するようにグレイ・ウルフが地を蹴った。


「いける──!」


 半歩体を開く。迫りくる牙が肩口を掠めた瞬間、すれ違いざまに首筋に刃を走らせた。


「グルゥア!?」


 怯んだが、浅い。これでは警戒させただけ。


「はっ──!」


 息を整える間もなく、追撃がきた。

 横薙ぎの爪をショートソードで受け流す。

 飛び散った火花もお構いなし。崩れた体勢を無理矢理戻して、そのまま胴を斬りつける。

 

 手ごたえあり。だが、まだ致命傷ではなさそうだ。

 対してこっちは満身創痍。身体強化を維持できるのはもうあと少し。


「くそ……」

 

 このままじゃジリ貧だ。

 だったら、やることはひとつ。


──肉を切らせて、骨を断つ。


 覚悟を決める。

 グレイ・ウルフが身を沈めたのに合わせて、俺もわざと重心を前に置いた。


 来た。

 一直線。前足の爪が、喉笛を切り裂きに来る。

 避けたい。だが避けない。


「――ッ!!」


 爪が胸を掠めた。布が裂け、皮膚が抉れる。焼けるような痛み。

 だが、それもお構いなしに踏み込む。


「らああああッ!!」


 爪の内側へ潜り込み、大きく開いた喉元へショートソードを突き立てた。

 折り重なった糸を断っていくような手ごたえが手に伝わる。


「ギャ、ァ……!?」


 突き刺さったショートソードをぶん回して、グレイ・ウルフの巨体を宙へと投げ捨てる。

 地面に討ち捨てられた巨体が、二度三度痙攣し、そして動かなくなった。


「……は、っ……は……」


 勝った。賭けに勝った。


 喉が切れたのか、息をするのが苦しい。胸の傷が熱い。

 それ以上に、全身から力が抜けていく。身体強化を絞り出し続けた反動で、魔力が空っぽだった。


「くそ……」


 何体もの魔物を相手どるフィリスに比べて、俺は一体でこのザマだ。

 だけど、ゼロじゃない。


 その事実にしがみつくように剣を握ったまま、俺はその場に崩れ落ちた。

 地面の冷たさだけを最後に、意識が暗闇へ沈んでいった。



★ ☆ ★



 「うっ……」


 意識を取り戻して最初に感じたのは鼻をつく薬草の匂い。そして次にズキリと体を強張らせる胸の痛み。どうやら俺は生きているらしい。

 薄ぼんやりと開きかかった瞼の裏に、意識を失う前の出来事が浮かび上がってくる。黒い濁流みたいな魔物の群れ。一人立ち向かうフィリス。そしてフォス爺と一緒に逃げて──

 

(そうだ、俺はグレイ・ウルフと戦って──)


 そこまで思い出してハッとする。


「フィーは!?」


 目をかっぴらいて飛び起きる。骨を痛めたらしく呼吸が止まるほどの痛みが襲ってきたが、そんな痛みすらも今はどうでもよかった。

 フィリスはあの後、足止めに成功したんだろうか? いや、それ以前に生きているんだろうか?

 とめどなく湧き出る不安が、まだ万全じゃない頭にかかるモヤを押しのけて、思考の中心へと割り込んでくる。

 どうか、無事であってくれ──


「これから昼寝するところだけど?」


 答えが返ってきた。それもすぐ隣から。

 ねじきれんばかりに顔を向けると、信じられないくらいいつも通りのフィリスが俺の隣に寝っ転がっていた。

 そのあまりの平常運転っぷりに一瞬、俺がひとりで勝手に悪夢を見ただけだったんじゃないかと勘違いしてしまいそうになった。胸の痛みが無ければ本気で勘違いしていたかもしれない。


「そうか、無事でよかったよ──」

「全然無事じゃないよ。筋肉痛とかひどいもん」

「無事そのものじゃねえか」


 寝っ転がってるフィリスの身体を観察する。五体満足、傷らしい傷もなし。

 どうやら嘘は言ってないみたいで一安心。

 となると、他のことが気になってくる。迷宮崩壊の後の顛末とか、家族とかフォス爺とかの安否とか、その他色々。

 そんな俺の不安を見抜いたのか、フィーが優しい声で続ける。


「大丈夫、みんなは無事だよ。私とゼノの両親も、フォス爺も」

「そうか……そうか──」


 ほっと胸を撫でおろす。迫る魔物の群れを見た時、死を覚悟した。町のみんなもそうだ、生き残ることを神に祈ったはずだ。

 それなのに、みんなが無事だったのは、間違いなくフィリスのおかげなんだろう。


「フィー、あの後どうなったんだ?」

「んー、勝った」

「そうか、勝ったのか──ん? 勝った? 助けが来るまで持ちこたえた、とかじゃなくて?」

「足止めだけのつもりだったけど、倒せそうだったから倒してみた」


 さらっととんでもないことを言う。つまりフィリスは小規模とはいえ迷宮崩壊を実質ひとりで抑え込んだってことなのか?

 いくら覚醒者は破格の力を手にするとはいえ、そんなこと──


「そんなこと、できるもんなのかよ……」

「できたから、まあ、できるんだと思う」


 とんでもないことを、なんでもないことみたいに言うなよ。

 言葉を失って思わず天を仰いだ。ああ、陽の光が気持ちいい──


「──天井がない!?」

「うそ、気付いてなかったの?」


 改めて辺りを見渡すと、レンガ作りの診療所の壁はところどころが崩壊しているし、天井部分はごっそりなくなっている。ついでに地面はがれきまみれ。

 綺麗めな廃墟みたいな有様になっていた。


「壊れたのはここだけ、ってわけはないよな……」

「──うん、ごめんね」

「いや、フィーが謝ることじゃないだろ」


 寝台から起き上がってよろよろと歩き、半壊した壁の隙間から町を見渡す。

 元から何もない町ではあったが、今は本当に何もない町になっていた。


 見慣れた通りはがれきだらけ、壁の半分が消し飛んでいた家もあれば、屋根にぽっかり大きな穴が開いた家もある。広場の石畳は抉れ、荷車もひしゃげている。

 

 だけど、それだけだった。


 どうやら本当に町のみんなは無事らしく、あちこちでがれきやらなんやらの撤去作業が行われている。正直信じられない光景だ。

 町がこんな有り様になるくらいの災害が起きたのに、誰も命を落とさずに済んだなんて。改めてフィリスを見る。そして確信する。


──こういうやつのことを英雄って言うんだ。


 ただ無邪気にデカい口叩いて、英雄ごっこしてた俺とはわけが違ったんだ。

 俺が恥ずかしげもなく夢を叫べていたのは、ただ現実を知らなかったからなんだと今ならよくわかる。


「ロワールんとこの娘はすげえよ……」

「あれがマジもんの覚醒者の力なんだな」


 ふと、通り過ぎる町の人の声が聞こえてきた。きっと他のみんなも同じようなことを思っているのだろう。フィリスは特別なんだと。

 声のした方を見て、違和感を覚えた。

 その表情に浮かんでいるのは、感心ではなくて──

 

「でも、もう少し町の外に魔物を誘導できなかったのかねぇ」

「仕方ねえだろ、あの数相手だぞ」

「でもよ……家も金も全部なくなちまってこれからどうすりゃいいのか──」

「いや、気持ちはわかるけどよ……ほとんど無傷で乗り切れるくらいの余裕があったなら、もうちょっとどうにかできたんじゃねえのって」


 男たちが通り過ぎると、今度は炊き出しの準備をしている人たちが小声で話しているのが聞こえてきた。


「迷宮崩壊の兆候はあったんだろう? もっと早く気付けてたら……」

「そうそう。あの子、昔から勘のいい子だったのにねぇ」

「覚醒してから少し時間があったんだろう? ちゃんと調べてたらあるいは──」


──なんだよ、それ。


 腹の底から怒りが湧き上がってくるのを感じた。

 あいつらは一体何を言ってるんだ? フィリスは命を賭けたんだぞ。たった独りで町のみんなを守ったんだぞ。


 頭のてっぺんまで上ってきた怒りが吹きこぼれそうになったところで、俺の身体がフラリとぐらついた。やば、万全じゃないのに体に力を入れ過ぎたせいで──


「ほい」


 ぽすっと。倒れかかった俺をフィリスが受け止めてくれた。ひんやりとした腕の感触が胸の包帯越しに伝わってくる。おかげで少し、冷静になれた。


「ゼノ、怪我してるのに無理しない」

「悪い、フィー」


 みっともないところを見せたくなくて、いつも通り振る舞ってみる。

 深呼吸をして怒りを抑え込む。怒り散らしても多分フィリスのためにはならないから。

 

「怪我人は寝るのが仕事──寝れないなら手を握ってあげるけど?」

「俺はガキじゃない」

「ガキじゃなくて、未来の英雄だ~! ってやつ?」


 わずかな違和感。俺のことを小馬鹿にしてくるのはいつも通り。だけど、何かいつもと違う……ような気がした。


「わかった、寝るよ。ちゃんと休んで、早く復活する」

「うん、それがいいと思う」


 正直寝れる気はしなかったが、なんとなくフィリスの言う事を聞いておいた方がいいような気がした。

 ふらふらっと寝台に戻って、倒れ込む。何故かフィリスも再び隣に寝っ転がる。


「手、握っておかなくていいの?」


 息がかかりそうなほどの至近距離でフィリスが囁いた。耳から背骨をゾクゾクとした感覚が突き抜ける。昔はよくこんな感じで昼寝をしてたけど、妙に大人びてきた今のフィリスが隣にいると、なんだかイケナイことをしているような気分になる。

 自覚しているのかいないのか。フィリスの顔を見ていると、どこか揶揄っているような煽っているような表情をしている。


──意気地なし。


 口には出さないけど、そう言っているような気がした。それがなんだか癪だったので、俺はフィリスの言うとおりフィリスの手を握ってやることにした。

 その手の指先が妙に冷たくて、それだけじゃなくて──


 その瞬間、違和感が輪郭を得た。散らばった欠片がひとつになっていくような感覚。勘違いかもしれない。間違っていたら恥をかくかもしれない。

 少し迷った後、俺は意を決して聞いてみることにした。


「なぁ、フィリス。お前──」

「すぅ──すぅ──」


 首を傾けると、フィリスは既に穏やかな寝息を立てて眠っていた。

 

「お前が先に寝るのかよ──」


 その寝顔は偉業を為した英雄のものではなく、昔のフィリスそのまんま。

 おかげ俺はずっと思い違いをしていたことに気づくことができた。


「英雄である以前に、フィーはフィーなんだよな」


 冷静になれたおかげか、一気に身体の力が抜けていく。

 意識が沈む直前、握った手にほんの少しだけ力が返ってきた気がした。



★ ☆ ★



 どれくらい眠っていたのか。目を覚ますと辺りはすっかり暗くなっていた。崩れ落ちた診療所の壁を夜風が素通りし、天井にぽっかり空いた天窓からは星灯りが差し込んできている。


「──フィーがいない?」


 先に起きたのか、俺の隣にフィリスの姿はなかった。だが、寝台にはまだわずかに温もりの残滓が残っている。多分、ついさっきまでは隣にいたんだろう。

 ゆっくりと寝台から起き上がり、すっかり見晴らしがよくなった町を見回してみるが、フィリスの姿はどこにもない。


 ただ、幼馴染の勘とでも言うべきか。俺にはフィリスがどこに何をしに行ったか、なんとなく想像がついていた。そしてその根拠もあった。

 きっとフィリスは──


 覚束ない足取りで、町を抜ける。魔物の群れに踏みつけられて潰された草木を踏みしめて、目指すは町外れの丘。

 星灯りに淡く照らされた丘の上で寝転ぶと、自分の悩みがとてもちっぽけなものに思える。だから落ち込んだ時はここに来ればいいと、昔の俺はフィリスにそう言った。


「……ゼノ」


 案の定フィリスがいたので、俺は背後から近づいて、そのまま断りも入れずに隣にドカッと座り込んだ。顔は見ない。見なくていい。


「やっぱ無理してやがったな」

「ゼノは気付いちゃうんだね」

「迷惑だったか?」

「ううん、正直ちょっと期待してた。私の気持ちに気づいてくれるんじゃないかって」

「まあ、未来の英雄だからな」


 今日のフィリスは不自然なくらいに、いつも通りだった。元から何を考えてるのかよくわからない奴だけど、小さい頃から一緒にいる俺には落ち込んでいることが直感でわかったんだ。


「ねえ、ゼノ。私頑張ったよね」

「むしろ頑張り過ぎだ。独りで迷宮崩壊を食い止めて、それだけじゃなくて誰も死なせなかった」

「でも、町は守れなかった」


 フィリスの横顔をちらりと見る。満点の星空から目を逸らすように俯いていた。


「──でももクソもあるかよ!」


 そんなフィリスを見たからか、自分でも驚くくらい声に力が入ってしまった。


 英雄だって人間だ。魔物の群れをほとんど無傷でぶっ倒す力があったって、他の人からの心無い言葉ひとつで傷つかないわけじゃない。

 想像もつかないほどの偉業を成し遂げたって、それを当たり前みたいに受け止められて、さらに上を求められ続けたら、しんどくならないわけがない。

 みんな、そのことを忘れているんだ。俺も、忘れてかけていたんだ。


「ああすればよかったとか、もっとできたとか、そんなの後からなら何だって言えるだろ。実際にあの場にいて命を賭けたのはフィーだけだ。覚醒者だからって理由でフィーに全てを押し付けたやつらに、好き勝手言う権利なんてねえよ!」


 フィリスが目を見開いて俺を見る。大きな翡翠の瞳は、川底の石のように輪郭が揺らいでいた。


「ゼノ、怒ってる」

「ああ、怒ってるよ。村の連中と、そして何より俺自身に」

「……なんでゼノ?」

「俺が弱いからフィーをひとりにした。俺が弱いからフィーを危険に晒した」


 そうだ、俺のせいだ。俺が《黒曜の小道》でグレイ・ウルフと対峙した時に覚醒を果たせていれば……フィーをこんな気持ちにさせることはなかったのに。

 あまりの不甲斐なさに自然と拳に力が入る。すると、そっと優しい感触が俺の手を包み込んだ。


「ゼノ、それは違う。私は覚醒したことを何も後悔してない」


 フィリスの瞳は潤んでいたが、それでもその目は真っすぐ俺を見据えていた。


「だって、おかげでゼノを助けるための力が手に入ったから」

「じゃあ、それって──」

「ゼノを助けたいって思った。それが私にとって一番大きな衝動だったんだよ」


 喉が、ひゅっと鳴った。


 胸の奥に何か熱いものが落ちて、そのくせ指先は冷たくなっていく。俺を助けたい。ただそれだけの願いが、フィリスにあの圧倒的な力を与えたなんて。


「……そんなの、ずるいだろ」


 やっとのことでそれだけ絞り出す。

 俺はフィリスに守られただけだ。なのに、フィリスはまるで俺が何かを与えたみたいに言う。


「ずるくないよ。本当のこと」

「俺は、何もできなかった」

「ううん、できてた」


 きっぱりと、フィリスは言った。

 泣き腫らした目のまま、迷いなく。


「ゼノは自分で思ってるより、ずっと前から私にいろんなものをくれてた」


 その言葉に、思わず眉をひそめる。

 そんなわけはない。俺はただ身勝手な英雄願望に、フィリスを巻き込んできただけだ。けれどフィリスは、そんな俺の戸惑いごと見透かしたみたいに、少しだけ困ったように笑った。


「覚えてる? この町に私が引っ越して来た時のこと」


 唐突な問いかけだった。


 けれど、忘れるわけがない。

 この町に引っ越してきたばかりの頃のフィリスは今よりもっと無口で、今よりもっと何を考えてるのかわからなかった。


「覚えてる。お前、全然みんなと喋んなかったよな」

「喋んなかった、じゃなくて喋れなかったの」

「そうだったか?」

「そうだよ。ゼノ以外、みんな怖かったし」


 意外すぎる言葉に思わずフィリスの方を見る。

 本人は少し恥ずかしそうに唇を尖らせていた。


「だって、知らない町だし。周りは知らない人ばっかりだし。しかもみんな最初、珍しいものを見るみたいな目で私を見るんだもん」

「あー……まあ、お前目立つしな」

「それ、今も昔も全然嬉しくない」


 ふいっとそっぽを向くフィリスに、少しだけ昔の面影が重なる。

 そうだ。こいつは最初からこういうやつだった。図太そうに見えて案外繊細、独りでなんでもできそうに見えて、実は結構寂しがり屋。


「でも、ゼノは違った」

「俺?」

「うん。お構いなしで話しかけてくれた。『お前、暇なら俺と来い』って」

「そんな偉そうだったっけ」

「偉そうだったよ。しかもその後、『俺は未来の英雄だから、今のうちに仲良くしといた方が得だぞ』って」

「……言った気がする」


 今思うと最悪だ。

 なんだその勧誘文句。


 頭を抱える俺を見て、フィリスは愉快そうに笑う。


「そのままみんなのところに連れて行って、私が黙ってても勝手に話を振ってきて。私が転んだらすぐに手を貸してくれて。落ち込んでた私をこの丘に連れてきて『ここで空見てると嫌なこと全部どうでもよくなるぞ』って教えてくれて──」


 フィリスの声は穏やかだった。

 泣き腫らした後のかすれが少し残っているのに、不思議とよく通る。


「この町で私が笑えるようになったの、ゼノのおかげなんだよ」


 そんな大層なことをした覚えはない。俺が勝手に喋って、勝手に連れ回して、勝手にフィリスを巻き込んでいただけ。


 そう思ったのに。


「だから、あの日からずっと、私にとってゼノは英雄だよ」


 その一言だけで、喉の奥が詰まった。


 星空の下で、フィリスは真っ直ぐ俺を見ていた。

 涙の跡がまだ頬に残っているくせに、その目だけは揺らがない。


「……俺は英雄じゃない」


 やっとの思いで、それだけ返す。


「覚醒もできてないし。今回だって、お前に守られて終わっただけだ」

「うん、そうだね」

「……そこは否定しないのかよ」

「だって本当だし」


 あっさり言い切られたせいで、事実なのにちょっとイラっとする。

 フィリスはそんな俺を見て少しだけ口元を緩めた。


「だから早く覚醒して。それでまた私を引っ張って」

「無茶言いやがって」

「無茶じゃないよ。ゼノだもん」

「意味がわからん」

「私がわかってればいいの」


 なんだそれ。

 いつもの、こいつだけが持ってる根拠のない確信だ。そしてその確信はどういうわけかよく当たる。今の俺は自分に自信が持てないけど、フィリスの言葉なら信じられるような気がして、おかげでまた救われた。


「……期待しすぎだろ、重いって」

「じゃあ、背負えるようになって」


 さらっととんでもないことを言う。

 さっきまで泣いてたくせに、もうすっかりいつも通りらしい。

 けれど、その軽口のおかげで、張りつめていた空気が少しだけほどけた。


 深く息を吐いて、夜空を見上げる。

 いつもは遠くに見える星が、今日はやたら近くに見えた気がした。



★ ☆ ★



 数日後、中央都市から使者が来た。


 立派な紋章入りの馬車に、磨き上げられた鎧。こんな辺境の町じゃ見たこともないような連中が、半壊した広場の真ん中に立ってこういった。


「フィリス・ロワール殿を、中央迷宮都市養成所セントラルの特待生として迎え入れる。また今回の功績に対し、この町へ復興支援金を支給するものとする」


 その宣言が響いた瞬間、空気が変わった。

 昨日の時点で中央都市から使者が来るという通達は届いていたから、こうなるであろうことはみんな予想してただろうけど、それでもいざ現実のものとなると、気分が上がるらしい。


「すげえ! 中央都市だってよ!」

「うちの町から英雄候補が出るなんてなあ!」

「しかも支援金まで……助かった……!」


 昨日まで「もっと上手くやれたんじゃないか」と言っていた口が、今日はこぞってフィリスを称えている。


 腹の底に収めた怒りがまた口からこぼれそうになってくる。

 みんな、フィリスを自分の理解の及ばない遠い存在だと思ってるんだ。だから、フィリスの気持ちを考えもしないし、知ろうともしない。

 少なくとも今、フィリスのことをすごい力を持ってるだけの普通の子供だって思ってる人は俺以外にいないだろう。


「ゼノ、顔こわい」


 隣でフィリスが小声で囁いた。


「そりゃ怖くもなるだろ」

「まあ、気持ちはわかるけど」

「わかるなら止めるなよ」

「止めないよ。私の代わりに怒ってくれてるの、嬉しいから」

「……そういうとこだぞ、お前」


 軽く睨むと、フィリスは小さく肩をすくめた。


「でも、私のおかげで町のみんなが助かるなら、それが一番だよ」

「お前はそうやってすぐ自分のこと後回しにする」

「だって私ひとりの感情より、町のみんなの生活の方が大事でしょ」

「そういうところが腹立つんだよ」


 吐き捨てるように言うと、フィリスは一瞬だけ黙った。

 それから、あの夜と同じ顔で、ほんの少しだけ笑った。


「知ってる」



★ ☆ ★



 それから数日後、フィリスが中央都市へ発つ日。半壊した広場には大勢の人が集まった。


「頑張れよ、フィリスちゃん!」

「中央迷宮の崩壊も止めてくれ~!」

「町に銅像立てて、帰りを待ってるぞ!」


 好き勝手な声が飛ぶ。

 少し前までの空気が嘘みたいだった。


 そんな熱狂を俺は少し引いたところから見ていた。

 みんなに向けて何考えてるかわからないような顔で手を振っているフィリスを見ると、妙に胸の奥がざわつく感じがする。


 一通り挨拶が終わると、フィリスが俺のところに近づいてきた。


「拗ねてる」

「拗ねてねえよ」


 即答すると、フィリスは小さく笑う。

 もう泣いてはいない。けど俺は知っている。こういう時のフィリスは本当は何か言いたいことがあるのだと。


「行くんだな」

「うん。先に行ってる」


 その一言で、フィリスの真意が理解できた。

 フィリスは今寂しがっているのだと。

 なら、俺がかけるべき言葉は──


「すぐに追いつく」

 

 その言葉を聞いて、満足そうにフィリスが笑う。


「中央都市って覚醒者の中でも、優秀な人しか来れないんだって」

「らしいな」

「途中で脱落しないでね」

「するかよ。這ってでもそこまでいく」


 嘘じゃない。嘘にしない。

 魂の一番深いところに約束を刻み込んでやる。


「またね、ゼノ」

「おう。またな」


 振り返ることなく、フィリスはみんなの元へと戻り、馬車へと乗り込んだ。

 空に門出を祝う空砲が放たれ、馬車が走りだす。


 またな、って再会を約束した言葉がどんどん重く感じられる。

 俺にやれるのか? 覚醒したとして、フィリスに追いつけるのか? いや、そもそも覚醒の時は訪れるのか? 


「いや、違うだろ──」


 腹の奥底から湧き上がってくるものがあった。怒りを押し込めていた腹の奥のそのまた奥。身体に伝わる熱に突き動かされて、俺はフィリスを載せた馬車に背を向けて、猛然と駆け出した。


 広場を抜けて、町を抜け。そしてまたあの丘へ。

 町を見下ろすこの場所は、俺にとって始まりの場所。英雄になるのだと何度も世界に向けて叫んできたこの場所で俺は今、ただ一人のために宣言する。


 これは己への戒めだ。

 あの迷宮崩壊の時、覚醒していないからってのを言い訳にした自分への戒め。きっとあの時俺はフィリスに言われるまでもなく、自分にできる限りのことを自分からすべきだったんだ。

 才能なんてクソ喰らえ。俺は二度と才能を言い訳にしない。


「フィー!! 俺はお前を独りで戦わせない!!」


 その言葉を口にした瞬間だった。

 身体の奥底で、何かが弾けたような感覚がした。


「……っ!?」


 熱だ。鳩尾の奥から全身へ、灼けるような熱が一気に走り抜ける。

 血が沸騰するような感覚。けれど苦しくない。むしろ、自分の内側でこんがらがっていたものが、あるべき場所へと収まったような感覚。


 魔力が、膨れ上がる。

 例えるなら水の中で突然呼吸ができるようになったような感覚。今まで見えていなかったものが見える。感じ取れなかった流れがわかる。


「これ、が……覚醒……!」


 喜びより先に、笑いが込み上げてきた。


「はは……っ、今かよ!」


 遅いにもほどがある。フィリスが中央都市に旅立っていったその日に、ようやく俺もスタートラインに立っただなんて。

 きっとフィリスはまだ不安に思ってるはずだ。俺が本当にフィリスの元までたどり着けるのか信じきれなくて。


「だったら……!」


 思い出したのは、出発の時に空に向けて放たれた空砲。

 あれを俺なりに真似して、フィリスの門出を祝福するんだ。


 右手を突き出し、魔力を巡らせる。

 今ならなんでもできそうな気分……そうだ、あれを試すとしよう。


 魔力の三重奏。覚醒直後のフィリスがやってのけたことを俺も……!

 頭の中で魔力の流れを三つに裂こうとして──すぐに限界が来た。


「く、ぅ……!」


 駄目だ。

 二重奏までは余裕でできる。けれど三つ目に意識を回した瞬間、全部がぶれる。熱が散って、形が崩れる。


「三重奏……っ、まだ無理か!」


 フィリスと同じようにできないことがわかって、それでも不思議と落ち込んだりはしなかった。だって今はまだ無理なだけ。なら、できるようになるまでやればいい。


 俺は息を吸い込んだ。


「《火の矢》!」


 右手の先に、赤い光が集まる。

 圧縮して、ねじ込み、今の俺にできる限界まで叩き込む。


 次の瞬間、一本の巨大な火の矢が空へと撃ち上がった。

 轟、と空気を焼いて、赤い尾を引きながら天へ昇っていく。

 覚醒前とはけた違いの意力。これならグレイ・ウルフも余裕で消し炭にできるだろう。今の俺には上出来、胸を張れる一発だった。

 これをフィリスへの餞別としよう。


 満足して丘を下ろうとする。地面を見て一歩、また一歩。

 その時、急に目の前の陰が深く落ちた。


 何事かと思って空を見上げると──


「なんだよ、それ」


 笑うしかなかった。

 日が傾いて薄暗くなっていたはずの空が、白く染められていた。

 何本もの光の奔流が、空へ高く、高く。いつかの星へと届くくらいに。


 何が起きたかなんて考えるまでもない。フィリスだ。フィリスがやりやがったんだ。

 フィリスの《光の矢》は、俺が放った《火の矢》と速さも、輝きも、全部が比較にならないほどの高威力。


 その光景に、俺はしばらく口を開けたまま固まってしまった。

 そして、気付いた時には笑いが漏れていた。


「……は、ははっ」


 すごすぎるだろ。

 何なんだよ、あいつ。


 さっきまで、自分も覚醒したんだと浮かれていたのが馬鹿みたいだった。

 追いつくとか、並ぶとか、そんな言葉の軽さを、たった一矢で思い知らされた。


 覚醒したからこそわかった。

 フィリスは特別で、俺は凡人だ。


 今さらだけど、改めて、どうしようもなく思い知らされた。


「……そっか」


 でも、だからどうした。

 凡人なら、凡人なりにやるだけだ。天才と同じ高さに立てなくたって、一緒に戦うことはできるから。


 思い出すのは、先日の迷宮崩壊のこと。

 あの時フィリスは魔物を自分に釘付けにするために、町の建物を遮蔽にしながら戦ったんだろう。後ろを気にせずに全力を出せていれば、誰一人ケチのつけようのない完璧な成果をあげることができたはずなんだ。

 なら、俺はそのために力を尽くそう。誰も届かないところまで進んでいくだろうフィリスが、後ろを気にしなくていいように。

 俺のことを英雄だと言ってくれたフィリスの期待を背負えるように。


 小高い丘を吹き抜ける風に乗せて、まだ白んだままの空に向けて叫んだ。


「見てろ、フィー!! 二度と守れないなんて、言わせねえから!!」


 これは、世界を救う英雄の物語じゃない。

 その英雄を、独りで戦わせないための物語。

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