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 真っ先に見るのは、ここから見える限りの世界の果て。

 遠く景色の果てには、水平線が地球の形を描きつつ、空と海の青を分けている。

 その水平線の上をフェリーが渡っている。遠めでもわかる大きくて白いフェリーだ。それが水平線をなぞるように、ゆっくり進んでいる。

 その光景はあまりにも鮮明だった。

 だから文雄は、フェリーも自分も、大きくて丸い地球の上に乗っているのだということがよく理解できた。


 文雄は二年前のある日曜日にその光景を見つけた。晴れ渡った日だった。

 高校入学とともに食が増えた文雄は、それに比例して体重が少しずつ増えはじめていた。だから、何か運動をしなければいけないと思った。そこで、すぐに思いついたのがバイク運動だ。

 文雄には、高校の入学祝で買ってもらったスカイブルーのマウンテンバイクがあった。自転車屋で目に付いて一目惚れした一品だ。これを使わない手はないと思えた。そして、そのマウンテンバイクを走らせここまで来たときに、たまたまその光景を見つけたのだ。

 文雄が住んでいる町と隣町とは車で三十分ほどの距離がある。二つの町の間をつなぐのは、海岸線沿いの道路。道路と同じように、ガードレールが海岸線の形を描いている。そのガードレールの向こうに海がある。

 文雄の町の北端には、町から海岸線につづく二キロメートルほどの長いトンネルがある。文雄はそのトンネルの前に来るとマスクをし、そのまま勢いよく走る。車の排気ガスをできるだけ吸わないためだ。トンネルを抜けて海岸線に入ると、すぐに乗ってきたスカイブルーのマウンテンバイクを降りる。そこから海が一望できるのだ。そして文雄はマスクを外し、どこからか朝、定時にやって来るそのフェリーを眺める。

 通常、船はそこから見える漁船やボートのように、広い一面の海の上に浮いているものだ。しかしそのフェリーは、海の一番奥にある水平線の上に乗っていた。

 文雄にはそれがめったにお目にかかれない、とても貴重なもののように思えた。だから文雄は休日に運動がてら、この時間帯にフェリーを見に来ることにした。いや、最初は運動も目的だったが、いつからかフェリーを見るのが目的になっていた。   

 水平線を渡るフェリーを。

 誰に邪魔されるでもなく、思い切りその光景を眺める。やがて山陰にフェリーが見えなくなると、文雄は元の来た道を帰っていく。

 いつもなら。

 しかしその日の文雄は、フェリーを見送ると、そのまま隣町までつづく海岸線沿いの道路を走っていった。

 坂を下り、トンネルを越え、長い直進を進む。そして坂を上り、また下り、大きなカーブを曲がる。文雄はそんなことを繰り返しながら走っている間に、思いのほか色々なことを考えた。

 小学生の頃からの親友である勇太との思い出を回顧したり、同級生がスイカ泥棒をしたという話を思いだしたり。

 途中、なぜか初恋の相手のことを思いだした。

 中学のときの同級生で、今は別々の高校に通っている。彼女とは音信不通だ。文雄は感傷に浸りそうになったが、今はそれどころではない。目的地に向かって走らなければ。

 文雄の目の前に現れた赤いトラス橋を渡り、今度は車幅の狭いくねくねと曲がるカーブに入る。車が来ないかと肝を冷やしながらそこを走り抜けた。そして最後の坂を、大きなカーブとともにスピードに乗って下った。

 しだいに家並みが見えはじめ、文雄は隣町に着いた。二時間弱の孤独な旅だった。長かった海岸線をたった一人で走り切ったのだ。


(場所はだいたい覚えてる)


 文雄は去年、この町で毎年行われる夏祭りに、親友の勇太と一緒に来たのだ。そのときは電車で来たのだが、そのとき通った商店街に目的の店はあったのだ。

 文雄はしばらく町中をマウンテンバイクで走ると、その商店街を探しあて、目的の小さな本屋を見つけた。

 文雄の町の本屋では駄目なのだ。文雄を見知った、通い慣れた本屋では駄目なのだ。

 しかし文雄はすぐには本屋に入らずに、いったん本屋から離れた。

 文雄の目の前には、向こう岸から商店街につづく橋があり、橋の入り口には欄干から少し外側に石灯籠がたっていた。その周りにある小さな空間にマウンテンバイクを停め、持参したペットボトルの水を飲んだ。文雄は長距離移動によって吹きでた汗を、タオルで拭きとる。そして、汗がひくのを待って息をととのえる。白い息が顔の周りに漂っている。

 その場で長居するつもりはない。誰かに見られたくなかった。文雄はだいたい汗がひいてくると、目的の本屋に向かった。

 狭い店舗だったので、すぐに中の様子が窺えた。

 店に入るとすぐ右手にレジがあり、レジには主人らしき人物がいる。店の形は入り口から見て縦長の長方形で、店内をぐるりと囲む棚に本が並べられていた。店の中央にも縦に伸びる棚があり、その棚の両サイドにも本が並べられている。

 店内に客はいなかった。

 文雄はそれを確認すると、レジの前を通って、店中央の棚を挟みレジに近いほうの通路に入った。それから、棚に並ぶ本のタイトルを物色しはじめた。

 やがて文雄は、本が並べられている棚の上のほうに陳列してあった一冊の本に目星をつけた。手を伸ばし、本の角に指をかける。しかし次の瞬間、本は文雄の指を離れた。


「あ」


 文雄が驚きの声をあげるのとほぼ同時に、本は真下に平積みされていた本の上でバウンドした。文雄は焦って拾おうとしてみせたが、本は文雄の手には収まらず、床の上でバンッと音をたてた。

 文雄は「すみません」と言い、床に落ちた本をそそくさと拾った。少しの間、その本を手にとったまま眺めていたが、結局また元の場所に戻した。

 文雄が本を手にとったのはそれが最後で、しばらくすると本屋を出た。結局、文雄が店を出るまで、店内に他に客は入って来なかった。

 文雄は何事もなかったようにマウンテンバイクに跨り、自分の町に向かった。足は行きの長距離移動でかなり疲弊していた。しかし文雄は町の端に来ると、あらん限りの力でペダルをこぎはじめた。そのまま文雄は、この町に入って来たときの坂を上る。そして、車幅の狭いくねくねと曲がるカーブを越えると、赤いトラス橋が見えた。

 すると文雄は、安堵したように溜息を一つつき、ゆったりとしたペースで帰っていった。


   □


「ない」


 文雄は、自分の部屋でパソコンのディスプレイを覗き、そこに表示されている検索ヒット件数0を見ながら言った。今度は別の検索エンジンで調べる。しかし、やはりない。


「ない」


 文雄が探しているのは、『いつでも星』というタイトルの本と、その作者『春野昇』。それがいくら探しても、ネット上に存在していないのだ。


「本当に存在するのか?」


 しかし、文雄がその作者と本の存在を知っている以上、存在するはずなのだ。 


「おまえは何者なんだ、ハルノノボル」


そのとき、階下から二階にいる文雄を呼ぶ声が聞こえた。


「文雄。ちょっとこっち来て」


 一階に降りて声がしたほうに行くと、台所から文雄の母親である正美が手招きしている。


「何?」

「あんた、これ切って。千切りね」


 文雄が台所に行くと、まな板の上に大きなキャベツが一玉置かれてあった。


「えー、なんで」

「あんた、ほとんど包丁使ったことないでしょう。あんたも、もう少ししたら大学で一人暮らしするんだから、このくらいやれるようになっておきなさいよ」

「一人暮らしはじめたら、勝手にやるようになるよ」


 文雄は面倒臭くて、まるっきりやる気がないことを表情に出した。


「今から慣らしておいたほうが得だよ。慣れてしまえば随分楽になるんだから。そうしたら生活のリズムもできるし、勉強とか遊びとか他のことにも集中できるよ」


 正美は文雄のやる気を起こそうとしたいのだろう。ゆっくり諭すように説得してくる。しかし、文雄は納得しない。


「だから、いいって。勝手にやれるようになるから」

「でもね」

「いいって」

「あー、そう。じゃあ、いいわ」


 文雄の態度に正美はとうとうさじを投げたようだ。


「勝手にやりなさいな。勝手に」


 正美は調理途中だった煮物に目を移し、それっきり黙りこんでしまった。文雄はバツが悪くなり、二階に戻った。


   □

 

次の日の朝、文雄は登校し、北棟の三階にある自分の教室に入ると席に着いた。

すると待ってましたとばかりに、先に教室に入っていた友人の中尾が、文雄に声をかけてきた。


「なあなあ、長浜の本屋で万引きがあったらしいぜ」


 長浜とは隣町のことだ。


「へえ」


 文雄は鞄を机脇のフックにかけながら興味なさげに答える。しかし、中尾は嬉しそうだ。


「五組の木口かもしれねえな。あいつ、前に畑からスイカ盗んでやったって、言ってたから。ああいうスリルって成功すると味を占めるらしいからな」

「よりスリルを求めてな」


 俺も話に交ぜろよとばかりに、同じく友人の竹中も話に割って入ってきた。ますます中尾は話に身が入ったようだ。中尾と竹中のかけ合いがはじまった。


「あれはまたやるぜ」

「どんどん、大胆な犯行になっていってな」

「で、調子に乗って、最後は捕まると」

「間抜けだな、木口」

「もう木口が犯人なんだ?」


 文雄のその一言で、どっと笑いが起こる。文雄たちのそばで聞き耳を立てていた他の級友たちも、くすくすと笑っていた。

昼休みになり、文雄は校舎の裏の自転車置き場で親友の勇太と話していた。休み時間は、ここにはあまり人が来ない。


「文雄、やっぱりないぜ」

「そうか」


 文雄は勇太の報告を聞き、肩を落とした。


「ああ、大きな書店にも問い合わせしてみたけど、取り扱ってないってよ」


 勇太は、律儀に調べてくれていた。文雄が探している例の本のことだ。

作者『春野昇』、タイトル『いつでも星』。


「ないかー」


 文雄は空を見上げて嘆いた。


「そんなに気になるか? まあ、確かに俺も興味湧くけど。なんだろうな、その本」


 話に行き詰まり、しばらく沈黙がつづいた。文雄はその本のことで頭が一杯で、口を開く気がない。それを察したのか、勇太が話題を変えた。


「しかし、この時期は落ち着かないな」


 文雄たちはもうすぐ卒業を迎える。そしていまは、受験シーズン真っ只中にいる。大学合否の結果待ちの学生が多い。


「俺は随分、落ち着いてるけどな」

「文雄はいいよ。もう推薦で大学決まってるから。俺ら一般入試組は、今月か、来月決まるからな」


勇太は羨ましそうに文雄を見た。


「確かに推薦もらえたのはラッキーだった。勇太にも幸運が舞い降りることを祈ってるぜ」


 文雄がフォローするようにそう言うと、勇太は「サンキュ。そう願ってるよ」と返した。


「そういえば二年の柏木たちが、卒業までに、また文雄お得意のマジック見せて欲しいって言ってたぞ」

「なんで卒業生の俺が、在校生にマジック披露して、楽しませてやらなきゃならないんだ。普通、逆だろ」


 文雄は呆れて溜息をついた。


「今度こそ、文雄のマジックの種をあばくって鼻息荒くしてたぞ」

「また、その話か」

「カード、コイン、お札、ロープ」


 文雄のできるマジックを勇太が列挙していく。


「いいぜ。見せてやるよ。でも、何度見たってわからない奴にはわからないさ」

「自信満々だな」


 あまりにも余裕たっぷりに文雄が答えるのが可笑しかったのか、勇太はくすくすと笑った。


「ふん、奴らに謎を残して卒業してやるよ」

「そんなこと言っても、本屋でマジックの本見れば大抵の種はすぐわかるんだけどな。ほとんどオーソドックスなやつばかりだし」

「ちょい、ちょい、ちょい、勇太。そのこと、奴等には言うなよ」


 文雄は慌てて勇太に口止めをした。


「へい、へい」


 勇太はやっぱり、くすくすと笑っていた。

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