見込みに関するエッセイ
将棋のT八段は、プロ棋士への登竜門である奨励会のあるものに、
「君は見込みがないから、早く転職を考えたほうがいいよ」
と言ったそうである。
言われたほうは、プロ四段になるとたちまち六段に昇段した。
見込みがあるとわかっていて、わざと辞めさせたほうが、自分が有利であるという考えから、嘘をついたのである。
作家の遠藤周作も、駆け出し時代に、作家の先輩に「見込みがない」と言われたことがあるとエッセイに書いている。
これらはライバルを蹴落とすための嘘であったことは、その後、明らかとなった。
では、本気で見込みがあると言われたら、どうなるのであろうか?
故・芹沢博文九段は、「奨励会に未来の名人がいる。Sだ」
その後、Sは九段にはなったが、私生活に問題があり、将棋のタイトルは取れていない。
Sは文芸と麻雀にハマッてしまい、将棋のほうが疎かになったのだ。
故・木村義雄十四世名人は、かつて「(自分のあとは)大山か升田だろうが、升田は身体を無理するから、やっぱり大山のものだろうな」といい、その通りになった。
名人在位は大山が18期で、それは未だに破られていない。
升田は2期で終わった。
すると、川端康成が芥川賞選考委員だったときの太宰治に対する書評、
「作家目下の生活にいやな雲ありて、才能の素直に発せざる憾あった」
は正しいのだろうか?
これは作品は太宰のほうが上だが、日常生活に問題があり、活躍が期待できないという意味である。
太宰はその文を読んで怒り、「川端康成へ」という脅迫まがいの文章を雑誌に掲載した。
太宰は結局、芥川賞を取る事ができなかった。
太宰は後に、「自分は思い違いをしていた。短期間の勝負ではない」という意味のことを書いている。
夏目漱石は、旧制五高(現在の熊本大学)の教授時代、俳句の書き方を聞かれ、「月並みではダメで、うまくなるかどうかは人によって違う」と述べている。
見込みがあるかどうか、やはり人によって違うし、私生活がどう影響するかも一概に言えないようだ。




