第2話 新月の民
おかしいな、と思った方、どうもご迷惑をおかけ致しました。
一年前のあの日、俺は何かを砕かれた。
それからずっと悩み続けた。答えは出なかった。それでも悩み続けた。
そして、俺の気は触れた。
その朝、いつも通り隣で目を覚ましたキャロルを撃ち殺し、団長の息子という立場をかなぐり捨てて国を逃れた。
それでも、俺の迷いが晴れることはなかった。
「おはよ、マスター」
「おはよう。そうか、帰ってきたんだったな」
さて、親父殿に挨拶に行かなければなるまい。
顔を洗って頭を覚ましきると、クローゼットを開いた。
「まさか、また着ることになるとはな」
ばさりとコートを翻して、俺は部屋を出た。
とは言うものの、親父の執務室に行く前に、寄らねばならない所がある。まず始めに、彼女に会いに行かなければ。
「マスター、あいつに会いに行くのー?」
キャロルが不満そうに口をとがらす。
「ああ、多分仕事を任せっきりだったろうからな」
「えー。私、あいつきらーい」
「そう言うな・・・・・」
「先輩!!」
キャロルを宥めていると、背後の廊下から、懐かしい声が聞こえた。
「よう。元気だったか、カリ・・・・ぐぼっ!?」
振り向きかけた顔面に、容赦ないストレートが決まった。
本気の一撃に怯み倒れ込んだ俺の上に、何者かがのしかかり、マウントポジションを極める。
「カ・・・カリ・・?ぶっ!?」
「私がっ!一体!どんなっ!思いで!一年も!待って!いたか!」
「待て、カ、ぶし!話を、あがっ!!わる、ぐぇ!おっ!ぐっ!えっ!おぷばっ!?」
ポジションからの拳の連打、連打、連打。
あまりの猛威に、はだけた寝間着から覗く胸元や、太股のラインに見とれる間もない。
おかしい。いつも穏やかに微笑んでいた黒髪の麗人の顔が、霞んで見えないよ・・・・・
「あんな!置き手紙!一つで!もう・・・!会えないんじゃ・・・!ないかと・・・!」
やがて、激昂の叫びは嗚咽に変わり、少女は俺の胸に顔を押し当て泣き出した。
「良かった、先輩・・・・。良かった・・・・」
泣きじゃくる少女の頭を撫でて落ち着かせる。
「ただいま」
「・・・・・はい。お帰りなさい、先輩」
少女の名はカリン。俺の後輩、みたいなものか?
人一倍俺を慕ってくれていて、彼女を置いてきたことには突き刺すような罪悪感を感じていた。
「ちょっと、いつまで引っ付いてるのよ」
キャロルが不機嫌そうに俺をカリンから引き剥がす。
「聞いてよマスター。この泥棒猫ったら、ずっとマスターの部屋の掃除なんかして、点数稼ぎしてたんだよ」
赤くなった目をこするカリンが飛び上がる。
「キャロルちゃん!それは内緒だって言ったじゃない!」
「ふーんだ!泥棒猫!マスターは渡さないんだから!!」
「いいえ!先輩は・・・・私の・・・です!!」
どうにも仲がいいのか悪いのか分からぬ二人である。
「ほら、カリンもおいで。ボスのとこ行くぞ」
着替えてきたカリンを連れて、執務室の扉を押し開けた。
「ふはは。その顔では、もう制裁は済んだらしいな」
部屋に入るなり爆笑するクソ親父。滅べ。
「最初からそのつもりだったな。ちくしょう」
「そーだ。まったく、何のためにお前にカリンちゃんを付けたと思ってる。ガキでもこさえりゃ、迷子のレイも漢になると思ったのによう・・・・・」
「死ね!!」
本気で殺すつもりで、漆黒のナイフを馬鹿面に投げつける。
だが、刃は親父の鼻先から十センチ離れた所で停止した。
「ちょうどいい。おら、レイ。挨拶しろ」
俺の必殺ナイフを指二本で受け止めたのは、長い銀髪を纏めた女性だった。
給仕服―――所謂メイド服だ――― に身を包んだ彼女は、ナイフを銀盆に載せて、無表情で俺に返した。
「ども、お久しぶりです。アテナさん」
「・・・・・・」
こくりと頷く、色白の美人。
この人を表すには、『無口』と云うのが最適だ。
彼女に口があるという事を確認出来るのは、時々見かける食事時しかない。
「さて。レイ、今日のお前の仕事は挨拶回りだ。他の同僚に詫び入れてこい」
「あの人、帰って来てるのか・・・・?」
「赤薔薇か?そういや、まだ帰ってきてないな」
思わず安堵の溜め息を吐く。取り敢えず、最悪の事態は避けられた。
「用はそれだけだ。ほれ、カリンちゃんは仕事に戻れ。レイは失せろ」
カリンは俺に笑いかけると、親父に礼をして出て行った。
退出する間際、俺は最後の問いを投げかけた。
「ヴィルヘルム。俺を赦すのか」
「馬鹿野郎。お前を赦さなかったら、いつまでも経っても俺は俺を赦せないだろうが」
尋ねることは尋ねた。
俺はキャロルを伴って部屋を後にした。
部屋を出た瞬間、いきなり肩を強打され、俺は廊下にぶっ倒れた。
「がっはっは!しばらく見ない内に、ずいぶん貧弱になったんじゃないのか!?」
そう言いながら俺を見下ろすのは、頭を剃り上げた筋肉の塊の巨漢だった。
「ゴッド・ブル!!」
《ルナ・ヌエバ》は全部で五つの部署に分かれている。
《処刑屋》・《護衛屋》・《掃除屋》・《道具屋》。そして《統領》
親父が頭を張る《統領》は、その名の通り、《ルナ・ヌエバ》の管理をする部署で、代々団長が治めている。
この暑苦しい筋肉男は、《護衛屋》のリーダーだった。
《護衛屋》の仕事は、王室の依頼に応じて要人などの安全を護ること。
日夜、警護に関する技術を磨き続ける集団である。
「よせよせ!今まで通りのブルで良いわい!」
豪快に笑いながら、バシバシと俺の背中を叩くおっさん。痛い。
「分かった、ブル。どうだ、最近は。何か変わったことはないか?」
訊くと、ブルは薄く髭の生えた顎を掴んで唸った。
「さあなあ。最近はどこの国も大人しくなって、国外への出張は少ないなぁ」
「でも、姉御は出掛けてるんだろ?」
「ああ、あいつは魔獣狩りの依頼が入って、国境まで行ってるそうだな」
「助かった・・・・。あ、じゃあ、今居る《五つ星》って、親父とブルと・・・・トカゲは?」
「居るぞ。この時間なら工房だろう」
あー。じゃあ、あいつのとこに行ってくるか。
俺はブルに別れを告げ、地下へと続く階段を目指した。
《ルナ・ヌエバ》のアジトは、王都の真ん中から少し外れた所にある。
見掛けは普通の訓練施設で、軍の実験所と触れ込んでいる。
とにかく、敷地は広いのだ。
地下に広がっているのは、広大な作業所だった。
ここは《道具屋》の縄張りで、日々、俺たちが使う道具を作り続けている。
「・・・・・っと。いたいた」
そして、一番奥の机で様々な部品を並べているのが、《道具屋》の頭、トカゲだった。
「よっ、トカゲ」
声をかけると、鼻の上に小さな眼鏡を乗せて作業している中年の小男は手を休め、ついと俺を見た。
「連れ戻されたようだね、レイ。僕の作品は逃亡生活で役に立ったかね」
「いや、ダメだ。最後にくれたあの十徳ナイフな、十個目の機能に拳銃入れたのが間違いだった。荷袋の中で暴発しちまったよ」
あっはっは
だっはっは
「何か新作は出来たのか?」
トカゲはその言葉を待っていたかのように、がさがさとガラクタの山を漁った。
「君が帰ってきたら渡そうと思ってた。渾身の傑作の《魔具》だ」
差し出されたのは黒い靴だった。
促されて履いてみると、脚に奇妙な力が漲った。
「これは?」
「脚力増強装置《天翼靴》だ。脳から脚までの命令信号のタイムラグを、最大限短縮した。これで反射神経並みのアクションが出来る。こいつはある程度の反射神経を持ち合わせていないとならないし、それに、見たところ君は魔具に気に入られたようだ。存分に使ってくれたまえ」
成る程、流石、隊随一の技術者だ。こういったものはこいつに任せるに限る。
魔具という半オーバーテクノロジーには、使用者との相性が必要な場合がまま発生するが、トカゲが作るものは、そのデメリットを帳消しにして釣りが来るぐらいの性能なのだ。
「君の愛銃は使ってみたかい?」
「いいや。まだだ」
「壊れた魔具を修復するのは骨なんだ。なんとか直せたけど、使い心地が変わっているかも知れん。
早いとこ慣らすと良い。手入れはしておけと言っておいたからね」
そう言って、俺の後ろに控えているキャロルを見る。
俺も視線で問うと、キャロルはにっこりと笑った。
「問題ありませんわ。早くマスターに試して頂きたいです」
そうだな。久しぶりにやってみるか。
この一年で勘も鈍ってるかも知れないし。
「これから訓練場に行ってくるよ」
俺はトカゲにそう告げて、地下工房を後にした。
石造りの廊下を歩いている間、キャロルは始終無言だった。
気になって見下ろすと、ただにこにこ笑っていた。
薄気味悪い。
いつもこいつが黙ってるのには、何か訳がありそうなのだ。
「どうしたキャロル。にやにやして」
すると、キャロルは一層笑って答えた。
「またマスターと一緒に居られるのが嬉しいの」
薄暗い廊下を上機嫌で跳ねるキャロル。
まったく、聞いてるこちらが恥ずかしくなるような台詞を吐きやがって。
「ね、マスター」
「なんだ」
キャロルが上目遣いで甘えるように囁く。
「私、もっとマスターの熱いの、飲みたいなぁ」
「昨日やっただろ」
「一年も放っておいて、冷たすぎるわ」
「蓄えはあるだろ。ホント疲れるんだ、あれ」
新月の夜の如く、月明かりが届かない世界を守護する。
それが、新月の民の名の由来だ。
《ルナ・ヌエバ》は、王室直属の秘密部隊である。
基本的に、一般の軍隊では対処しきれない、または、明るみに出せない内容の仕事が主だ。
それは市街地に出現した魔獣であったり、亡命中要人の警護をしたり、他国への哨戒であったり、
「レイ、仕事だ」
背中にヴィルヘルムの声がかかる。
「強盗殺人犯のブラッド組が街に現れた。国軍が包囲網を敷いているが、奴ら、魔具持ちらしい。それで依頼が来た。出てくれるか」
冷たい何かが俺の背筋を流れていく。
それは怖れか興奮か。
「国軍で十分じゃないのか」
心にもないことを口にする。知っている。それは奴らの手には負えない。そして、恐らくは強盗たちにも。
「喜べ。奴らの魔具は《悪魔憑き》だ」
頭蓋に稲妻が走る。
心臓は早鐘を打ち鳴らし、唇は意図せず吊り上がる。
冷えた歓喜に身を震わす。
「行くぞ、カリンを呼べ」