第37話 エルンスト視点 そして老学者 ― 結界の真実
公爵と国王、そして老学者 ― 結界の真実
翌朝、私は国王グランツに伴われ、王宮奥の応接間へと通された。
そこに待っていたのは、一人の老婆である。白髪を結い、深緑のローブを纏い、杖をついて静かに立つ姿――魔法学者、マーガレット。齢八十を超えながら、その眼差しには濁りひとつない光が宿っていた。
「公爵殿。陛下より話は伺っております。ローゼ様を包む結界について、知りたいと」
「そうじゃ。あの透明の殻、どうにか破る手立てはないのか」
私は苛立ちを隠せず問い詰めた。だがマーガレットは小さく首を振り、穏やかに言葉を紡ぐ。
「……あれは《スキル》の一種。《引きこもり》と呼ばれるものです」
「やはりスキルで間違いなかったか……」
国王が目を細める。
老婆は続けた。
「《引きこもり》は、心が砕けた者が無意識に発動する防御の殻。外界との接触を拒み、己を守り抜く。力ずくで破ろうとすれば、本人の魂が裂ける危険すらございます」
「なに……!」
私は息を呑んだ。だがマーガレットは厳しい現実を容赦なく告げる。
「解けるのは、本人が“外に出たい”と願ったとき。ただ一つの条件があります。――それは、愛。愛する二人の心が一つになった時にのみ、この殻は崩れるのです」
「愛する……二人」
私は反射的に拳を握った。
娘を愛する父と、父を慕う娘。これ以上に強き愛があろうか。ならば、きっと――!
◆
私は確信に燃え、再び地下牢を訪れた。
光を纏う結界の中、ローゼは変わらず静かに座している。
私は鉄格子に額を押し当て、全身の想いを込めて叫んだ。
「ローゼ! 父はここにおる! お前を誰よりも愛しておる! 幼き頃から、わしの誇りは常にお前だった! どうか、この殻を解いてくれ!」
両手を広げ、涙を隠すことなく。
ローゼもまた結界の内側から手を伸ばしてきた。
透明の壁を挟み、指先と指先が重なる。
だが――光は揺らがない。
砕ける兆しも見せない。
「な、なぜじゃ……!」
私は絶望と共に膝をついた。
「わしの愛では足りぬのか……? これほど愛しておるのに……! こんなにも、こんなにも愛しているのに!」
結界は静かなまま。
ローゼの瞳が悲しげに揺れただけだった。
◆
私は再びマーガレットを呼び寄せた。
老人の前に膝をつき、縋るように問う。
「なぜだ! わしの愛は偽りではない! それでも結界は破れなんだ! 教えてくれ、何が足りぬのか!」
老婆は長く息を吐き、静かに言った。
「……お察しください、公爵様。《引きこもり》を解く“愛”とは、父娘の家族愛を指すのではございません」
「なに……?」
「それは――生涯を誓い合う者。すなわち、真に愛する“結婚相手”との絆でございます」
その一言に、私は立ち尽くした。
頭を鈍器で殴られたような衝撃。
「ば、馬鹿な……! わしは父じゃぞ! この世で最もローゼを愛しているのだ! だが、それでも……駄目なのか……」
マーガレットは目を伏せ、哀れむように囁いた。
「父の愛は尊く、力強いもの。ですが《引きこもり》が求めるのは、未来を共に歩む愛。そのぬくもりに触れた時のみ、彼女は自らの殻を解くのです」
私は言葉を失った。
これほどの愛を注いでも届かぬ。
父であるがゆえに、決して届かぬ領域があるというのか。
◆
その夜。
私は一人、静かな執務室で盃を傾けていた。
だが酒は砂のように味気なく、胸の内には空洞だけが残る。
――わしの愛では、救えぬのか。
――ならば、誰がローゼを救うのだ。
浮かぶのは一人の青年の顔。
ローゼの傍らにいた、あの真っ直ぐな瞳の少年。
エリオット――。
「まさか……奴が」
私は盃を置き、頭を抱えた。
父の愛は、届かない。
ならば、娘の心を救うのは――彼女が本当に愛する者。
その答えに気づいてしまった時、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。
同時に、不思議な安堵すらあった。
そうか。
わしの役目は、己の愛で救うことではない。
ローゼを愛する“彼”の道を、父として支えること。
それこそが、わしに残された唯一の役割なのかもしれぬ。
揺れる蝋燭の炎を見つめながら、私は深く息を吐いた。
「……ローゼ。必ず救う。たとえこの命を賭してでも……」




