第32話 第二王子エリオット視点 愛は届かず ― 再び立ち上がる
愛は届かず ― 再び立ち上がる
冷たい廊下を歩く僕の足取りは重かった。
さっきまで牢の前で見た光景――あの透明の壁に阻まれ、ローゼの手に触れられなかった瞬間が、胸の奥を何度も抉っていた。
声は届かない。温もりも届かない。
――やはり僕ではだめなのだろうか。
そう思っただけで、心が軋み、前に進む力を奪っていく。
「殿下」
隣を歩くレオナルドが声をかけた。
「このままではお身体が持ちません。少し、腰を下ろしましょう」
僕はうなずく気力もなく、その場に座り込んだ。
石畳の冷たさが、無力な自分の姿を突きつけてくる。
レオナルドはすぐに膝を折り、黙って僕の肩を支えた。
その沈黙は優しさのようで、同時に突き刺さるような痛みでもあった。
◆
「……レオナルド。僕は……間違っていたのかもしれない」
搾り出すように声を漏らす。
「間違い、と申されますか」
「マーガレットの言葉を信じた。愛する二人の心が重なれば、結界は解けると……。でも、何も起きなかった。
つまり、僕とローゼの間に……その“愛”なんて、存在しないんだ」
自嘲気味に笑おうとしたけれど、頬は引きつるだけだった。
情けない。こんな顔をレオナルドに見せている自分が、ひどく惨めだった。
だが彼は何も言わない。ただ黙って、僕の吐き出す弱音を受け止めていた。
「僕はずっと、ローゼを守りたいと思ってきた。憧れで、敬愛して……いつしか、それ以上の気持ちが生まれていた。
けれど、結界はびくともしなかった。
つまり――彼女にとって僕は、ただの弟でしかないんだ」
自分で言葉にしてみると、その重みが余計に胸にのしかかる。
愛しているつもりだった。支えになれると思っていた。
でも、結界はそれを否定した。
「……僕では、彼女を救えないのだろう。なら、もう――」
そこまで言った瞬間。
鋭い声が飛んできた。
「殿下!」
レオナルドの手が僕の肩をぐっと強く掴む。
驚いて顔を上げると、彼の真剣な眼差しがまっすぐに僕を射抜いていた。
◆
「お忘れですか。ローゼ嬢はいま、この瞬間も結界の中で苦しんでいるのです」
「……苦しんで……?」
「ええ。あのお姿がすべてを物語っていました。声も届かず、手も届かず、閉ざされた光の中に閉じ込められている。
それがどれほどの孤独か……殿下には分からぬとお思いですか」
言葉を失う僕に、レオナルドはさらに畳み掛ける。
「あなたがあきらめたら、誰が彼女を助けるのです。
王も、他の誰も、あの結界を破る術を持たぬのですぞ。
彼女を救える可能性があるのは――殿下、あなただけなのです」
その言葉は、鋭い刃のように胸を貫いた。
同時に、熱い炎のように心を揺さぶった。
「……でも、僕は――」
「結界が解けなかった? それがどうしたのです!」
レオナルドの声が牢獄に響き渡る。
「一度触れて駄目だったからといって、すべてが終わりだとお考えなのですか? そんなことで退くなら、殿下は最初からローゼ嬢を救う資格などありません!」
「……!」
「彼女は、殿下が来てくれたことを喜んでいました。
声は届かずとも、表情がそう告げていた。
ならば、まだ終わっていないはずです。
あきらめないでください。――殿下の想いが届くまで」
◆
強い叱責と、熱い願い。
その二つが重なり、僕の心を大きく揺さぶった。
――そうだ。
僕があきらめてしまったら、ローゼはどうなる?
彼女は結界に閉ざされ、孤独の中で苦しみ続ける。
あの時、透明な壁越しに見た涙。
あの震える唇。
それがすべてを物語っていた。
彼女は助けを求めていた。
僕に――。
「……僕が、彼女を救わなければ」
小さく呟いた。
レオナルドが力強く頷く。
「そのとおりです。殿下以外に、彼女を解き放てる者などいません」
「まだ……終わっていない」
胸の奥に、再び熱が灯る。
「透明な壁に阻まれたとしても、何度だって挑む。
ローゼを見捨てたりはしない。……僕は、まだあきらめない」
言葉にした瞬間、不思議と心が軽くなった。
深い霧の中にいたはずなのに、ようやく光を見つけられたような気がした。
◆
「殿下」
レオナルドが穏やかに笑む。
「ようやく、いつものお顔に戻られました」
「……迷惑をかけたな」
「側近の務めでございます。殿下が倒れそうな時には支え、立ち上がった時には背を押す。それだけです」
その言葉に、思わず笑みがこぼれる。
彼が側にいてくれることが、これほど心強いと思ったことはなかった。
僕はゆっくりと立ち上がり、結界のある牢の方を振り返った。
遠く、淡い光がかすかに揺らめいて見える。
その中には、確かに彼女がいる。
「ローゼ……。必ず、君を助ける」
小さく呟く。
届かない声だとしても、この想いは消えない。
◆
レオナルドと並んで廊下を歩き出す。
さっきまでの重苦しい足取りは、もうなかった。
次こそは。
必ず彼女を抱きしめ、閉ざされた結界を打ち破る。
まだ終わりではない。
僕は、あきらめない。
その誓いを胸に、夜の城を歩いていった。




