第31話 第二王子エリオット視点 愛は届かず ― 結界の前で
愛は届かず ― 結界の前で
夜の帳が下り、城内の灯がぽつぽつと瞬き始めた頃。
僕――エリオットは、決意を胸に牢獄へと足を運んでいた。
冷たい石造りの廊下に、足音が虚しく響く。
胸の奥は緊張と不安で張り裂けそうだった。
「殿下、本当にご自身で……?」
後ろから控えめに声がかかる。
振り返れば、そこには側近のレオナルドがいた。
彼はいつも通り冷静な眼差しで僕を見つめている。
「……ああ。これは僕自身で確かめなければならない」
そう答えると、彼はわずかに頷き、黙って後に続いた。
――愛する二人の心が重なれば、結界は解ける。
マーガレットの言葉が何度も頭の中で反芻される。
もしそれが真実なら、僕とローゼの絆が試される。
彼女が僕を弟ではなく、一人の男として受け入れてくれるかどうか――。
だから、もうローゼを姉様と呼ぶのを辞める。これからは、ローゼと呼ぶ。
◆
牢獄の扉を抜けると、薄暗い空気の中に眩い光が浮かび上がった。
それは牢を覆う結界。淡く輝き、外界を拒む透明の膜だった。
中にはローゼがいた。
白いドレス姿で床に腰を下ろし、本を読んでいる。
その横顔を見ただけで胸が熱くなる。
僕にとって彼女はずっと憧れであり、守るべき存在であり――それ以上の気持ちが、いつしか心に根付いていた。
「ローゼ……」
思わず声を漏らした。
その瞬間、彼女が顔を上げた。
ゆっくりとこちらを振り向き、瞳を大きく見開く。
唇が確かに僕の名を呼んだように動く。
けれど、音は一切届かない。
透明の結界は、声さえ遮断していた。
それでも――彼女が僕を見つけてくれただけで、胸が震えた。
◆
結界を挟んで、僕たちは向かい合った。
ローゼが何かを言っている。
だが聞こえない。
だからこそ、確かめたいと思った。
「殿下……」
背後からレオナルドが静かに声をかける。
「危険はありません。ただ……その壁は、誰の手も許さぬはず」
「分かっている。だが試さなければならない」
僕は震える手を伸ばした。
結界の膜に向かって。
ローゼもまた、ためらいながらも手を差し伸べてくる。
光を隔てて、互いの指先が――いま、重なろうとした。
しかし。
――かちり、と何か硬質なものに触れたような感覚。
見えない壁が、そこにあった。
透明で、冷たく、絶対に破れない隔たり。
僕の指先と彼女の指先は、ほんの数ミリを隔てて止められる。
いくら力を込めても、決して交わることはなかった。
「なぜ……」
唇が震えた。
マーガレットの言葉は間違いだったのか。
それとも――僕の想いが足りないのか。
結界の向こうで、ローゼが悲しげに唇を動かす。
「違う」と言っているようにも、「ごめん」と言っているようにも見えた。
だが確かめる術はない。
◆
「僕では……だめなのか」
声が掠れていた。
必死に抑えてきた不安が、全身を締め付ける。
愛している。守りたい。
けれど――触れることすらできない。
透明の壁は揺らぎもしない。
それがすべてだった。
僕は結界に額を押し付けた。
ローゼもまた、内側から同じように額を当ててくる。
だが、温もりは届かない。
見つめ合うだけ。
それ以上は、決して進めなかった。
◆
やがて、膝から力が抜けてその場に崩れ落ちる。
「やっぱり……僕じゃ、届かないのか」
胸の奥が空洞になっていく。
マーガレットが言った「愛」は、まだ形になっていないのだ。
僕は必死に笑みを作った。
「ごめん、ローゼ。……僕は、期待外れだったみたいだ」
ローゼは何かを叫ぶように口を動かす。
けれど声は届かない。
最後に見たのは、涙を浮かべ唇を震わせる彼女の姿だった。
◆
牢を後にする僕の足取りは重い。
視界が滲み、世界が歪んで見える。
隣を歩くレオナルドが、そっと問いかけた。
「殿下……」
僕は答えられなかった。
ただ沈黙を抱えたまま歩く。
心に刻まれたのは、ただひとつの痛烈な事実。
――僕では、結界を解くことはできない。
その思いが、鋭い刃のように胸を裂いていた。




