第3話 スキル《引きこもり》発動
スキル《引きこもり》発動編
独房の冷たい床に膝をつき、涙に濡れたローゼの心は壊れかけていた。
しかし、そのとき――。
――ポロリン♪
場違いな、軽快な電子音のような響きが牢の中に鳴り響いた。
「……え?」
ローゼは涙を拭い、きょろきょろと周囲を見回す。
地下牢に楽器などあるはずがない。
それに、今の音はどこかで聞き覚えがある。
そうだ、これは――。
「ゲームの……レベルアップ音?」
呟いた瞬間、胸の奥から奇妙な熱が湧き上がり、ローゼの体を包み込む。
心の奥にまで染み込んだ絶望が、少しだけ軽くなったように感じた。
そして、不意に笑いがこみあげてきた。
「ふふ……ふふふ……っ」
涙で濡れた頬を拭いながら、ローゼは笑った。
馬鹿げている、信じられない。だけど、どうしてだか楽しくて仕方ない。
「スキル……ひきこもり、ですって? なにそれ……! あははははっ!」
かつては屈辱的な言葉でしかなかった「引きこもり」。
だが今は、それが自分を守る“力”として蘇った。そう考えると、皮肉で笑えてしまったのだ。
「……じゃあ……まさか……」
ローゼはおそるおそる、かつて前世で遊んでいたゲームのように呟いてみた。
「ウィンドウ……オープン?」
――ピコンッ!
透明な板が、彼女の目の前にふわりと浮かび上がった。
そこには、くっきりと文字が浮かび上がっている。
【スキル:引きこもり】
発動条件:絶望的な空間に閉じ込められた時、自動発動
効果:閉じこもっている時間に応じて経験値が蓄積。レベルが上昇する。
現在レベル:1
使用可能スキル:
――《マイルーム》:前世で暮らしていた部屋を召喚し、籠もることができる。発動中、何者も侵入不可能。
「……な、なにこれ……」
ローゼは目を見開いた。
まるで夢でも見ているかのようだ。
いや、これは現実。確かに、自分だけに見える「ウィンドウ」が存在している。
「経験値……レベル……マイルーム……。ゲームみたいじゃないの!」
泣いている暇などない。
そう気づいた瞬間、胸の奥で小さな灯がともった。
「いいわ……どうせここに閉じ込められるのなら……引きこもってやる!」
決意とともに、ローゼは声を張り上げた。
「スキル発動――《マイルーム》!」
次の瞬間。
地下牢の汚れた石壁が淡い光に包まれ、景色がぐにゃりと歪んだ。
冷たくじめじめした空気が、温かく乾いた風に変わっていく。
鉄格子が消え、かわりに白い壁紙と木目の床が広がった。
そして――。
「こ、これは……っ!」
そこに現れたのは、見覚えのある空間。
ベッド、机、本棚、パソコン。カーテンに隠された窓。
前世で、引きこもって過ごしていた自分の部屋が、そっくりそのまま再現されていた。
懐かしさと同時に、涙がまたこぼれ落ちた。
「わたしの……部屋……!」
ベッドに倒れ込み、シーツの柔らかさを確かめる。
机の上には見慣れた文具。引き出しを開ければ、ノートや小説本まで入っている。
パソコンの電源を入れると、前世でよく見ていた画面が表示された。
「な、なんてこと……!」
地下牢の冷たさと屈辱に沈んでいた心が、一瞬で晴れ渡る。
ここは牢屋じゃない。わたしだけの空間、わたしの王国だ。
「ふふ……ふふふふ……!」
ローゼは笑いが止まらなかった。
公爵令嬢としての誇りも、未来の王妃という肩書も奪われた。
けれど――誰にも奪えない「部屋」が、自分の手に戻ってきたのだ。
机に座り、ローゼは小さくつぶやいた。
「絶望して泣き叫んでいても仕方ない。だったら、引きこもって……ここから始めればいい」
涙の跡を指で拭いながら、ローゼは強く頷いた。
――スキル《引きこもり》。
絶望の淵で得た、この奇妙な力。
これが、自分を救う武器になるかもしれない。
牢屋の中で死を待つのではなく、ここで「生き延びる」ことができるのだ。
そして彼女は気づいていなかった。
この部屋を覆う見えざる結界が、外からの干渉を完全に拒んでいることを。
すでに牢番が鉄格子を開けようとしても、中へ入ることはできないという事実を――。
「さあ……レベル上げとやらをしてみましょうか」
ローゼはくすりと笑い、椅子に深く腰かけた。
絶望の牢獄は、いつしか自分だけの聖域へと変わっていた。




