第20話 アルベルト視点 ― 美の崩壊
アルベルト視点 ― 美の崩壊
ミーアと過ごす日々は、当初は夢のように甘美だった。
彼女は俺の言葉に怯え、笑い、涙し、そして必ず最後には可憐な微笑を返してくる。
そんな姿を見るたび、俺は「やはり選んだのは正しかった」と胸を張ることができた。
――少なくとも、最初の数日は。
ある朝。
舞踏室に入ってきたミーアの姿を見て、俺は一瞬目を瞬かせた。
「……?」
昨日と違う。
いや、もっと正確に言えば――少し、ふっくらして見えたのだ。
頬が心持ち丸くなり、ドレスの胸元が張りを増している。
とはいえ、男爵家育ちから王宮生活に入ったのだから、多少の変化は当然かもしれない。
贅沢な食事に慣れぬ体が、ほんのわずかに「幸せ太り」した……その程度のことだ。
俺は自分にそう言い聞かせ、笑みを返した。
――気のせいだ。むしろ愛らしさが増したのだと。
しかし翌日。
「おはようございます、殿下」
姿を現したミーアを見て、俺は息を呑んだ。
……また、太っている?
昨日よりさらに頬が丸く、輪郭が曖昧になっている。
肩にかかる金の巻き毛も、顔の膨らみでいっそう窮屈そうに見えた。
ドレスの縫い目が引きつり、腰回りの布が不自然に張っている。
「……」
言葉が出なかった。
それでも、まだ心のどこかで「錯覚だ」と思いたかった。
三日目。
錯覚ではなかった。
部屋に現れた彼女の姿は、もはや昨日までの「愛らしいふくよかさ」とは程遠い。
頬は重たげに垂れ下がり、あごは二重どころか三重に折り重なっている。
歩くだけでドレスが軋み、胸や腹がぷるぷると揺れた。
俺は思わず後ずさった。
「……ミーア?」
彼女は気づいていないのか、無邪気に笑みを浮かべて近寄ってくる。
だがその笑みすら、丸々と膨れ上がった顔に埋もれて見えた。
こ、これは……どういうことだ?
病気か? 呪いか? それとも、ただの暴飲暴食か?
頭の中で答えを探したが、どれも信じがたかった。
四日目。
俺の前に立ったのは――もう、ミーアではなかった。
かつての可憐な少女の面影は一片もなく、そこにあったのは「肉の塊」だ。
ドレスは悲鳴を上げるように布が突っ張り、縫い目から糸がはち切れそうになっている。
頬も首も腹も腰も、すべてが膨張し、歩くたびに波打つ。
俺の喉がごくりと鳴った。
だがそれは欲望の音ではなく、ただただ言いようのない嫌悪の音だった。
「……さすがに」
俺は無意識に口を開いていた。
「さすがに……太りすぎだ」
その言葉は氷のように冷たく響き、室内の空気を一瞬で凍りつかせた。
「……え?」
ミーアが目を見開いた。
潤んだ瞳が震え、笑みが凍りつく。
俺は視線を逸らさなかった。
「顔も輪郭が変わっている。衣装も苦しげだ。このままでは人々の前に立てぬ」
「そ……そんな……」
彼女の声は掠れ、足元が崩れるように揺らいだ。
周囲に控える貴族や侍従たちが、口元を押さえてひそひそと囁いている。
――「ふくよかすぎる」
――「これではまるで別人だ」
――「殿下のお眼鏡に適うとは……」
陰口が耳に入るたび、俺の胸に重苦しい怒りが積もっていった。
だが、それは彼らに対してではなく……目の前のミーアに向けられていた。
ああ、なんという失望だろう。
俺は彼女に「可憐さ」を求めた。
守ってやりたいと感じさせる弱さと、花のように笑う姿。
それが王妃としての価値であり、俺が選んだ理由だった。
だが今――彼女はそれを完全に失った。
醜悪な肉に覆われ、もはや俺の隣に立つにふさわしくない。
このままでは、笑い者になる。
ローゼを地下牢に送った意味すら薄れてしまう。
その夜、俺はひとり部屋で思案した。
どうすべきか?
婚約破棄を宣言するのは早計だ。
だが、このまま並んで舞踏会に出るなど考えられぬ。
「……会うのは、しばらく控えるしかないな」
痩せるまで、顔を合わせない。
それが最善だ。
俺は深く息を吐き、机に肘を突いた。
「ミーア……おまえは、俺の期待を裏切った」
呟きながら、胸の奥にわずかな痛みを覚えた。
かつての彼女は愛らしかった。
だが、その姿はもう消えた。
残されたのは――太り続ける醜い女。
俺の心は冷え切り、愛情の代わりに嫌悪だけが残っていた。
翌朝、舞踏室へ行くことを俺はやめた。
侍従に「しばらくは公務に専念する」と伝え、ミーアとの顔合わせを一切断った。
あの姿を、もう見たくはなかった。
――このままでは、結婚など到底できない。
俺は心の奥でそう確信していた。




