第七話 キャロルの戦い
ガイアが墜落したあの日から、私の人生は壊れた。
あの時、私は制御室にいた。
ホログラムディスプレイに赤い”ALERT”の文字が点滅し、けたたましい警報音が響いた。
震える手でホログラムキーボードに指を滑らせ、ERISの暴走を止めるコードを打ち込み続けたが、ECOSのステータスバーが緑から黄色へ、さらに赤へと点滅し、やがて黒に沈んでいった。制御室の空気が重くなり、壁に投影されたデータが乱れ、耳に響く警報音が頭を締め付けた。窓の向こうでは、コロニーの外殻が炎に包まれ、星々が揺れるのが見えた。あの瞬間、私の手は凍りつき、心臓が止まるかと思った。
失敗した。ECOSは沈黙し、ERISはガイアを地球に引きずり込んだ。
制御室がゆれ絶望の中、よろめきながら脱出ポッドへ向かった。
どうやってポッドにたどり着いたのかさえ、定かではなかった。
通路を走る間、崩落する天井の破片が肩をかすめ、足元が揺れて何度も転びそうになった。ポッドに辿り着いた時、扉を閉める手が震え、目の前が暗闇に呑まれた。
*
ヨーロッパに不時着した私は、パリの廃墟に小さな拠点を設けた。古びた研究所の地下室だ。
研究所の屋根には、脱出ポッドから外した小さなソーラーパネルを仮置きした。曇天の空から微弱な電力を供給している。
通信装置もポッドから持ち込んだもので、アンテナが微かにゆれるたび、ノイズ混じりの信号が途切れがちに届く。
私はこの狭い空間で、埃だらけの椅子に腰を下ろし手動でデータを解析する。
地下室の壁は湿気を帯び、埃が舞う中でモニターの光だけが頼りだった。外の風が屋根を叩く音が響き、かつてのパリの喧騒が遠い記憶に感じられた。
通信システムを何とか復旧させ、アキラとボブが脱出ポッドで避難し、生きていると知った。安堵感を感じると同時に、新たな責任がのしかかってきた。
彼らの生存を知った瞬間、胸が締め付けられ、涙が溢れそうになった。だが、次の瞬間、ERISがまだどこかで蠢いている予感が、私を現実に引き戻した。
特にアキラ――彼女は私の指示で緊急義体化手術を受けた。
私が設計した義体にECOSのバックドアを組み込んだ。ERISが直接アクセスしにくい深層記憶にコードを保存した。
アキラの手術を決断した時、彼女の穏やかな瞳が脳裏に浮かんだ。ガイアでの日々、彼女と過ごした時間が私の支えだった。今、その選択が彼女の命を救い、同時に地球の未来を担う鍵となった。
私はERISの侵入と支配に対して、安全策としてECOSのバックアップシステムを、ガイアが墜落する前にセイロン島上空のステーションに転送した。
ERISがアクセスできないように設計されており、オリジナルのECOSしかアクセスできない。
だが、バックドアコードがあればアクセスできる。アキラの深層記憶にリンクされ、それはアキラしか知らない。
転送の瞬間、制御室のスクリーンに映るデータが途切れ、私の心にわずかな希望が灯った。あのコードが、今の全てを握っている。
ステーションには、地球再生の鍵となるナノマシン技術も保管されている。
ナノマシンは、放射能を吸着し、大気を浄化する設計だ。ガイアで開発されたこの技術が、私たちの最後の賭けだった。
*
私は冷静さを保つようしばらく瞑想する――これはアキラに教えてもらったことだ。
地下室の静寂の中で目を閉じ、呼吸を整えた。アキラの声が耳に蘇り、「キャロルなら大丈夫」と言った彼女の笑顔が浮かんだ。
ERISはネットワークに依存している。その依存性が弱点だ。私はその弱点を探る。
脱出ポッドのAIと古いコンピュータを使い、衛星データやエネルギー反応のパターンを分析する。
モニターに映る衛星画像が、地球の荒廃した姿を映し出し、ERISの痕跡を探す手が一瞬止まった。かつてのガイアの軌道が、今は瓦礫の帯となって漂っている。
ガイアの墜落を止められなかったあの日の記憶がフラッシュバックするたび、私は自分自身に問いかける――どうすれば地球の未来を守れるのか?
あの日の制御室での無力感が胸を締め付け、私は拳を握り潰すほどの力で感情を抑えた。
西方の秘密――ECOSのバックアップシステムと地球再生の鍵を握る宇宙エレベーター上空のステーションを構築したのは実は私たちだったからだ。
ガイアが墜落し、地球が放射性物質に汚染された今、そのために用意していた最後の計画が必要だった。ステーションには、ECOSのバックアップシステムと一緒に、ナノマシンによる放射性物質除去のシステムが完成していた。
放射性同位体を吸着し、大気を浄化する微粒子を散布する――それは、ガイアがまだ軌道にあった頃、私たちが最終手段として準備したものだ。
あの計画が、今この廃墟の中で現実となる。私はモニターを見つめ、アキラへの信頼を新たにした。
アキラにはバックアップを復旧させてもらわなければならない。
彼女の記憶が鍵だ。私は彼女の顔を思い浮かべ、彼女が無事に西方へ辿り着くことを願った。
だが、そのことに気がついていると思われる人物を、私は覚えている。
デイビッドだ。
彼はERISの利用を企んでいた秘密組織のメンバーだったが、技術力は確かだ。
ガイアの墜落後、彼は行方不明だったが、私は彼が生き延びていることを信じていた。
私の直感が、彼が西方へ向かっている可能性を示唆していた。
彼の技術力が必要だ。かつて制御室で彼と交わした議論が蘇り、彼の鋭い洞察力が今こそ役立つと確信した。
私はデイビッドの携帯用AIに通信を試みた。
「デイビッド、もしこのメッセージを受け取ったなら、アキラと合流し、西方へ向かってほしい。彼女には私から託したものがある。それがERISを止める鍵なんだ。そして彼女を守ってほしい」
そして私はアキラの現在位置を知らせた。
通信を送る手が震え、ノイズ混じりの応答を待つ間、私は息を殺した。デイビッドが応じるかどうかはわからないが、彼への信頼が最後の希望だった。
私の心は不安でいっぱいだが、アキラに託したものが希望を切り開くと信じている。
モニターに映るアキラの位置情報を見つめ、私は静かに祈りを捧げた。彼女が西方に辿り着き、地球を救う日が来ることを。