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第六話 翠――『西方』への旅

 地球到着一日目。


 わたしは大きくゆれる脱出ポッドの中で目を覚ました。


 ポッド内は薄赤い色だったけれど、わたしが目を覚したのを感知したポッドのAIが、すぐに照明を段々と明るくしてくれる。


 揺れが収まらない中、ポッドの壁に手を這わせると、冷たい金属の感触が指先に伝わった。狭い空間に響く微かな機械音が、わたしを現実へと引き戻した。


 目が覚めた時、なんでポッドの中にいるんだろう? 頭がぼんやりして思い出せない。

 わたし――名前は翠、日本人。ガイアの生物学者として、特に環境科学が専門分野の運営管理官としてそれから……それ以外は浮かんでこない。


 記憶の断片が霧のように漂い、ガイアの緑豊かなファームが一瞬だけ脳裏をよぎった。あの場所がわたしの全てだったはずなのに、今は遠く感じられる。

 ふと、自分の手のひらを見ると違和感がある。この手、わたしのじゃない。義体の滑らかな表面に、かつての温かさはなかった。


 その時、ポッドの小さなメインモニターにAIの画像が映り、わたしに向かって話し始めた。

『目が覚めましたか? アキラさん。私はキャロルさんの指示であなたを生存させるため義体化手術を行いました。あなたはこれから「西方さいほう」へ向かってください。そこには地球の再生を支えるシステムが存在しています――』

 映像はそこで終了し、メインモニターはポッド内外のモニタリングデータだけを映し出した。


 AIの声は機械的で感情がなく、キャロルという名前だけが心に引っかかった。彼女の顔が浮かびそうで、しかし霧に遮られて見えない。

「え、何? 義体? キャロルさん? 『西方』って何? 何のことだかわからないよ! 答えて!」けれどモニターからは何の返事も得られなかった。

 わたしはモニターを叩き、答えを求めたが、冷たい画面はただデータを映し出すだけだった。外の嵐の音がポッドを包み、不安が胸を締め付けた。


 このままじゃただ漂流するだけだと判断し、モニターにポッドの外部を映し出す――そこは荒れ狂う波と嵐。空は真っ暗だった。

 波のうねりがポッドを揺らし、モニターに映る海面は灰色に濁っていた。遠くに雷鳴が響き、稲光が一瞬だけ暗闇を切り裂いた。


 時刻を確認すると、午後一時。この暗さはコロニー時刻だ。現在位置の時刻じゃない。一体ここはどこで、何が起こったの? 全然わからない。

 時計の数字がガイアの時間を刻んでいるのを見て、コロニーがまだ存在していた頃の感覚が蘇り、混乱が深まった。


 いまわかっていることは……。

 ガイアに緊急事態が発生し、キャロルという人がわたしを生存させるために義体化してくれた。

 わたしの記憶は一部喪失している。

 それでも、わたしは生きて地球に還ってきた。

 この義体がなければ、放射能に耐えられなかっただろう。わたしは深呼吸し、自分がまだ生きている事実を噛みしめた。


 まずは現在のガイアの状況をポッドのAIに確認させる。

 返ってきた答えは、二十二時間四十五前にコロニーの約九〇%と残骸が北太平洋に墜落したと――

 ポッドの記録によると、わたしはガイアが軌道を逸れ始めた四十五分後に脱出している。それから約三十六時間かけて地球に帰還し、一時間後に覚醒した。

 現在位置は、奇しくも同じ北太平洋上。北緯三一・九四度、東経一七二・三五度付近。

 モニターに映る座標が、かつてのガイアの軌道から遠く離れた海を示していた。わたしは目を閉じ、コロニーの最後の瞬間を想像した。炎に包まれたあの場所が、今は海の底に沈んでいる。


 ポッドの外部はひどい嵐。

 モニタリングデータを見ると、外気温は二〇℃、気圧は九〇〇hPa、最大風速は毎秒五二メートル……大型台風の暴風圏内のようだ。

 風速の数値がポッドの耐久性を試すように揺らし、わたしは壁に手を当ててバランスを取った。

 そして、モニターに映った放射線量は五Svを超えていた!

 そうか……だから義体化手術を受けたんだ。わたしはキャロルさんに感謝した。

 この放射線量なら、生身の身体では一瞬たりとも耐えられない。義体のシェルがわたしを守り、キャロルの決断が命を繋いだ。


 *


 自分の義体を調べるため、義体のデータをモニターに映し出す。

 身長は一五〇センチ……ずいぶんと縮んだ気がする。

 髪は黒のロングヘア、瞳の色はダークブラウン……これが生身の時のわたしと同じだってわかる。けれど、ERISやECOSの名前が浮かんでも、それが何を意味するか、記憶がまだらでつかめない。


 データには、義体の耐久性やエネルギー効率が記載され、わたしの新しい身体がどれほど精密に作られているかがわかった。触れるたびに微かな振動が伝わり、生身の感覚とは異なる違和感が残った。

 脳と脊椎の中枢神経だけが、生身でシェルに収まっている。だから、無意識だったけれど、呼吸もしてたんだ。

 中枢神経を保護するシェルは一〇Svまでは耐えられるとある。

 それ以外の心肺機能などは全部義体に置き換わっている。


 メイン供給源は、高効率食事変換システムだ。サブは太陽光発電で、肌や髪に太陽電池が統合されている。ポッドから充電しておくかと、うなじの供給口に接続する。フル充電で、約六ヶ月は生きられる。

 充電中、微かな電流が身体を流れ、わたしは新しい命の仕組みに戸惑いながらも適応しようとした。


 *


 現在位置から上陸可能な場所を探そうとしたけれど、西方って単純に今いる位置からの西じゃないよね。


 さっきのAIの画像は、予め用意されていた動画だ。リアルタイムなら、わたしの問いかけに答えてくれるはずなのに。

 だから、わたしが脱出ポッドに乗り込む前に用意されていたんだと考えた。


 なら、西方は方角の西ではなく、西方が意味する場所を目指したほうが正しいと思う。

 モニターに映る「西方」の文字を見つめ、それがどこかを想像した。ガイアの記憶が鍵を握っている気がして、頭を振って霧を払おうとした。


 とりあえず、一番近い陸地を探すため、まだ稼働している衛星の画像を探し出して表示する――幸いにも、衛星ネットワークのほとんどは無事で助かった。

 着水地点は、東京とホノルルの中間くらいだ。日本列島の平野部は水没していて、ハワイだったはずの場所には島の影すらなかった――胸が締め付けられた。


 衛星画像に映る水没した都市が、かつての故郷の面影を消し去り、わたしは手を握り潰すほどの力で感情を抑えた。


 時刻を確認すると、午後三時三十五分……。外部のモニターやら義体のチェックをしていたから、二時間近く時間をロスしてしまった。充電も完了したからよしとしよう。


 気を取り直して、一番近い大陸を検索すると、北緯三二・〇三度、東経一一八・四五度……中国の南京市の付近?

 だいぶ奥地まで海になっている。長江の影響だろう。

 南京市を目指す。

 緯度と経度を入力し、エネルギーを一番使わずかつ安全で早く到着できる航路を取るよう指示をする。

 計算では約六千キロの船旅。船速五〇ノットなら三、四日を見ておけばいいだろう。

 ポッドの航行システムが動き出し、わたしはモニターに映る嵐の海を見つめた。目的地への長い旅が始まる。


 わたしはポッドに航行をまかせ、やっと安心して眠りにつくことができた。

 眠りに落ちる前、ポッドの揺れが子守唄のように感じられ、ガイアの記憶が遠くで響いた。


 *


 地球到着二日目、航行開始から一日。


 目が覚めると同時に、ポッドのモニターに外部を映し出す。空は晴れ、台風の暴風雨圏内を離脱したようだ。海面に照り返す太陽の光が眩しい。

 その海面をポッドは滑るように進んでいる。マップ上の航路は台風を避けて大きく迂回したらしく距離は稼いでいないが、目的地まで約三分の一の位置にいる。


 晴れた空がモニターに映り、わたしは一瞬だけ息を呑んだ。地球の美しさが、こんな状況でも心を打つ。


 昨日から何も口にしていないが、ポッド内にある一週間分のレーションのうち、一食分だけをいただく。そして水分も。

 食事を口に運ぶ感触が、義体でも人間らしさを感じさせ、少しだけ安堵した。


 わたしは航行時間中、西方について考えた。方角としての西ではなく、ある種の暗号や象徴的な意味を含む言葉かもしれないと感じ始めた。

 動画の中でAIは『そこには地球の再生を支えるシステムが存在しています』と言っていた。

 西方がガイアの遺産を意味するなら、わたしはその鍵を探さなければならない。モニターのデータを見つめ、未来への一歩を踏み出す決意を新たにした。

 なにしろ、わたしには思考と検索するには十分すぎる時間だけはある。


 ポッドの静かな航行音が響く中、わたしは次の行動を模索し始めた。


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