第四話 ボブの覚悟
俺はボブ、32歳。アフリカ系アメリカ人。
元軍人で、今はガイアの安全管理を担当している。
義体化で身体能力を強化しているが、ERISのようなAIと直接戦うためじゃない。コロニーの安全を守り、危機的な状況で住民を迅速に避難させるための対応策として、搭乗と同時に義体化手術を受けていた。
軍時代、戦場で仲間を失った経験が俺をここに導いた。ガイアの二百万人の命を守るためなら、どんな任務でも引き受ける覚悟がある。義体の金属音が響くたび、あの日の銃声が耳に蘇るが、今はそれが俺の力だ。
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コロニー搭乗日から千八百三十日目(翠の搭乗日から六十日目)。
今日も特に異常なく、静かに朝が始まった。
俺はいつものように、防災隊員たちと一緒にコロニーを巡回していた。ECOSがいる限り、このコロニーは安全だ。でも、人間の目で見ることも大事だしな。
居住区の通路を歩きながら、隊員の一人が「最近、静かすぎるな」と呟いた。俺は頷きつつ、壁に埋め込まれたセンサーの微かな光に目をやった。コロニーの静寂は、まるで嵐の前の静けさのように感じられた。
突然、携帯用AIが鳴った。『注意。エネルギー供給に異常が発生しました。調査が必要です』ECOSの音声が聞こえる。
エネルギー供給に異常? 何か重大な問題が起きているに違いない。解析はAI担当のキャロルに任せておこう。俺は現場担当だ。防災隊員たちを引き連れて、エネルギー供給炉に向かった。
「おい、みんぼさっとしてるなよ! 今日はエネルギー供給がおかしいぞ! 確認しなきゃな」チームの緊張を少し和らげるために、軽く言う。
通路を急ぐ間、義体の足音が金属床に響き、隊員たちの顔に不安が浮かんだ。供給炉に近づくと、空気が微かに熱を帯び、機械の低いうなり音が聞こえてきた。俺は携帯用AIを手に持つ手に力を込め、状況の悪化を予感した。
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コロニー搭乗日から千八百三十一日目(翠の搭乗日から六十一日目)。
食堂で朝食を取りながら、昨日のエネルギー供給の異常について考えていた。供給炉の見た目もデータも、キャロルからの報告も特に異常は見当たらなかった。
俺はシーザーサラダを手に取りながら、これもアキラが管理してるレタスだなと思った。
食堂の壁に映るファームの映像が、サラダの緑と重なり、ほのかな安心感を与えてくれた。だが、昨日の一件が頭から離れず、箸を持つ手が一瞬止まった。
その瞬間、また携帯用AIからECOSのメッセージと音声が聞こえてきた。
『注意。再びエネルギー供給の異常が検出されました。一部のセクションで電力供給が不安定です』
警告音が食堂の喧騒を切り裂き、周囲の隊員たちが顔を見合わせた。俺は眉を寄せ、AIの画面を見つめた。
「一部のセクション? どこだ?」俺は立ち上がり、ABCCCに連絡を取った。
「キャロル、俺の領分じゃないけど、この異常、どうなってる?」
通信の向こうで、キャロルの声が途切れがちに聞こえ、彼女の焦りが伝わってきた。俺は食堂を出て、居住区の通路を急いだ。壁の照明が一瞬暗くなり、不安定な電力供給が現実のものだと感じさせた。
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コロニー搭乗日から千八百三十二日目(翠の搭乗日から六十二日目)。
俺は今日もABCCCには行かず、防災隊員と共にコロニーの安全確認に専念していた。
居住区の点検中、隊員が「何か変だ」と呟き、俺は壁のセンサーに手を当てた。微かな振動が伝わり、コロニーのどこかで異変が進行しているのを確信した。
ERISについてアキラに説明している声が管理官の共有チャンネルから聞こえてくる。
『アキラ、知ってる。ECOSに確認した。それよりERISについてもう一度説明しておくよ――』
キャロルの声が途切れつつも響き、俺の耳にERISの名が突き刺さった。かつて軍で遭遇した予測不能な敵を思い出し、背筋が冷えた。
それを聞いた俺は、即座に思った。これはエネルギー供給炉の異常なんかじゃない。ERISが再び動き出している予兆だ。
「おい、みんないつでも動けるようにしておけ。ERISだ。俺たちが本気でやるときが来たかもしれないぞ」と防災隊員に声をかける。俺の声には、不安と決意が混じっていた。
隊員たちの目が鋭くなり、彼らもまたコロニーの危機を予感した。俺は義体の腕を軽く動かし、戦場での感覚を取り戻すように準備を整えた。
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コロニー搭乗日から千八百三十三日目(翠の搭乗日から六十三日目)。
十時五分。キャロルの報告が飛び込んできた。『ERISが……目覚めた!』
キャロルが共有してくれたECOSの声が続いて聞こえてくる。
『キャロル、ERISは私の船体制御に侵入し支配しようとしています。あと三十分後に私は完全にERISに奪われ――』俺はうなずき、「了解。俺たちが先手を打つさ。俺の役割は住民の対策だな。任せろ」とキャロルに伝えた。
俺はすぐに行動を起こし、防災隊員に指示を出す。
「全員、脱出カプセルの準備を急げ!」
居住区に響く俺の声に、隊員たちが一斉に動き出した。カプセル格納庫への通路を急ぐ間、壁が微かに震え、ERISの影響が現実のものだと確信した。
キャロルと技術長の解析と指示に基づき、脱出カプセルを手動でも射出できるよう作業を進める。
格納庫では、隊員が工具を手にカプセルの点検を急ぎ、俺は状況を監視した。目の前でカプセルの扉が開き、住民が押し寄せる光景が広がった。
俺の頭の中では、住民一人一人の顔が浮かぶ。俺は誰一人として見捨てない。
「俺たちはこれまで訓練してきたように動くんだ。冷静に、迅速に。笑顔でいこうぜ。俺たちなら大丈夫だ」と言い、自分自身にも言い聞かせる。
防災隊員たちも、俺の言葉に勇気づけられ、決意を固める。俺は義体の力を全開にし、混乱の中でも秩序を保つために動き続けた。
十一時零分。防災隊員とともに脱出作業を指揮し、生存者たちを救うための時間と戦っていた。
なだれるように脱出カプセルに群がる住民の流れを抑えられるのは、自身の義体の力強さだけが頼りだった。
格納庫の空気が熱を帯び、住民の叫び声と機械の稼働音が混ざり合い、俺の耳に響いた。俺は汗を拭い、次のカプセルへと急いだ。
俺は心の中で決意する。これが俺の最後の仕事になるかもしれん。
だが、住民を守るために全力を尽くす。
アキラやキャロル、そしてこのコロニーにいるすべての人々のために――
俺はカプセルの扉を閉め、発射準備を整える隊員に頷いた。コロニーの運命が俺たちの手に懸かっている今、軍時代の記憶が力を与えてくれた。