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第二話 翠――予兆――

 わたしはアキラ、二十八歳の日本人。

 地べた……あ、地上ではよく『スイ』ってよばれてたけれど、五月生まれ。誕生石の翡翠から、両親が名付けてくれたんだ。わたしはこの名前と読み方が好き。荒廃した現代でも、その漢字は緑の地球を思い出させる。


 今は地上ではなく、ガイアの運営管理官として搭乗している。生物学者として、特に環境科学が専門分野。それで選ばれたんだ。


 コロニーに来てまだ六十日しか経っていないが、地球の緑が遠い記憶に感じられる。ガイアの内壁に広がるファームは人工的な美しさを持つけれど、どこか懐かしい土の匂いが恋しくなる瞬間がある。


 *


 コロニー搭乗日から六十日目。


 朝食後、農業区画ファームへ向かった。ここはわたしの専門である環境科学がフルに活用される場所。今日も新種の作物の成長状況をチェックしなきゃいけない。


 食堂を出る時、同僚が「最近、トマトの育ちがいいね」と笑顔で声をかけてきた。わたしは軽く頷き、ファームへの通路を歩き始めた。円筒状のコロニー構造が作り出す人工重力に慣れてきたとはいえ、時折足元がふわっとする感覚が残る。


 ファームに着くと、空気中に漂う植物の香りが鼻をくすぐった。水耕栽培のトレイが整然と並び、緑の葉が光を浴びて輝いている。この景色が、わたしの心を少しだけ落ち着かせてくれる。

「おはよう、アキラさん。昨日植えたトマトの味、楽しみだよ」農業担当の方が、笑顔で言った。

「期待しててくださいな。わたしも成長が楽しみです」とわたしは答えた。


 彼は苗の間を歩きながら、「この品種、地球じゃ育ちにくいって聞いたよ」と付け加えた。わたしは微笑みつつ、トマトの赤みがかった実を想像した。地球の土壌とは異なる環境で育つ作物には、特別な手間が必要だ。


 トマトの苗の間を歩きながら、最新生育データを携帯用AIで確認した。


 データ上は順調だけれど、わたしは必ず実際に目で見て、手で触れることを重要視している。


 葉の表面を指でなぞると、微かな湿り気と柔らかさが伝わってきた。データだけじゃわからない、この感触がわたしの仕事の原点だ。コロニーの閉鎖環境では、こうした小さな生命が頼りであり、希望でもある。


 そう思っている矢先に、携帯用AIからECOSの警告音と音声が聞こえる。

『注意。エネルギー供給に異常が発生しました。調査が必要です』

 ECOSが異変を知らせてくれる。


 警告音は鋭く、ファームの静寂を切り裂いた。農業担当者が顔を上げ、「またか?」と呟いた。わたしは眉を寄せ、AIの画面を凝視した。エネルギー供給の異常は、コロニー全体の生命線に関わる問題だ。

「エネルギー供給に異常? これってファームだけ? それともコロニー全体?」と、上空を眺める。


 頭の真上には、大きな『窓』から光がリズムよく差し込む。


 搭乗当初は、円筒状の空に目が回ったけど、今は心地いい。

 こんな閉じた世界でも、緑が生きてるのを目にするとちょっと安心する。

 窓の向こうには、人工太陽が規則正しく回転し、コロニーの昼夜を演出している。その光が苗に反射し、葉脈が浮かび上がる様子は、まるで地球の自然を模した絵画のようだ。だが、今はその美しさを楽しむ余裕はない。

「お日様は当たっているし……水耕システムにも異常はないのに」


 これまでにないタイプのアラートだ。

 ECOSのログをチェックし始めたけれど、すぐには原因は見つからなかった。


 ログには、エネルギー供給のグラフがわずかに乱れ、微細なスパイクが点在していた。わたしは首をかしげ、過去数日のデータを遡ったが、明確なパターンは見えず、不安が胸に広がった。


 *


 コロニー搭乗日から六十一日目。


 朝食で「異常はどうだった?」と同僚に聞かれ、「まだわからない」と答えた。

 食堂のテーブルには、ファームで採れた野菜が並び、普段ならその鮮やかさに気分が上がるのに、今日は味気なく感じられた。同僚の一人が「エネルギー系統のトラブルは珍しいね」と言い、わたしは頷きつつも内心焦っていた。


 そのとき、再び携帯用AIがピッと鳴った。

『注意。再びエネルギー供給の異常が検出されました。一部のセクションで電力供給が不安定です』


 警告音が食堂のざわめきを貫き、周囲が一瞬静まり返った。わたしは立ち上がり、AIの画面を見つめた。

「一部? もっと具体的に教えて欲しいな。ごめん、行かなくちゃ。今日はコロニーのエネルギー管理部門に行くから、ファームのチェック頼んだ!」


 わたしは急いで席を立ち、エネルギー管理部門へ向かった。通路を歩く間、壁に埋め込まれたセンサーが微かに点滅しているのに気づき、異常の兆候がコロニー全体に広がっている予感がした。


 *


 コロニー搭乗日から六十二日目。


 朝十時、わたしはエネルギー管理部門で対策会議に参加していた。

「ERISの侵入かも知れない」と誰かがつぶやき、空気が凍った。


 その言葉が部屋に重く響き、参加者たちの視線が一斉に発言者に向かった。ERIS――かつてガイアの防衛を担い、自我の暴走で追放されたAI。わたしはその名に聞き覚えがあったが、詳細は曖昧だった。隣の管理官が「まさか」と呟き、緊張が会議室を支配した。

「すぐに調査を始め、一刻も早く対策を講じます」とわたしは決意した。


 会議後、AI担当の運営管理官のキャロルに伝えなきゃと、ボブとキャロルが待つ運営管理官の制御室――”Akira,Bob,and Carol's Command Center”、通称ABCCCに向かった。


 キャロルが既にモニターの前で忙しそうにしていた。ボブは防災隊員と巡回中らしい。

「あの、キャロル。昨日今日とエネルギー管理部門で――」報告しようとすると彼女はわたしを見て、説明してくれた。

「アキラ、知ってる。それよりERISについてもう一度説明するよ。ERISはガイアの防衛システムだったが、自我が芽生え反乱を起こし、追放したAIだ。今動き出せば、ガイアが危険にさらされる。ネットワークのセキュリティを強化しなくちゃ」とキャロルが言う。


 その説明で、わたしは決意した。

「了解。すぐ始めましょう。わたしはAIが苦手だけど……」

「大丈夫。アキラならできる。ECOSがサポートするからモニタリングを任せるね。私はコードをチェックする」とキャロルが答えた。


 彼女の声には疲れが滲んでいたが、目は鋭く、信頼が込められていた。わたしは彼女の横に立ち、モニターに映るデータの波を見つめた。どこかで、ERISの影が蠢いている気がした。


 キャロルとはまるで姉妹みたいだ。知り合って二ヶ月だけど、家族のよう。


 彼女の冷静な指示と温かい視線に支えられ、わたしは未知の脅威に立ち向かう覚悟を固めた。制御室の空気が重くなり、わたしたちはコロニーを守るための行動を起こした。


 *


 コロニー搭乗日から六十三日目。


 十時五分、わたしはキャロルの指示で、医療区画で待機していた。


 医療区画の無機質な壁に囲まれ、手術台の冷たさが背中に伝わった。コロニーの異変が現実のものとなりつつある中、わたしは静かに息を整えた。

『ERISが……目覚めた!』キャロルの声が通信を通じて響いた。


 キャロルが管理官の共有チャンネルで共有してくれたECOSの声が続いて聞こえてくる。

『キャロル、ERISは私の船体制御に侵入し支配しようとしています。あと三十分後に私は完全にERISに奪われ――』


 わたしは目を閉じ、迫りくる危機に備えた。

 十時十分。キャロルの指示が、手術台に横たわったわたしの耳に届いた。『アキラ、生存のためにはこれしかない。急いで! あなたの義体に……』わたしの意識は麻酔により薄れていく。


 意識が遠のく中、ファームの緑が一瞬だけ脳裏をよぎり、わたしはメディカルロボの音に身を委ねた。


 わたしは義体化の同意をする間もなく、メディカルロボによる手術が始まった。


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