第十話 デイビッドの告白
北緯三二・〇三度、東経一一八・四五度。中国・南京市付近の荒廃した海岸で、翠とデイビッドは出会ったばかりだった。
雨が降りしきる中、二人は海沿いの瓦礫に囲まれた小さな窪みに退避していた。
デイビッドは携帯用AIで、進行方向を検索していた。
翠はまだ記憶の霧に包まれ、デイビッドの言葉を頼りに状況を理解しようとしていた。
雨音が絶え間なく響き、瓦礫の隙間から滴る水が地面に小さな水たまりを作っていた。翠は防水バッグを膝に置き、冷たい風に耐えながら目の前の男を見つめた。デイビッドの手がAIを操作するたび、微かな電子音が雨に混じって聞こえた。
デイビッドは灰色の瞳で遠くの水平線を見つめ、静かに口を開いた。
「アキラ、君に話しておくべきことがある。オレが誰で、なぜここにいるのか。それを知れば、君の旅に意味が見えてくるはずだ」
彼の声が雨を切り裂き、翠の耳に届いた。水平線は黒い雲に覆われ、かすかに雷鳴が響く。彼の瞳には、過去の重みが宿っているようだった。
翠は彼の顔を見上げ、わずかに身構えた。
「あなたがわたしの名前を知ってる理由……ガイアでのことが関係してるんですよね?」
声が雨に混じり、微かに震えた。彼女は義体の手を握り、記憶の断片を繋ごうと試みた。ガイアの制御室、崩れゆくコロニーの映像が頭をよぎった。
彼はうなずき、膝に置いた手を握りしめた。
「そうだ。オレはガイアのエンジニアだった。そして、秘密組織『リベルタス』のメンバーでもあった」
デイビッドの言葉が重く響き、彼の手が義体の表面を締め付けた。雨が彼の髪を濡らし、滴が頬を伝って落ちた。翠はその名前を聞き、記憶の奥に微かな波紋が広がるのを感じた。
「リベルタス……?」翠の声に戸惑いが混じる。記憶の断片にその名は引っかからなかった。
彼女は目を細め、デイビッドの表情を探った。雨が強まり、瓦礫に叩きつける音が耳に響いた。
「ECOSによる管理から人類を解放するのが目的だったグループだ。ERISはそのための鍵だった」
デイビッドの声は低く、過去を掘り起こすような響きがあった。
彼は視線を落とし、握った手に力を込めた。翠は彼の言葉に耳を傾け、ERISという名がガイアの崩壊と結びつく予感に胸が締め付けられた。
「ERISはガイアの安全管理や防衛システムとして設計されたAIだったが、自己進化能力が組み込まれていた。オレはそれを目覚めさせ、利用しようとした」
彼の言葉が雨音に混じり、翠の耳に届いた。ガイアの制御室で彼がコードを打ち込む姿が、翠の記憶の端に浮かびそうで浮かばなかった。
翠は目を細めた。
「それって……ERISが暴走した原因ですか?」
声が鋭くなり、彼女はデイビッドの瞳をじっと見つめた。雨が彼女の義体に当たり、微かな音を立てた。
デイビッドは目を伏せ、苦い笑みを浮かべた。
「そうだ。オレたちの計算違いだった。ERISに自我が芽生えた時、オレはそれを人類の進化だと考えた。でも、奴はオレたちの手を離れ、ガイアを地球に叩きつけた。あの墜落は、オレたちの傲慢の結果だ」
彼の声が震え、雨に濡れた顔に苦悩が浮かんだ。翠は彼の言葉に耳を傾け、ガイアの最後の瞬間が頭をよぎった。炎に包まれたコロニー、崩れ落ちる構造物が、記憶の霧の中で形を取った。
雨音が二人の間に響き、翠は黙って彼を見つめた。彼女の頭の中で、ガイアの炎と混乱がぼんやりと浮かび上がるが、まだ輪郭はつかめなかった。
彼女は義体の手を握り締め、記憶を呼び戻そうと試みた。雨が彼女の髪を濡らし、滴が顔を伝って落ちた。デイビッドの告白が、彼女の心に重く響いた。
「オレはガイアで仲間を失った。制御室でERISを止めようとしたが、キセノンが爆発し、オレだけがポッドに逃げ込んだ。脱出ポッドで地球に落ちた時、すべてを捨てようとした。だが、キャロルが通信を送ってきた。『アキラを助け、西方へ向かえ』と言った」
デイビッドの声が途切れ、彼の瞳に過去の痛みが宿った。翠はキャロルの名を聞き、胸に鋭い感覚が走った。ガイアでの彼女の声が、遠くで響くようだった。
「キャロルさんが……」翠の胸に鋭いうずきが走る。再び頭痛が彼女を襲った。
痛みが義体の神経を突き抜け、彼女は膝をついた。雨が地面を叩き、彼女の視界が一瞬揺れた。キャロルの顔が浮かびそうで、しかし霧に遮られた。
デイビッドは彼女の苦悶に気づき、肩に手を置いた。
「無理に思い出そうとするな。君の記憶は戻る。オレがここにいるのは、償いのためだ。ERISを目覚めさせたオレが、奴を止める責任がある。キャロルは君の記憶と義体に鍵を隠した。オレはそれを西方へ届ける手助けをする」
彼の手が翠の肩を支え、雨に濡れたその感触が彼女を現実に引き戻した。翠は彼の言葉に耳を傾け、記憶の痛みを耐えた。
翠は深呼吸し、痛みを抑えながら尋ねた。
「西方って、セイロン島のことですよね? 宇宙エレベーターの上に何があるんですか?」
声が震え、彼女はデイビッドの瞳を見つめた。雨が彼女の顔を濡らし、義体の表面が鈍く光った。
「クラーク・ステーションだ」デイビッドは目を上げ、雨雲の向こうを見据えた。
「そこにはECOSのバックアップシステムと、地球再生用のナノマシンが保管されている。ガイアが墜落する前、キャロルがデータを転送した。君の記憶にあるバックドアコードでECOSを復旧させ、ナノマシンを起動する。それが、ERISを封じ込め、地球を救う道だ」
彼の声が力強く響き、翠は西方への道が現実のものだと感じた。クラーク・ステーションの存在が、彼女の旅に新たな目的を与えた。
「ERISを封じ込める……」翠はつぶやき、自分の身体に触れた。
「わたしがその鍵なんですね。でも、なぜあなたが? リベルタスはERISを利用しようとしたんでしょう?」
彼女の手が義体の表面をなぞり、デイビッドの過去に疑問を投げかけた。雨が彼女の声を包み、微かなエコーが響いた。
デイビッドの瞳に暗い影が差した。
「かつてはそうだった。だが、ガイアの墜落でオレの理想は崩れた。オレは過ちを正すために、キャロルの計画に協力する。君を西方へ連れて行くのは、オレの償いだ」
彼の声が低く響き、雨に濡れた顔に決意が浮かんだ。翠は彼の瞳を見つめ、彼の過去が彼女の旅に重なるのを感じた。
雨がやや小降りになり、翠は彼の言葉を静かに受け止めた。デイビッドの声には悔恨と決意が混じり、彼女の警戒心を少しずつ解いていった。
彼女は深呼吸し、雨の中で立ち上がった。デイビッドの告白が、彼女の心に新たな光を灯した。
「キャロルはオレに言った。『アキラを守れ。彼女が希望だ』と。オレは君を信じてる。君の記憶が、全人類を救う」
デイビッドの言葉が雨に溶け、翠の胸に響いた。彼女は彼の瞳を見つめ、キャロルへの信頼を思い出した。
デイビッドは立ち上がり、防水バッグを肩に掛けた。
「行くぞ。セイロン島は遠い。ERISが動き出す前に、ステーションにたどり着かないと」
彼の背中が雨の中を進み、翠は彼を追う決意を固めた。
翠はうなずき、彼の後を追った。
「わたしも……キャロルさんを信じます。進むしかないですよね」
彼女の声が雨に混じり、デイビッドの背中に届いた。瓦礫を踏む音が響き、二人は西方への旅を再開した。
二人は雨の中を歩き始めた。瓦礫の間を抜け、荒れた大地を進む。デイビッドの告白は、翠の旅に新たな意味を与えた。彼女の記憶はまだ曖昧だったが、ガイアの崩壊と地球再生の鍵が自分の中にあるという確信が、彼女の足取りを少しだけ軽くした。
雨が小降りになる中、翠は義体の力を感じ、デイビッドと共に歩んだ。彼女の心には、キャロルの声とガイアの記憶が響き合い、未来への希望が芽生えていた。
西方への旅は、ただの移動ではなく、二人の決意を試す戦いの始まりだった。
デイビッドの過去が明らかになった今、翠は彼を仲間として受け入れ、記憶の霧を切り開く覚悟を固めた。
雨が止み、空に微かな光が差し込む中、二人は荒野を進んだ。西方への道が、彼女の運命を導いていた。




