その四
夜中、侘助が目を覚ますと隣には喜市が一つ布団の上に寄り添って寝ていた。
外では凍える風の吹きぬける音と、凍てついた地面をからからと転げる枝葉の音がする。
喜市は自分の掻い巻きの中に引き込むようにしているものだから、もがくようにして漸く首を出すと、そのままきょろきょろと目だけで辺りを見回したのだが、清次郎の姿はどこにも見当たらなかった。
清次郎に何を求めるわけでもなかったが、見透かすように見る喜市はどうにも油断がならぬ気がしてならないのだ。
「清次郎殿なら自分のところに戻ったよ」
目を瞑ったままの喜市が答える。微かな衣擦れの音と、布団の中に忍び込む冷気で目を覚ましたようで、侘助の方に向き直るとずれた掻い巻きをかけなおしてやった。
部屋の中は息の白さがしばらく退かぬほどに冷え込んでいたが、薄っぺら委布団の肌触りと、喜市の体の暖かさが心地よく、侘助はとても逃げる気にはならなかった。
吸った息の寒さに二人とも少し目が冴えたようで、お互いの動きを知らず探るような妙な時間が流れた。肌の産毛が、ぴりぴりとするような感覚が走る。
喜市が話を切り出したのは、そのせいだったかもしれない。
「侘助よ。天狗ってのはいるのかい。」
侘助は上を向いて二、三度瞬きをすると、そろりと喜市を見た。
「俺の里のやつはね、天狗に会ったんだそうだ。皆信じなかったが、俺は羨ましくてねえ。そいつが会ったって言う場所まで、一人で何度も行ったんだが、終ぞ会うことは出来なかった。心がけの問題かねえ。」
侘助はじいっと、まるで独り言のようにひとつひとつ話す喜市を見ていて、喜市はそんな侘助に気づき、「なんてな」と言って照れたように少し笑った。
しかし侘助の方は別段笑いもせず、天井に顔を向けなおすと目を閉じ、またつい先ほどと同じ様にしんとした空気が部屋の中に根を下ろした。
「心の問題ではない」
空気をぱっきりと割って、突然侘助が口を開く。うとうととしていた喜一は驚いて目を見開いて侘助を見た。
「俺たちはいつだって狸同士で話している。人間が近くにいようとそんなものはかまわない。聞こえやしないんだから。」
そう言う侘助はやはり到底子供のそれではないまなざしである。
「お前たちの鳴き声の事か」
「お前は、この音を何だと思う。」
侘助は喜市の疑問に耳も傾けず、逆に問いかけた。
言われて耳を澄ますと、外を空風のぴゅうぴゅうと吹き抜ける音が聞こえる。
いかし神妙な顔でしばらくそれを聞いていても、それ以外は何の音も聞こえなかった。
「風の音しか聞こえないがね」
答える喜市を見ていた侘助は目を閉じると戸口の方に顔を向ける。
「これは風の音ではない。風の神が騒ぎながら走り抜ける声だ。」
そんなばかな、といわんばかりに喜市の眉間に皺が寄ったが、それをちらりと見てもなお侘助は平然と話を続けた。
「花が匂いを持つのは花の精が他の花に懸想をするからだ。春風に花の匂いが混じるのは、花の恋文を届けているからだ。
水が凍るのは、寒さで水の精達が固く抱き合うからだし、土の布団を被った少し利口なそれが、お前たちの言う霜柱だ。お前たちが見えなくても、色々な者が常に息づいている。
お前たちは八百万の神と、勝手に名をつけたようだがな。
人とそれらが供に暮らす必要があったときは見えていたし、知っていたはずなんだよ。」
言い終わるとまた天井を向き、侘助は目を閉じた。
「ただ、お前たちに見聞きする必要がないだけだ。いつだって俺たちは変わらない。現に俺はお前の言うように、狸に違いない」
そう言うともぞもぞと布団に深くもぐりこみ、寝る算段を整えた。
侘助の言う話は良くわかる。しかし、自分は少なくとも天狗を信じていたし、見たいとも思った。幼馴染の疑いを晴らすにはその必要があるとも思っていた。
だからそんな自分に何故天狗が見えなかったのか、腑に落ちなかった。
しかしもうすやすやと寝息を立てている侘助に、もうそれ以上聞くのははばかられた。
仕方なく自らも掻い巻きの中にうずくまり耳を澄ますと、まだ外を風がぴゅうぴゅうと駆け抜けていたが、不思議と喜市は隙間風の冷たさが気にならなかった。
それより、往来や小道を賑やかに行く風を少し愛しくも思えていた。