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自己心中  作者: Rio
7/12

7話


 レポート資料が散らかった部屋でアラームが鳴り響く。いつもなら数秒で起きられるほど、目覚めはいいのだがこの最近は鉛のようにアラームを止める腕が重たい。


 期末の考査週間が始まってから、ここ最近はテストテストテストのデスマーチであった。それに開放されたと思えば今度はレポート作成。

 こういう過密スケジュールを学生のうちから身に叩き込んでおくことで、社会に出た時の輝かしい理想とドス黒い現実の乖離に対して耐性が得られる、とでも言うのだろうか。

 

 電車を伝っていつも通り機械的に学校に向かう。座席から車窓の旅を満喫していると、隣の席のスーツを着ている女性が立ち上がった。


「あらぁー…ありがとねぇ」

「いえいえとんでもないです、すみません。」


 年老いた女性に席を譲った女性は詫びごとを話すと、何故かぺこぺこと頭を下げた。

 



 



 学校に着き校内を歩いていると後ろから肩を叩かれた。


「よっ」


 振り返ると柿島がいた。そして数歩離れた背後には与束がいた。


「おぉ、おはよう柿島。それに与束も」

「おう…おはよう」


 与束は軽く頭を下げると俺の顔をバツが悪そうに見た。


「あー…威崎。その…すまん、この間のこと」


 そう言うと軽く会釈をした。


「この間?…あぁ、あれ」

「まぁなんだ…何度も代返頼んで悪かった」

「お前まーたサボったのかよ。あれ再来週発表だぜ?あの講義プレゼンの配点5割だろうけど、板書してねぇと訳わかんねぇぞ?」

「いや、それは威崎から送られてきたやつ逐一ノートに写してるから無問題」

「…いやそういうことじゃねぇだろ」


 柿島が呆れた様に咎める。


「てなわけで、そのー…なんだ、プレゼンのスライド俺が作るから、それでチャラってことにしてくれね?作成者の名目は威崎と上屋の二人で分配って感じでいいからさ」

「スライドって…ありがたいけど、与束ほぼ授業出てないのに内容把握してんのか?俺の板書だけじゃ正直不十分だぞ」

「そこは講師に譲歩してなんとか教えてもらうから大丈夫だ。…んーだから、なんていうか…ほらっ…な」


 なるほど、与束が何を求めているか理解した。

 俺にとっては与束は別に何かをしてくれる存在でも無いので縁を切っても何らデメリットは無い。だが、向こうは代返や資料の共有をする仲間がいなくなることは死活問題というわけだ。

 更に今回、与束は交渉条件として資料作成の追加点を提示してきた。名目上俺が作ったことになれば、どれだけ酷い出来だろうと追加点は手に入る上にスライド作成に期末対策の時間を削がれる心配はない。

 代返をこれからも頼まれるだろうが、こうした見返りがあるならまぁ、無問題だろう。


 「分かった分かった…じゃこれからもよろしくな」

「ほんとか?ありがとー与束!んじゃ、これからも頼むぞ」


 そう言い残して与束は走っていった。


「珍しいな。アイツがあんな率先するなんて」

「まぁ損得勘定で生きてるだろうからな。あれでもアイツなりに譲歩した結果だろうな」

「譲歩にしちゃ結構重い気がするんだが…あ、そういえば威崎、グループラインで上屋から来てたけど昼飯今日どうする?俺たちは食堂で食べるけど」

「いや、やめとくわ」

「そかー。最近忙しい感じ?」

「まぁ、そんな感じかな。期末も近いし」

「あー…それはあるな。俺もテスト対策やらないとだなぁ。まぁあんま気張らない程度に頑張れよ」


「んじゃ」と、別棟へ歩いていく柿島に背を向けて一限の講義室へと俺も急いだ。


 向かう途中で、ふと思い返してグループラインを開くと、更新は先週の頭以降で止まっており誰からのメッセージも届いていなかった。

 ついでに毎日のようにメッセージが来ていた佐々山からは、あの揉めた日以来1通も来なくなった。


 そうこうしているうちに、プレゼン発表は2週間と3日前に迫っていた。

 そして1本の電話がかかって来た。

 





 与束が打診した理化学講義の期末考査は2,3人で班を組み、役割を分担してプレゼンを発表するという形式のものだ。

 俺はPC関連で秀でた才能のある上屋はまだしも、普段の講義すら出ずに代返やレジュメ記入の代行で乗りきろうとする与束と組むのはあまり気乗りしなかった。

 だが柿島は既に他から誘われており、向こうから声を掛けてきた手前、あの時の自身の余計な気遣いで断ることができなかった。


 まぁその後は与束が引き受ける、という定で収束して塞翁が馬と解釈していたわけだが、今であれば間違いなく"切っていた"だろう。

 今更そんな事を嘆いても結果論にしかならないか。


 



「どこから間違えたんだろうか」


 真っ新のパワポのデータを前に心の中で、ありきたりな自問自答をしてみる。


「普段から心の奥底で見下げている人間の誘いに、甘い蜜が吸えると思ってほいほい乗っかること自体おかしいんだよ」


 まぁ、そりゃそうだ。向こう側も楽をする為に代返をする人間なんだから。でも俺はただ、今までの怠惰を清算させようとしただけなんだけどな。じゃなきゃ不公平だろ。


「そもそも、講義に碌に出ていない人間の成果なんて期待できないから、『最後に話したのがふた月くらい前の顔見知りと組む』なんて選択すらも天秤にかけたのに。ホントに何であんな奴の提案を鵜呑みにしたのか理解できない」


 違うな。俺が掛けてたのは同族嫌悪か時間の二択なんだよ。で、『与束が資料を作ってくれる」っていう択に賭けたんだ。

 あぁ、掛け違いだな。笑えるな。いや笑えねぇよ。


「テスト対策は確かに気が滅入ってはいたが、それでプレゼンが丸々パーになるくらいならその分の時間と労力を少しでも分配してた。片方が0になったら何の意味もありゃしない」


 今学期はレポートじゃなくてテスト形式の講義が多かったんだよ。それにそういうのはほぼ必修科目だし。


「ならテスト対策が万全じゃなかったのは何でだ?普段から講義は真面目に受けてるだろ」


 そこは単純に地頭だろ。それを時間っていうか…物量でやりくりできれば良かったんだけどな。流石に俺だって講義内容の全てを把握し切れるわけじゃない。


「なら他人に頼ればいいだろ。ここが分からないから教えてくれって」


 他人に?あぁ、頼った。


『粒子工学レポート3回目の答え送ってくれない?」

『教養数学のここどういう意味?』

『軋礫実験のグラフ散布図の計算式どういうこと?』


 既読は付いてるんだけどな。今はただ待つしかない。

 


 なんていうかな…ほら、前に電車の中で見ただろ?善行をしてる人間が何故か媚びへつらってぺこぺこして。ああいう無駄な気遣いが俺は無理だからさ、ここ最近はなるべく変な気遣いで距離を保つのを止めたんだよ。


 薄く広いだけの交友関係がダメだったのか。

 いや、そもそも気遣いとか親切とかっていうか…


 なんなんだ?


「あー、資料作成。面倒だから頼むわ」


 与束の電話越しでの第一声はそれだった。腑抜けたその声は、テスト期間中で焦慮している今の自分にあまりにも劇薬だった。


「…は?」

「いやだからぁ、例のプレゼンの。とりあえずパワポのデータだけ送るから」


 殆ど譫言の様に話す与束の通話の背後から、賑やかな環境音が時たまつんざく様に耳に入ってくる。笑い声や軽快な音楽が含まれている辺り、どこかしらのレジャー施設にでもいるんだろうか。


「え?どういうこと?終わったってことか?」

「いや?終わってねーしやらねぇよあんなの。めんどくせぇし」

「…は?」


 瞼が痙攣し始める。

 与束の言っていることの理解ができない。


「いや、やるっつったのお前だろ。やれよ」

「やらねぇよ。別に俺がやらなくても、お前名義の資料作成なんだから知ったことかよ」

「いや…は?当日になって困るのはお前だろ」

「別に?お前名義なんだからこっちはお前に擦りつければいいだけだし、文自体は上屋が作ってくれたから。スライドはそれに合わせて作るだけでもいいから楽でよかったな」


 嘲笑うように与束は話す。背後からは数人の笑い声が聞こえてくる。


「急になんで…約束と違うだろ」

「自覚無いみたいだから教えてやるけどさ、お前学科内でくっそ嫌われてるからな?」

「…は?」

「ま、そりゃそうかぁ。だってめっちゃ付き合い悪いじゃんお前。食堂の席とらねぇし、代返も断るし、話してる時は全く空気読めねぇし。んでお前何?自分は資料作成のうのうと他人に任せて、テスト勉強とか言いながら他のやつに答えの催促しまくってるらしいじゃん」

「催促って…いや、ただ1箇所2箇所教えてって頼んでるだけだろ」

「ほーん。じゃただ単にお前のことが嫌いな奴が多いだけじゃね、まぁ知らんけど。じゃこれで俺はお暇するわ。精々プレゼン頑張れよ。あぁそれとラインとか送っても既読無視するから。もう連絡してくんなよ」


 言い返す間もなく通話はそのまま切れた。


 暫く呆然としたまま画面を眺めていると、メールの方でファイルが送られてきた。形式はパワーポイントだが、中身のスライドデータは白紙のものが1枚あるのみ。あまりにも粗雑だった。

 いつまでも呆けていても自体は進展しないので、上屋と連絡を取ることにした。まずは状況の全体像を把握することが最優先だ。


『ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音のあとに…』


 何度かコールをするが上屋は出ない。受話器のアイコンを荒々しく連打する。


「出ろよっ…」


 恐らく1番可能性のある最高に最悪な現実の受容を反射的に拒むように、無意識に願望が口から溢れる。


『……ざき』


 どれほど掛け直したか不明だが、スマホからノイズが若干かかった声が漸く聞こえてきた。


「もしもし上屋?」

『あー…威崎』


 声の主である上屋は億劫なトーンで応える。


「さっきさ、与束からプレゼン資料の作成丸投げされたんだけど。お前なんか聞いた?」

『プレゼン?……あぁあれか』

「なんか知ってんのか!?」

『いやまぁ…一応だけど…あー、いや…』

「何?なんて?」

『まぁなんていうか…』

「おい、はっきり言えよ。誤魔化すなって』


 歯切れの悪い返事を繰り返す上屋にスマホを握る力が強くなる。


『その、さ…難しいのは分かるんだけど……プレゼン資料、頼んだ』

「いや、お前まで何言ってんだよ。あれは与束が…」

『その…俺もわかんないだって…だから頼む』

「はぁ…?なんでお前ら2人から急に押し付けられなきゃならねぇんだよ。そもそもお前も与束から話を…」

『うるせぇんだよぉ!』


 突如、上屋は裏返った声で怒鳴った。


『俺もよく分からねぇんだってぇ!も、もうかけてくんな!』


 そして直後、イヤホンを引き抜いた時の様に電子的な切断音が聞こえ、そのまま通話は途切れた。


「なんなんだよ…ほんと…」


 呆然と、ただ画面を見つめることしか俺にはできなかった。





 今にして思えばあまりにもお粗末だった。

 代返を頼んでまで普段の講義を怠る様な人間に、どうして俺は期待をしてしまったんだろう。

 元を辿れば、何故与束の様な人間を頼るという決断に追い込まれたのか。

 

 全てが分からない。


 気が付けばその道しか残されていなかったのだから、行き止まりに直面してしまえばもはや手の施しようがない。そして退路すらもない。

 五里霧中、八方塞がり、四面楚歌。


 四面楚歌?

 敵なんて俺は作った覚えは一切ないんだが?


 そういえば佐々山とは下らない口喧嘩で別れて以降、一切出会っていないな。もう3週間…いやひと月は経つだろうか?

 あれ以来まる被りしていたシフトが殆ど合わなくてなった。十中八九向こうが避けているのだろうが、自分から無駄な心労を貯蓄しているのはご苦労としか言い様がないほどに愚かだ。

 見えもしない他人の顔色を気にして、自分を押し殺す。そんな偏屈な生き方を俺はもう辞めたのだ。佐々山とは違う。


 俺はこれでいい。


 如何なる人間にも分け隔て理なく、日常における他者との間にある蟠りの様な"隙間"を埋めるために。

 そして自分を殺さないために、この生き方が一番心地良い。


 脳味噌にぎっちり詰まった俗念を振り払う様に、先程入れたコーヒーを喉に流し込む。

 

「にっが」


 そりゃそうだ、ブラックなのだから。






「おはようございます」


 長い間働いていた店であろうと、1週間程度間隔が空いただけで長らく足を運んでいない様な懐古感を覚えた。

 共にこのままシフトに穴を開け続ければ解雇されるのではないかという危機感も。


「あぁ、なんだ威崎君か」


厨房からひょこっと顔出したのは川内だった。


「…どうも」

「すんごい残念そうに言うんだねぇ」

「そりゃ残念ですよ。アンタみたいに嫌味ったらしい人間と今日の4時間を一緒に過ごさなきゃいけないのがたった今分判明したので」

「一本調子で話す台詞全てが罵倒なんて凄いね。取り敢えず着替えてきなよ」

「そのつもりでした」

 

 客を捌いている間に、川内は憎たらしく他者への関心が著しく欠けている人間、ということ以外に分かったことがある。

 恐らくは厨房内で一番仕事が早い。それに恐ろしく丁寧だった。

 オーダーを取ってから料理を受け取るまでのスピードは言わずもがな、子連れ客の同時注文でもそのペースは変わらない。それにホール側が手間取っている間、本来はこちらがやる最後の盛り付けやトッピング作業などもこなしている。

 普段は敢えて顔を合わせない様に避けていたので、この仕事振りを目にすることは無かったのだが、いざ注視してみると薪浦など比較にならないほどに手慣れていた。

 これで元ホールな辺り、この職種が奴の天職なのではないだろうか?


 4時間の労働を終えて事務室に向かう。時間経過の速度がいつもよりも穏やかだったので、疲労感は5割り増しであった。故にその足取りは重たく、憂鬱さの沼に幾度となく飲まれかけた。


「おーおふかれ、もうああり?」


 既に賄い飯にありついている川内が、口一杯に白米を含みながら訊ねてきた。


「飲み込んでから話してください。不快な上に汚いです」

「…今日4時間であがり?」

「そうです。一応テスト週間なんで」

「ほえー大変だね。ま、精々頑張って」

「他人事の様に言ってますけど、川内さんは考査期間とかないんです?」

「は?考査?」


 生姜焼きを持ち上げながら素っ頓狂な表情をこちらに向けた。


「え、現実逃避ですか?」

「いやぁ?そもそも考査なんて堅苦しい言葉は置いておいて、テストなんて高3の春の模試でやったきりだからさ。懐かしさに打ち震えてるんだよ」

「の割に微動だにしてませんね」

「まぁそんなクソどうでも茶番は置いておいて…実際のところ俺の大学はほぼ全部レポートだよ。なんなら初回講義で提出フォームがアップされて、それっきりで終わる講義だってある」

「あぁ…レポートですか。だとしてもそれなりに繁忙期では?」

「そうだね。今は大学の空気もひりついて居心地も悪いったらありゃしない」


 川内は背もたれに腕を回しながら言った。だが、その様子から危機感など微塵も感じられない。


「…で?」

「"で"とは?」

「いやどうせ続きがあるんでしょう?茶番はいいんで」

「はぁーあー、ノリ悪いなぁ威崎くんは…もうご存知だろうけど俺は優秀だからね、春先に前倒しで終わらして残るのは…なんだったかな、公共福祉のプレゼン?ま、そんな感じでどうでもいいやつ」

「プレゼン…」


 危機感をそのまま返された。向こうは意図していないのだろうが、それが余計に腹が立つ。


「あぁーそういえば思ったんだけど、最近佐々山ちゃんと威崎君シフト被らないよね」

「偶然でしょ…そんなこと今はどうでもいいです。今はテスト対策が優先なんで」

「俺は佐々山ちゃんと被るんだけど、なんていうかぼんやりしてるんだよね。目が虚っていうか、覇気がない」

「はぁ、さいですか」


 なるべくこの話を早めに切り上げるべく、敢えて希薄な返事をした。理由の無いが端的に佐々山の話が鬱陶しかった。


「興味なさそうだねホント」

「なさそう、じゃなくてないんです」

「あーそうそう、その目その目。まんま今の威崎君と同じ目なんだよねぇ。いやぁそっくり」

「…」


 ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべる川内。

 だが今はこんなのに構っている余裕も余力もない。


「俺帰るんで。お疲れした川内さん」

「んー…差し詰め、"講義資料持ち込み可能のテストで代返頼んでた友人にばっくれられた"…とか?」


そんな背を向けた俺を現実逃避から逃すまいと川内は話を続けた。


「それとも…"共同制作系の実技講義で仲間が準備をしていなかったからてんてこ舞い"?或いは"それら全部の制作を脅されて背負う羽目になった"…とか?」

「…急になんなんです?」

「別にぃ?あり得る可能性をただ並べてるだけ」

「いやそうじゃなくて。なんで他人の眼を見てテストは兎も角、裏切られたみたいな話をするんです?」

「んー?俺はひと言も"裏切られた"なんて言ってないけど?」

「…」


 のらりくらりと会話の本筋をズラす川内に、徐々にフラストレーションが溜まっていく。


「いるんだよねぇ俺の学校にも。テスト期間になるとさ、後輩から血眼で『○○○の講義資料持ってませんか!?』って。うち研究室多いからさ、生徒の講義よりも研究優先ってスタンスの担当教授がシラバス使い回す講義が多いんだよね」

「…それで?」

「いや、そういう縋りついてくる奴ってさ、集団から外れた個性の無い根暗かと思いきや、案外チャラ目で小蝿みたいな友達引き連れてる様な根暗と対等な奴だったりするんだよ」

「で?何が言いた─」

「追い込まれてるでしょ、それも相当」


 川内は上目遣いで此方を見つめた。自分の内側を見抜く、いや、射抜く様な鋭利な目線を向けて。


「根暗で悪うございましたね。それと下らない憶測どうもありがとうございますね」

「別に誤魔化さなくていいって、減るもんじゃないんだし。とは言ってももう少し隠すことぐらいはした方がいいと思うけどね」


 川内は一度深くもたれかかるとバネの様に跳ね起きると、俺の側へ歩み寄ってきた。


「まぁまずはそれ」

「スマホが…なんです?」

「部屋に来たとき着替える前にまずはスマホが優先。それも早く帰ると言っておきながらね。仕事の時もハンディかと思いきや、左右両方のポケットに四角い輪郭が浮き出てたから、ほんと過剰に気にしてるみたいだね。あと途中のトイレ休憩も1時間に1回は糖尿病疑うよ?」


 ニタニタと含み笑いをして相変わらず気持ちの悪い説明をする川内。だがその笑みには妙に威圧感があった。


「それとその鞄の中身、ホントに全部足りてる?」

「足りてるって…」


 川内は確信があってこういう質問をぶつけているのだろう。つまり鞄には何かが足りていない。

 焦り気味にロッカーに向かい中を確かめる。  

 が、何もない。


「ぶっ…ふふ…」


 不意に背後から押し殺した様な笑い声が聞こえてきた。

 恐る恐る振り向くと、川内は俺に何かを差し出しながら笑っていた。


「あっ!」


 四角く折り畳まれた小さな紙、プレゼンの現時点の資料案だった。

 不安だったので、スマホから自宅にあるpcのパワポにログインして少しでも進められれば…という魂胆だったが、何故それを川内が持っているのか。


「中身は見てないから安心を」

「なんでこれを─」

「落ちてたから拾った。というか後ろから落とすところを見てた」

「なんで渡して─」

「頼まれなかったから。それにただの紙ゴミかなって」


 会話のキャッチボールが早い。チャップマンか。


「寝不足だとこういう細かな不注意にも気付けなくなるのかな?」

「ふざけないでください。どこまで…」

「で、実際のところはどう?さっき言ったやつのうちどれが正解?」


ここまで踏み込まれてはもう隠したとて意味は無いのは明白だ。早いところ切り上げたい。


「…大体合ってますよ。プレゼン資料押し付けられたんです」

「よっしゃぁぁ!正解!」


 渾身のガッツポーズをする川内を横目に壮大なため息を吐く。


「で原因は?」

「原因…?」

「友人に裏切られたことに対しての原因。何か身に覚えは?」

「身に……」


 そう言われてこのひと月を振り返る。

 友人との付き合いは、今まで"友人としての定め"と割り切ったり、これからの関係を良好なものにするための"先行投資"などの考えていた。

 自分の意思など二の次三の次、集団内で多数派の意見を助長した。そうすることで自分の存在が確立され、友人として頼り頼られることができる、と。

 俺はこういう目に見えない恩義や気遣いに嫌気が刺し、自身の生き方を一新した。

 恐らくはここ1ヶ月、友人達からしてみれば付き合いが悪い様に見えたかもしれない。それでも完全に縁切りではない上、勉強を教えてくれと向こうから頭を下げて頼まれれば俺は真っ直ぐに承諾した。

 しかもその頼んできた奴は与束だ。尚更トラブルには成りかねない筈だ。


 だとすればアイツが電話で言ってきた「学科の奴らから嫌われている」という文言は、俺をパニックに陥れる為のただ偏向か?そんな馬鹿馬鹿しい事をしたとて今回の一件を逆に俺が広めれば、自身が仕向けた矛先が還元される事など目に見えて分かる筈だが。


…いや、代返を散々頼んだ上に恩を仇で返した奴がここまで考えることはないか。


「…ない」


 多少の疑心はあったが、現状はまだ与束の我儘ということで事は収束できる範囲だ。それにアイツは最早友人ではない。


「んー…なんて?」


 耳に手を当てて、間抜けヅラをする川内。

 心底腹立たしい奴だ。


「いや、だから…な─」

「あるだろ」


再度伝えようとしたとき、ドスの聞いた声が遮った。

 川内はそっぽを向いた状態で横目で俺に視線を送る。冷ややかな目だった。


「明らかにお前、可愛げが無くなったよな」

「可愛げって……は?」

「そういうのだよ、そういうクソみてぇな感嘆詞のことだよ俺が言いたのは」


 川内は俺にゆっくりと視線を合わせる。その全てを見逃さんとする眼光を光らせる瞳の中に、まるで自分が吸い込まれていく様な感覚に陥る。

 猫が急に現れた車のライトを前に微動だにしなくなる様に、緩急のついた畏怖に遭遇すると

視線すら外せなくなるのか。


「前に社交辞令の気遣いが云々の話、したよな」


 先程のおちゃらけた様な声色とは一変し、川内は憤怒を押し殺す様に話す。


「……ええ」

「あの日の2日後くらいだったかな、佐々山とシフトが被った時にアイツがシフト調整してたんだよ。お前と被ってる所全部消して、空いてるとこに深夜枠で入った。どういう事かと思ったよ。側から見たらお前ら2人はそれなりに上手くやってたからな」


 川内は丸椅子にどかりと座って足を組んだ。


「まぁでも、深追いはしなかったさ。だって"どうでもいいからな"俺は。他人の事なんてどうでもいいし、興味もありゃしない。だが俺の方にも皺寄せが来たら、それはそれでまた話が変わってくんだよ」

「皺寄せって…別に何か変わったことありました?無いじゃないですか。元々平日の夕方から夜なんて客足は少ないですし、なんなら佐々山が抜けた枠には、俺や他のホールの人が入って穴埋めしてますよね?それで店回せてるじゃないですか」

「店を"回せてる"じゃなくて、俺が店を''回してんだよ"。お前と佐々山じゃこっちの負担の量に天と地の差があるわ。盛り付けはおせぇし、オーダー厨房に送る前に次の客のところそのまま行くし」


『いつもよりも穏やかだった』


 それは自身の業務量が少なかったから。誰かがその減った分の業務を請け負っているからだ。

 川内は黙り込む俺を一瞥するとゆっくりと立ち上がって、数cm前まで来た。コレが乙女ゲームのシチュエーションであればトキメキするのだろうが、背後は行き止まり。死地に立たされている。


「お前が何の拍子に心機一転したか知らんが、自分の為にしか行動しない奴なんて側から見たらただの屑なんだよ。そして屑っていうのは大概孤立する。だけど俺には才能があった。勉学にしろ器用さにしろ体力にしろ、そういう何かしら自分を守れる術があった。だけど大した能力もなくて、ただ他人をイラつかせるだけの奴がもっと屑になって何の意味があるんだよ」


 そこまで言うと、川内は握り拳を作り俺の後ろの壁を叩いた。

 劈く様な轟音が耳に響き渡る。


「ただの不遜なら、一生他人に媚び諂いながら煙たがられてろや」


 そして囁く様に、川内は俺に忠告をした。


「はいっ、話はおわり。んじゃ俺そろそろ戻るから。またねー威崎君」


 川内はパンっと重い空気を一喝する様に手を叩き、いつものふわふわとした軽い口調に切り替わると、エプロンと帽子を手に事務室を出て行った。

 

 残された俺は5分ほど何もせず、事務室で時間をドブに垂れ流した後、帰り支度をした。

 

 部屋を出る時、川内が叩いた部分を見ると少し凹んでいた。




 


 次の日、俺は学校に行った。講義は三限の昼からだったが、時間が惜しかった。


 目的はプレゼンの協力者を探す為。

 そして確かめるため




「ごめん、テスト対策あるからちょい無理」


「あー悪い、他の人に頼んで」


「プレゼン?何それ。…ほーん、ま頑張って」


「あーすまん…ちょっと必修の奴が真面目にやばくてさぁ…ごめんな」


「いや今テストなんやてー。無理無理」


「へー…いつまで?いや時間キツくね?んー…いやちょっとなぁ」


「ごめん!レポート俺も終わってなくてさ。今週で5000字のやつ2枚やらなきゃ」


「それ必修?…あー大変だな。ごめん他のやつ当たってくれよ」


「1枚10万円で引き受けるわ!…なーんちゃって、俺もテストあるからムリー!」


「いやぁ…厳しいなぁ。文字打つだけっていってもアニメーション入れたりしなきゃいけないし…」


「30分用の?うわぁやばそー…まぁがんばれ!」


「手伝ってやりたいのは山々だけど…俺だってテストあるし…」


 なぁ。


「ん?」


 俺って嫌われてんの?


「ん…?急にどうした?」


 いや、なんていうか、気になったから。


「へー…まぁそんな事なくね?ていうか、別に知らんな」


 正直に言ってくれよ。俺お前に今まで結構奢ったりしてきただろ。


「いや別に正直だって。てか、こんな所で嘘つく意味よ」


 代返もしただろ。資料とかも見せてあげただろ。言えよ。


「はぁ…?いや、急に何?」


 余計な嘘つくなよ面倒くせぇな。


「いや付いてねぇって。なんだよさっきから?喧嘩売ってんの?」


 お前が正直に言ってくれればなんでも良いから別に。


「だから正直に言ってんじゃん。嫌われてるかどうかなんて俺が知るわけねぇだろ」


 じゃあお前は俺のことどう思うんだ?


「どう思うって……まぁなんていうか、良いやつなんじゃね?板書とかも見せてくれたりするし」


 それだけ?散々やらせて?初回のシラバスの補足以降お前全部俺の代理出席だったろ。レジュメも俺が全部渡してやって─


「あー…チッ、もうめんどくせぇよお前。そんくらい良いだろ。別に大して繋がりあるわけでもねぇんだし。何、嫌だった?」


 いや…別にそういうわけじゃねぇけどさ。


「お前いっつもなんか周りに同調してる感じでさぁ、なんか居心地悪いんだよ。じゃあもう講義資料くらい他の奴から写真送ってもらうからどうでもいいわ。じゃあな、もう俺時間無いから」




「いや…急に嫌いかって言われても知らないわ。てか俺、威崎とそんな関わりあったっけ?」


 中間考査のレポートの修正、手助けしてやったろ。


「ほえー…あっ、あーそうだったわ。ありがとなアレ」


 いや、なら今助けてくれよ。ちょっと困ってるからさ。俺だって、忙しい中時間作って助けてやったろ。


「あー…ごめん。時間無いから無理だわー。期末対策しないといけないからさー」


 

「ほーん…いやでもアレ、そもそも威崎が引き受けるからーって自発的にやったヤツだろ?俺はいいって言ったけど、なんかスゲェやりたがってたから…まぁ…断るのも野暮かなぁって思って頼んだんだけど。ごめん、時間無いからそろそろ行くわ。またなー」



 休日とか、何度も奢ったりしただろ。


「いや、毎回毎回頼んでねぇだろ。割り勘って言ったけどお前が意地張って“全額払う"つーから譲っただけで…なんか気遣いなのか知らねぇけどさ、余計なお世話なんだよな。鬱陶しいっつーか…威崎って気遣い過ぎててこっちまで気疲れするわ」


「なんか貴重品と触ってる感じなんだよな。気遣いはありがたいんだけど…なんかうざいって言うか面倒」


「いやありがたいとは思ってるよ?ただ、まぁ…そんな遊んだりしてなくない?数回くらい?」



「手伝うも何も、最近別に何もしてねーじゃん。てか毎回思うけど、お前皆んなと話してても他の人のウケた事反復してるだけだよな」



 

「一緒にいて悪い奴じゃないけど、一緒にいると疲れるし…つま…あいや、なんか暇になるんだよな威崎って。いや別にお前が悪いわけじゃないんだけど」








 要するに、俺は育て方を間違えたのだろう。



 他者に優しさという名の水や肥料をせっせと撒いていたが、それは媚び売りにいつの間にか成り代わり、友人関係を枯らして収穫ができなかった。


 ただ労力と時間だけが失われて、残されたのはただの枯れた草木。

 それらの中で特に丹精込めて育てていたものは雑草で庭を覆い始める始末。


 俺は川内の様に他者と無縁になった時、自身の身を才能で塗り固めるより、周りから孤立しない事を行動の原理にしていた。

 だが、あまりにも気遣いを手段として使い過ぎていた。他者への善行が齎す恩恵を俺は過信していた。

 過剰なまでの気遣いは徐々に形を変え、趣旨を変え、趣向を変えて、いつのまにかその行動自体がアイデンティティになり

 気遣いをすれば確実にリターンがあると思い込んでいたが、俺がしていたのはどうやら全く的外れなことだったらしい。


 ああ、そうだ。それで気遣い…というか善行を止めたんだ。無駄な隔たりを無くして、あの独特な会話でのぎこちなさが消えればと思った。

 俺だって与束みたいに後先考えずに押し切ろうとする訳じゃない。場の空気の不和を読み取るくらいの感性は持ち合わせている。

 それを生み出していたのが自分であった以上、自身に根付いていた「自分を控えめに見せて周囲の多数の意見に溶け込む」という指針を捨て去らなければならなかった。それで



 いや違う


 ただ怖かった。ただ怯えていた。


 自我を出してそれが否定される事を恐れていた。だからその良心で仮の人物像を作り、内側に自分を押しやっていた。


 最初は

 初めはなんだったっけ?



 『空気を読め』


 誰がそんな事言った?


 『可愛がられろ』


 誰がそんな事教えた?




 『──?』




 ああ、多分

 コレだ。

 意外にありきたりな言葉だったな。


 で、この文言を俺は湾曲して、折好く解釈して、自分の生きる主軸にした。そして他人に優しくしようとした。


 なるべく否定せずに、断らず、遠慮して、同調して、なるべく自分を小さく見せて


 それがもう疲れたから止めた。

 それを止めたら誰も彼も手を差し伸べなくなって…いや、ただそれだけ中身の無い希薄な人間だっただけのことか。





 じゃあどうすれば良かったんだろうな。


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